アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第2話「Cutest♡ガール」感想 〜Honey Mustard Dressing〜
一人では、分からない言葉。
こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知り置きを、今後もどうぞよしなに。
さて、今回もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第2話「Cutest♡ガール」の感想を書いていこうと思います。
今回はかなり論考すべき箇所が盛り沢山な内容となる2話だったので、サクサクとリズム良くいきたいと思います。
と、その前に前回も書いた注意書き。
本ブログは、私Sunny Roadが(スクスタも半分くらいしか履修せず)視聴し、私Sunny Roadが個人的に思うがままを綴った見解、純度200%の"私見"会場となっております。
閲覧者様のご意見ご理解に沿えられない、説得力と言葉の責任が欠如した部分も多々ある駄文でございますので、十分ご留意した上でお読みください。
後、大体の部分は他の人気ラブライブ!ファンの受け売りや同説だったりします。ご了承ください。もう忠告したからね。気分損ねても知んないからね。
さて、まずは・・・OPから。
前回のブログで「ラブライブ!らしくない仕上がりになっている」と割と強めに書いていましたが、歩夢ちゃんやかすみちゃんの挿入歌始め、やはり楽曲はとてもラブライブ!らしさ溢れる疾走感と爽やかさがふんだんに盛り込まれ、ライブCGアニメーションは更にグリグリヌルヌル動く圧倒的な迫真カメラワークにはもう、一本取られましたね。やっぱりラブライブ!だわ。きちんとカッコ良く、しっかり可愛い。本当に1分30秒に凝縮された宝箱ですよ。
ぶっちゃけラブライブ!もそれなりに歴史を積んできましたし、これまで世に放ってきたPVの見せ方には結構パターン化してきた部分もあってうーむ今後どうなるかという懸念もあったんですがそれを感じさせない、まだまだ見せ足りねえ!と言わんばかりのパワフルさよ。この後にも書きますがアニメ虹ヶ咲の本編は(挿入歌PV以外は)どことなく日常らしさを引き伸ばしたような少しのんびりした雰囲気を纏って「ソロ」のパーソナリティを脚色していますが、「グループ」一体となって歌い上げるシーンはピッチを上げて疾走感と別物感を増し、夢に向かって邁進する少女たちの目的意識をまとめ上げているというのはメリハリがあってとても「鮮やか」ですよね。アニメラブライブ!は緩急あってこその面白さだと思います。そして地味に背景や美術設定がめちゃくちゃキレイ。広大な海の上のステージなんて未熟Dreamer以来のロケーションですが自然物をあらゆる角度から取り入れるアニメラブライブ!のステージは開放感があって大好きです。
後はお衣装。長袖ジャケットで露出が少なくうーんという方もいらっしゃいましたが、自分は校風がお衣装に色付けとして反映されるというアニメラブライブ!OPで地味に統一されているが引き継がれてて好きですね。
勿論女の子らしい肌色が若々しく光るのも目に優しいとは思いますが、虹色のタスキがそれぞれメンバーの差し色になっていること、そしてそれが「自分の好きなことへの表現」という全員仲間でありライバルというニジガクのソロポリシーをそのまま体現しているのがジャケットを着る理由に添えられるのが好き。タスキはジャケット着てからじゃないと駅伝になっちゃうし、駅伝になるとチームの一体感が必要になるからね。なーんて、この辺はただの連想ゲームです。
まぁ強いて言うなら果林ちゃんのモデル志望で磨いた魅力的で大人なセクシーボディーが薄味になったりスイス育ちの恵まれたプロポーションを備えたエマちゃんに注目しにくいというのはありますが、今の所どちらのキャラ設定もアニメでは言及されてませんからね。何ならOPが変化するという搦手もまたアニメの伝統として根付いているので、話数を追っていくとストーリーラインに沿って衣装が変わる、なんてことももしかしたらもしかするかもしれませんよ。
で、皆さん沢山のファンの方々が言及していた冒頭の侑ちゃんの佇まい。
うーん自分は・・・正直、人気のファン様が考察なさっているのとほぼほぼ同じ感想なのですが、気になったというところは冒頭だけというより冒頭の侑ちゃんソロと最後の同好会メンバー一同+侑ちゃんが揃って同じ方向を見つめるシーンの対比がお?と。
前回でも書きましたが、「誰にでもなり、誰でもない"あなた"」という存在はラブライブ!界隈に何となく、しかしそこはかとなく根付いてきた架空のファンの総称がずっとありました。そしてスクスタリリースと同時にその存在は公式様に(ほぼ)正式に認識され、その延長線上として何となく示唆された架空の人物が高咲侑であると睨んでいます。要は忍野扇とは似て非なるものです。サラッとめちゃくちゃネタバレしたぞ俺。
"あなた"であって"あなた"そのものではない、スピリットだけを受け継いだデコイ。そんな高咲侑はOPの冒頭で浅瀬に裸足を浸けながらこちらを見つめ、さらに陽のように輝くステージを豪華な椅子に腰掛けながらぼんやりと見上げる。ここだけ見れば高咲侑は「スクールアイドルを一番の特等席で見ている(応援している)サポーター」という風に捉えられますし1話での彼女の立ち位置と合致していますが、
その反面OP最後のシーンでは同好会メンバーと共にどこかほんの少し陰ったところからどこか一方向を眺めているんですね。つまり、高咲侑が同好会と目線を合わせている。この転回は一体何を示すのかがすごく気になります。冒頭と最後はそれぞれ意味合いが独立していて、最後のシーンは「同じ"ときめき"を追い求める仲間」という意識のみを共通しているのを指し示すカットとも取れますしそれだと概ね納得なのですが、何となく、何となく嫌な想像をしてしまうのは気のせいでしょうか。
まさかまぁ最終話で侑ちゃんも一緒のステージで歌い踊るとかいう特大クソデカ迷走ムーヴメントをやらかすとは思いませんが、同じOPの中の1分30秒間で2つのシーンが両立してしまうのは何だか不自然に感じ取れました。いやまさかね。後地味に最後のシーンが微妙に陰ってるように見えるのワイだけか?その辺も妙に気になるんだよね。
(画像は拝借しました)
心を射抜かれた人も多い、モノクロスーツシーン。 男性を意識させない世界観を徹頭徹尾守っているアニメラブライブ!では割と思い切った斬新さがありますが、別にスーツは男性だけが着るものじゃないという自由な発想や多様性というアニメニジガクのもう一つのテーマの裏付けとも捉えられそうですね。愛ちゃんがアンニュイな表情してるのは自分もグッときました。こういうカットが挿入されるの、あ〜何だっけ!他のアニメとかでもよくあるなぁ〜‼︎と皆さん喉元まで出てきてる歯痒い気持ち、ありませんか?
自分はまず始めに「SSSS.GRIDMAN」のOPの新世紀中学生のシーンを彷彿とさせましたね。あれもスーツだしね。気になる方は探してみてください。UNION、とても良い曲ですよ。自分はアニメラブライブ!のお陰で退屈から救われています。
まぁほら、生徒会長に別人格や二面性があるのはアニメラブライブ!の伝統だし多少はね?
この2話の最後で早々と身バレしてるしセーフといえばセーフなんですが、このチェキを見逃さなかった初見さんがOP後果林さんが優木せつ菜の正体を意味深な笑みで追い詰めていくさまが陳腐に見えてしまうのを考えると少しせつ菜ちゃんがかわいそうになっちゃいますね。アニメの構成の都合でなにかと翻弄されてしまうのは生徒会長ポジションの宿命なのでしょうか。
そういえば、OPやEDの最初の部分で挿入されるキャラカットや傘の色の順番通りにキャラクター回が展開されるというのは鋭い指摘だと思います。別に同好会に参入する順番は気にしていませんが、黒い傘担当である侑ちゃんは黒同様に何色にも染まらず、どんな色をも取り込むという独立した立ち位置でいるのか、はたまたそれ以外の道を視野に入れているのか。
黒の侑ちゃんだけが、傘を後ろに逸らして虹の雨が降る空を見上げているから・・・まさかね。
これは何味か言及されてませんでしたが、ササミ?サラダチキン?と・・・ソースはマスタードですかね?(マヨネーズかな?)大胆にも輪切りで添えられたレモンが爽やかさを演出してくれる、なかなかオシャレなコッペパンですね。
サラダチキンなら女の子が気にしがちなカロリーも控えめですし、その割には特別な調理はほぼ要らず、いや普通に手作りでこの食材選びができるのは天賦の才を感じますよ。自分ならサンドロールがあったらロースハムとマヨネーズかウインナーにケチャップでバリエーション終わりですからね。発想から貧乏らしさを感じる(自虐)。侑ちゃんと歩夢ちゃんを籠絡させるのに一役買っていましたし、1話からの謎のコッペパンブームのお膝元として優秀なアイテムですよ。2人が食べてる時の作画が怪しいのが気になったけど。キャベツはわざわざ千切りにしなくていいからね。
で、そのコッペパンの製作者がこの2話のメイン、
あゆぴょんです。可愛い。
嘘です。かすかすこと、中須かすみちゃんですね。今回はかすみちゃんのパーソナリティに触れながら書きたいと思います。歩夢ちゃんのおっぱいに目がいった人、はい頭の上に両手を置いて〜、ぴょん。
1話の時点で生徒会と生徒会長の横暴に「コミカルな憎らしさ」を向けていたかすみちゃんは、取り上げられた「スクールアイドル同好会」のネームプレートを奪取すべく、いよいよ強行手段に出ます。猫を囮に生徒会室に忍び込む姿はコミカルそのもので、初見さんにはかすみちゃんの前半の派手で表情豊かなリアクション芸や抜け目ないいたずらっ娘後輩な一面と、そして後半との少しアンニュイな人物像とのギャップがハートにドストライク♡な人もいたのでは。ま、要は「この娘ネタキャラ枠だな」みたいなね。自分と自分の信じた理想を常に渇望し突き進む矢澤にこのスピリットと謎サングラスをきちんと引き継いでいて安心ですね。あっちはボケとツッコミ両方できる天性のコメディアンだけど。
後に「はんぺん」という猫の名前が判明しますが、これはどうやらスクスタのエピソードに準拠してるらしいですね。芸が細かい。というか飼い犬や野良猫にひらがなの食べ物の名前付けるの流行ってるの?
いやぁしかし「アイドル研究部」「スクールアイドル部」「スクールアイドル同好会」と、各々のスクールアイドルが各々のネームプレートという肩書きを執着していく→襲名していくというのが遠回しに描かれるというのは、世代間で各々のスクールアイドル像が部の名前が変化していくと同様に変容するということで・・・観てて面白いですね。手の届かない場所にあったり、たった一人でも守り抜いた願望の表れだったり、いとも容易く入れ替えや私物化が可能な可変式スターダムだったり。
誰の協力も得られず、同級生で同じ同好会メンバーだったしずくちゃんに相談(というか愚痴)を持ちかけつつも強烈なインパクトを放つ演劇部の先輩に寝取られ、終いにはワンダーフォーゲル部という起源を辿るとこのアニメのメッセージ性と合致する部に入れ替えが完了しています。
しずくちゃんの演劇部の先輩は何というか・・・モブキャラにしてはあまりに異彩を放つ強引さがあって視線がそっちいっちゃいますね。自分は陳腐になるからアニメラブライブ!を百合やレズ路線で極力見ないようにはしてますが、1話でしずくちゃん以外の部員にランニングを強要してるシーンもあり実はこのアニメで独占欲が一番強い女の子と捉えても違和感無いですよね。でも相談のシーン自体はしずくちゃんの大人しめだけど芯が通った上品さが紅茶というアイテムからも窺えて◎。その時のかすみちゃんが、面識の無い、そして多くを語らない圧力を感じる他部の先輩には下手な愛想笑いを浮かべるのも長い物には巻かれる後輩っぽさが出てかわいい。
ふてくされてるところに偶然出逢った、スクールアイドルにときめく先輩方お二人。二人と出逢うことで、かすみちゃんは同じ志を持ちながら違う対象を見つめている女の子と、どんな理想や好物も、それぞれがそれぞれの形のまま表現できる独立性と多様性を愛ざす女の子に感化され、少しずつ変わり、あるいは留まっていく。
2話はこの構成・組み立てキャラの巡り合わせがとても「巧く」で思わず唸ってしまいました。
この邂逅のシーンではかすみちゃんがかわいい、かわいいと初対面の自分を褒めちぎる高咲侑ちゃんに取り入っていき、その様子を歩夢ちゃんは呆気に取られながら時折冷めた笑いとにこやかな毒を刺しながら展開されます。おお怖い怖い。初見さんはご存知ないかもですが、かすみちゃんは善子ちゃん同様かすかすというニックネームを嫌います。まぁ理由は・・・お分かりですよね。全国のクロッカスに謝れ。
かすみちゃんは学年的には後輩ながらスクールアイドルとしては先輩なのを生かし、侑ちゃんがスクールアイドル志望でなくサポーターを目指していることを知り自分への献身的なサポートを強いる「愛され後輩」っぷりをそりゃまぁかなり上手くグイグイ押し出してくるんですな。ペロッと舌を出すシーンが可愛い。けどお前部長に対して絶対服従!とか二枚舌もええとこやからな。まぁかすみんはかわいいからね。かわいいと何でも許されちゃうから仕方ない。
それに対して歩夢ちゃんは物理的にも心理的にもほとんど二人に割って入らず、ただただアワアワと困惑するばかり。
自分は先に書いた通りアニメラブライブ!に百合要素をねじ込むのは好みませんが、この3人の関係性を百合要素無しで語るには無理があるとは思うので、敢えて1話を分析しつつ書きます。そしてこれはあくまで、スクスタの世界での彼女たちのキャラは含みません。
今まで歩夢ちゃんは侑ちゃんと何をするにも一緒に行動する幼馴染みなのは1話で折り込み済みですよね。そして侑ちゃんは、「かわいい」という形容と評価を今まで、あまり積極的ではないにしても歩夢ちゃんだけに使ってきていました。歩夢ちゃん自身それは言われ慣れて半分聞き流していたものの、しかし自分のことをしっかりと他者が認識してくれる待望の言葉として安堵感を置いていたと思われます。
だからこそ彼女は自分に似合う服を、自分の好きな色を笑って受け入れてくれる人の為に一歩を踏み出した。
しかしそんな「大切なことば」が、他の人に対しても容易く使われたとしたら。
自分をメーキャップしてくれるとっておきの化粧道具が、他の人にあっさりと使われていたら。
歩夢ちゃんが「かわいい」という言葉にどれほどの重みや意味や好意を向けてたのかは定かではありません。けど少なくとも、歩夢ちゃんはとびっきりのかわいい人物になれるなら、という思いでスクールアイドルを志したのは、2話を見ても明らかですよね。
そして何より、「いつも傍にいてくれている長い付き合いの大切な人が向けていてくれた大切な言葉を、まぁこうも初対面で易々と引き出してくれたアンタは何様やねん、」と女の子はリアルでも2次元でも、どうしても、思いたくなくても思っちゃうタチなんですよ。でもこれ、この言葉で済ませちゃうのは安っぽいんですよね。だからここはあまり強く主張しません。
そしてその「かわいい」にすっかり気分を良くした得体の知れない後輩ちゃんが、自分と同様、しかしその言葉を求める対象が少し違うかわいいの探求者であることに気が付きます。
同志だけど、時にライバルという虹ヶ咲のコンセプトを彼女ら二人の思想の違いがこの2話時点で表現されるというのは本当に鮮やかで巧く、どんな視聴者にとってもかなり分かりやすい、しかし深く考え得るテーマとなりました。
そしてその二人の違いというのはもう一組いますが、それは後ほど。
可愛い。女児に慕われるのは良妻賢母の証。パペットマペットさん元気かな。
それにしても相変わらず女性しか登場しないの見てて怖いな・・・アニメ虹ヶ咲は今までのアニメラブライブ!の当たり前をかなり大幅に見直していますが、女児はともかくゲートボールの老人会にもお婆さんしかいない徹底ぶりはおいまずこの怖い女縛りを一番に改革してくれよとしか思えません。
「恋する小惑星」でも普通に男児登場してたのに・・・まんがタイムきららに遅れ取ってどうすんだよ
ちなみに工事現場のシーンでは侑ちゃんが「うるさすぎない、ここー⁉︎」って言ってるのがうっすら聞こえます。是非注意深く聴いてみてください。
「徹底抗戦」も泣く泣く敗走(元部室前で座り込んだ体勢からorzの姿勢にわざわざ変えるの、芸人魂感じました)して以降完全に目をつけられた(というかそもそも別の因縁が発端ではある)生徒会長の目から逃れるためにかすみんは侑ちゃんと歩夢ちゃんを引き連れ2代目スクールアイドル部と称して校外での活動を始めます。メンタルは強いけど権力に弱い小市民かすみんかわいいよ。
スクールアイドルのことは右も左も分からないお二人に後輩ながら先輩ヅラするかすみちゃんの熱心な指導の下、まずスクールアイドルの基本は自己紹介PVから!ということで全面に「かわいい」を振りまいていくアピールを信条とするPV撮影が始まるわけですが・・・
いやまぁここの歩夢ちゃんは文句なしにかわいいよね。幼馴染みでずっといる侑ちゃんの面前で侑ちゃんが気に入っていたあゆぴょんを偶然にも強要されるこっぱずかしさ、分かるよ。ワクワクしてカメラの後ろから期待されたら、やらない訳にはいかないよね。ウブでいたいけな乙女心が弄ばれるいじらしさ、最高。
侑ちゃんはこの時かすみんの全身全霊かわいいアピールをいたく感激して(他人のスマホを放り投げるくらい)喜び、その都度「え⁉︎」と予想外の反応に唖然とする歩夢ちゃんですが、ここで勘違いしないでほしいのは、歩夢ちゃんは別にかすみちゃんのことをかわいいとは思ってないということ。
では、その辺も交えてそろそろかすみちゃんを紐解いていきましょう。
自分は特に「ことば」について着目しました。
ところで自分はご存知の通りTwitterもしているのですが(@Elysia_Sunny)、自分の思想や感想を書く時にただ一つ気をつけていることがあります。それは
「形容詞だけで済ませないこと」
です。
昨今のSNSや若い方々の流行りを見ていると、言葉の使い方が随分簡素になったなと感じます。「きれい」「ヤバい」「エモい」・・・数ある美しい日本語の豊かな表現を差し置いてほんの僅かな文字数の形容詞と造語で形容し、後に(語彙力)を適当に付け足せば自分の感情を余す所なく表現できていると思い込んでいる人が割と多い印象です。
しかし自分はそれは否定するつもりはありませんし、それもまた言葉の強みであるとも思います。シンプルだけどストレートで、軽く手っ取り早く伝わる。時代が進むにつれ物事が全て簡便化するにつれて不要な部分を削ぎ落とした洗練ささえ感じる。
でも、言葉はあくまでナイフのようなものなんだという思いを、文系の自分はいつでも忘れたくないんですよ。
「エロい」「ダサい」「ウザい」「かわいい」・・・人が人を評価する時、頭にいくら修飾しても結局最後に付け足される形容詞は、やはりシンプルで力強い言葉です。ですが評価というものは、手っ取り早く済ませることが必ずしも正義とは限らない。その真っ直ぐさ故に残酷で、軽はずみな一言でその人を文字通り"終わらせてしまう"言葉なんです。
かすみちゃんは確かにかわいいですよ。歩夢ちゃんも勿論かわいい。何なら侑ちゃんもかわいいです。
けどその印象を受け取る側の人が「その一言」で終わらせてしまうのって、相手にも自分にももったいないんですよ。端的に伝えれば伝えるほど、ほんとはもっと引き出したかった心の中身を閉じたまま蓋をする気がするんです。そう思えるのは古くから婉曲な表現で書物を書いてきた日本人の遺伝子が自分にもあるのかもしれませんが。勿論、言葉をいくら連ねても伝われない思いが幾百とあるのも重々承知の上ですが。
かすみちゃんは誰しもにかわいいと評されたい。何なら自分にもね。歩夢ちゃんは侑ちゃんに誰よりもかわいいと言ってもらいたい。
百合的な要素はさておき、大切な関係の人に自分のことを知ってほしい、内面を良く評されたいと思うのはごく自然なことです。だからこそ、その「かわいい」は何故、誰だけに、どれほどの意味合いと価値を持つのか、探りたくなってしまうんですよね。心が求めるときめきの言葉の分析、まさにときめき分類学なんですよ。
そしてその大切な関係の人、かすみちゃんにとっては窮地に寄り添ってくれた恩人である侑ちゃん、歩夢ちゃんは言わずもがな強固な信頼を置く幼馴染みの侑ちゃんの使うたやすい「かわいい」に、執着してしまう。
かすみちゃんが本当にかわいいかどうかは歩夢ちゃんにとって重要じゃなく、歩夢ちゃんだけに評されてきたそのシンプルで強烈な言葉をいきなり甘んじて受け入れるかすみちゃんって、どんな女の子なの⁉︎という、未知への衝撃と困惑を、嫉妬だとか邪念とかも無く本当にただただ純粋に描いてるんじゃないかな、と。
証拠といっては何ですが、歩夢ちゃんは1話のせつ菜ちゃんを見た侑ちゃんの反応ともこの2話のかすみちゃんへの反応とも、同じ場にいながら二人それぞれ違うリアクションしか取っていません。そしてその相違に敢えて「いやいやこう思うでしょ」と意を違えていないのは、侑ちゃんの感想自体は正しいと思っているからに他なりません。ただただ予想の斜め上をいく侑ちゃんの反応の大きさに困惑しているだけです。
それが内心を引き出すのが苦手な彼女の裏返しにも取れますが・・・彼女は曜ちゃんに少し似た部分があるのか、嫉妬に及ぶほどの自信の無さが未だ見て取れるんですよね。以前のブログで持論として書いたのですが、嫉妬は自分で自分に自信が無いと発生しません。かすみちゃんがいの一番に侑ちゃんに自分にもサポートを、とお願いしたのはその辺りの違いなんでしょうね。
そんな繊細な機微が感じ取れたのが2話で、かすみちゃんの正義で、歩夢ちゃんの宝箱で、そしてまた、せつ菜ちゃんの情熱だったのです。
かすみちゃんとせつ菜ちゃんが対立し、同好会が廃部になった原因・・・とか犯人探しはあまりしたくはないのですが、概ねファンの方々が指摘している通り「自分の大好きを押しつけ合ってしまった」からですね。
かすみちゃんは自分で自分を甘やかすがごとく、自分の信じる「かわいい」を優先し、主張してしまった。
せつ菜ちゃんはスクールアイドルとして何が重要か、何を表現するかを理想像とし、練習への熱心さに変えて他の部員にぶつけてしまった。
彼女らは方向性は違えど、志が似通っています。何が大好きで、何を重んじているか。
その表現方法の延長線にスクールアイドルという「手段」を取っているだけで、彼女らの「目の前にいる自分を応援してくれる人」を常に率先するビジョンは全く同じです。大人になったら「抑圧」という同調圧力が正義を振りかざして社会を闊歩しますから、本当にこの2人の諍いは10代特有の青臭くさを感じてね。見てて愛おしくなりましたね。
ただまぁ個人的に言うなら、
かすみんはね、ほんのちょっぴり惜しいんですよ。結果を急いじゃうんです。せつ菜ちゃんはそこをきっちり省かないだけ。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年10月10日
優しい、きれい、美しい、そしてかわいい。形容詞って、手っ取り早くてずるいんですよね。
その一言だけで観る側の感想と、見せた側の評価が同時にこなせちゃう、楽で怠慢な言葉
というところがせつ菜ちゃんが少し有利かなとは思っちゃいますね。
本来、侑ちゃんのような「一番近くのファン」がステージでも自然体な舞台裏でも絶賛してくれるのはかすみちゃんにとって異質なことです。勿論かすみちゃんはどんな時でも「かわいい」ですが、侑ちゃんだけはせつ菜ちゃんのように過程にも熱血を、結果に冷血を費やす人ではありません。「ただかわいいを述べるだけでなく、自分を通して「かわいい」を押し出す人たちの存在を促す」存在に徹していた。
第2話が「巧い」と思った真髄は実はそこだと思います。かすみちゃんに一度は引けを取らない大げさなリアクションをしつつも、後半からは少し遠くから「かわいい」を促すだけの人物へと変容し、かすみちゃんの「気付き」を促した侑ちゃん、なかなかに巧妙でした。
そしてかすみちゃんは侑ちゃんを通してハッと気付きます。
自分もせつ菜ちゃん先輩同様、自分の大好きなものを押しつけてしまっているということ。まぁ被害者は歩夢ちゃんですけど。同じ穴のムジナと言えば何となく印象は悪い気もしますので、ここはシンプルに「同志の瑕疵」で。
この「気付ける」そしてその後の「吐露する」という行為ができるのは実はかすみちゃんの真の可愛いところですよ。人のフリ見て何とやらとは言いますが、しっかり自分の行いを顧みて、「自分の大好きを押しつけたくはない」と反省できるところ。正しい、変えたくないと思うところは翻さず、だけど自分にも悪いところがあった、と認める素直な寛容さ。これが窺えるかすみちゃんは、大人の美しささえ感じます。こんな10代の女の子が出来てるような簡単なことが出来ない非常識な大人、社会にすごく多いですからね。自分も含めて。
せつ菜ちゃんもかすみちゃんに反論された時にギクリとはしていたので感心・・・といいたいところですが、その上で廃部独裁を強行したと考えると寧ろ後味としてはせつ菜ちゃんの方が畜生な気もしますが・・・他に事情があるんですかね。せつ菜ちゃんについては次回詳しく描かれそうなので、ここでは敢えて書きませんが。
ちょっと閑話休題。
今週の果林さん。何だか果林さんってさん付けしたくなっちゃうんですよね。何でだろう。クエン酸に語感が似てるからか?
1話目からミステリアスながらも鋭く生徒会長の動向を睨んでいた果林さんが、2話ではマイペースながらも実行に移ります。その一方で、フラッと歩夢ちゃんの前に現れた彼女の痴態にもほとんど動じず、お節介と称して少ない言葉で彼女に本懐を気付かせるという、まさに謎の妖艶な美女、陰のキーパーソン的一面を見せていました。いやあ、こ、これが大人の色気か・・・‼︎と思いましたね。頬に手をやる仕草の艶やかさよ。演技力と歌唱力はさておき、単に肉体美だけでなく、佇まいや立ち回りの落ち着きっぷりという奥ゆかしさで「大人の色気」を表現する。真姫ちゃんがアニメの初期に持っていた色気そのものを見事に蘇らせ、いや寧ろ増幅させて引き戻してくれて興奮しましたね!
理知的で余裕綽綽な佇まいながらも冴えた論理で生徒会長中川菜々、もとい優木せつ菜ちゃんを追い詰めていましたが、独特な雰囲気に呑まれがちだけどまぁやっていることはただのコソ泥と揚げ足取りということに気付いたラブライブ!ファンは「俺たちのいつも見てる果林ちゃんだ」とその片鱗に気付いてホッとしたのでは。
自分はまだスクスタをあまり積極的にプレイしていないのでラブライブ!ファンが仰っている果林ちゃんは実はポンコツ説があまり腑に落ちていないんですよね。お前らすぐ3年生をポンコツにするな。ネタ弄りで弄る分にはまぁ百歩譲っていいとして、例えばそのポンコツに見える部分を執拗に叩くのは見てて快くはないんですよね。
キャラでお人形遊びをする向きはあまり好きじゃないし口酷く言及はしないですが、キャラを人間として考えて言うなれば、高校1年生も3年生も大した違いは無い、とだけ。表向きの佇まいが冷静で落ち着きがあり、グラマラスな容姿がヴィヴィッドであれば「内面や能力もきっと有能な大人に違いない」と思うのは幻想なんですよ。役職や責任、それなりの佇まいを多少背負った身で、10代半ばが自分のパーソナリティを押し殺して責務を全うする、なんて一本筋の通った女の子は最早高校生離れしてて可愛らしい女の子として見れないジレンマがどうしても出てくるんですよ。ギャップ萌えってその辺の何とも言えない絶妙さが本質ですしね。親近感があって初めてスクールアイドルは成り立つんです。
そしてこと果林ちゃんに至っては、「他者からの期待」に晒されながら自分を高めなければならない孤高の苦痛と寂しさが少女として等身大に歌い上げる、「Wish」として表されています。
アニメがスクスタ準拠としてのキャラなのかは分かりませんが、スクールアイドルをエマ伝いにしか聞いていない彼女が投げかけた歩夢ちゃんへのお節介が言葉数少なくとも妙な説得力で彼女に鋭く響いたのは、「他者を意識する」という点で彼女の中で一家言ある・・・のでしょうか。
おいおいすげえな。
懸垂の状態で登りよったでこいつ・・・
反旗を翻しつつも、せつ菜ちゃんの熱心なトレーニングで鍛えた体が覚えている的なやつでしょうか。スーパーマリオ64くらいのスピードで割と軽々よじ登ったで。まぁいいや。筋力は評価するけど、無理しないでね。落ちたりしたら大変やで。生傷増やした結果ラブライブのことをどうでもいい扱いした人とかいるからさぁ。
ところでこのシーン、何かクウガ(ワイの永遠のヒーロー)で見覚えあるな・・・と思ったらズバリその場所でした。しかも一番好きなフォームの紫の戦士の回だったらしく、(最速)放送日が一緒と聞いて・・・鳥肌止まりませんでしたね。もしかして・・・アニメニジガク制作スタッフに「いる」な?ん?正直に言ってみ?
かすみちゃんは侑ちゃんを通して、
歩夢ちゃんは果林さんの助言を通して、それぞれ、
「他者」を意識するわけですね。このシーンに収束するべく各々が別のキャラを通じて「気付き」を得る展開の巧みさがマジで素晴らしかった。絵コンテ誰が書いたんだよ・・・拍手。
かすみちゃんは自分の心からの振る舞いの奥底から、同好会の各々が第一に力強く携える「かわいい」に相当するもの、そしてそれをステージの前のファンに一番に見せたいと思っていることに気づき、
歩夢ちゃんは同じくして「かわいい」を恣(ほしいまま)にしている「かわいい」のライバルを見て、自分が誰からの「かわいい」を欲しているか、原動力にしているかを認識する。
かすみちゃんはストレートに自分の気持ちを侑ちゃんにぶつけてから、侑ちゃんに自分の持論を説く内に自分の行いに気づく。
歩夢ちゃんは侑ちゃんが他の人に意識を向けてから自分の気持ちを引き出すことに勇気を振り絞る。
同じ「かわいい」を野心にスクールアイドルを志す、仲間でありライバルの両立性が自己紹介PVとして保存されます。
スクールアイドルというものはその各々が持つかわいい」の正義を表現する論法で、だから彼女らが集まるこの部は、あくまで同好会。
同じ目的意識が合致する瞬間は息を潜め、特定グループとしての名前を有しない。「虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会」という"多様性"がこのアニメの大きなコンセプトであるというのが、2話で2人を通して分かりました。
かすみんはね、ちょっと自分に甘いだけなんだと思いますよ。自分の理想やこだわりは鋭く尖っても、それになりたい自分への研鑽はちょっぴり甘ったれ。
けどそんなもの誰しもが持ってる慢心なわけでね。だからこそその「誰か」と繋がることが、知っていくことが、協調ではなく共存していくことが大切なんです。
気付けるかすみんはかわいいよ。だから存分に甘ったれ。ちょっぴり辛いマスタードも、ハチミツかけて存分に、ね。
自分を好きな自分に酔いしれる、って価値観はあまり日本じゃ浸透してません。謙遜こそ美徳として重んじられるこの国では、かすみちゃんの持つ「自分の甘い理想に奔放である」のは本来共感されないというか、何となく忌み嫌われるものなんですよね。
それは何故かって、多分誤解されてるからだと思うんですよ。本当に自分のことが大好きで、自分の理想が大好きな人は、誰にも迷惑をかけないはずです。一人で勝手に酔いしれて、一人で完結しちゃうもの。
それが満足にできてない人が、無い物ねだりで嫉妬しちゃう。そういう価値観がいつまでも抜けないから謙遜という逃げに走っちゃう。そういう人、意外と多いのでは。(当然、自身を未熟だと追い込んで努力する人を否定はしませんよ)
今、世の中のありとあらゆるものは日進月歩で変わってきています。「自分が好きな自分を大切にする」という風潮が少しずつ、しかし着実に根付いてきていて、個人のパーソナリティや趣味嗜好はより一層認知され僅かに大らかになり、個人の人権を注視した結果ブラック企業が見直され、"好きなことで、生きていく"YouTuberが大衆エンタメとして台頭しているのです。
スイーツのように甘く、レモンのように爽やかな世界。彼女が幕開くステージは、弾けるようなライムグリーンと、甘く酸っぱい香りのするマーガレットイエロー。ピンクリボンの夜光が織りなすワンダーランドとは似て非なる世界です。
かすみちゃんが歌うソロ曲「Poppin' up!!」は、今の世の中の風潮に合った、あるいはそんな世の潮流に揉まれながら自分で自分を鼓舞させて生きている全ての人たちにとっての応援歌でありますように。
いいんですよ。自分で自分が可愛くて。誰もがみんな同じ水平線を見つめています。OPのようにね。それを各々の未熟と思うか、同好と思うか。それも人それぞれだと・・・アニメラブライブ!と一緒に一歩ずつ、学んでいきたいよね。
★まとめ★
リモコンバイブ(ボソッ)
ひゃあー書いた書いた。書きたいことが相変わらずとっ散らかってて結局何が言いたいのかよく分かんねえですが、
第2話、総括としては100点です。
何も言うことなしで素晴らしい「見せ方」でした。
かすみちゃんの人物像の見せ方、自身の行動の回顧、歩夢ちゃんとの共通点。侑ちゃんのスタンスの変わらなさと、ちょっと意図的にコントロールしたのか?と疑っちゃうようなメンバーの距離の置き方変え方。
そしてその一方で果林さんが暗躍して生徒会長と対峙するアニメラブライブ!伝統の構図を広げる一方で、果林さん自身の内面に直結するアドバイスをポン、と短めに放つ「お節介」が・・・巡り巡ってスクールアイドル同好会という、不揃いだけど濃い味の同志の共存という価値観に結びつくというサイドストーリーにしてはとてもよく仕上がった展開の組み立て方。勢い任せだったアニメラブライブ!の系譜とは思えないシナリオの巧さがありました。
果林さんのキャラについては初見さんはキャラ崩壊なんてどこ吹く風では?歩夢ちゃんの痴態を覗いてしまったのは果林さんが方向音痴だからだそうに違いない!と固く信じるファンの方々は、今後もぜひ彼女のお茶目な一面とそれを遥かに大きなクールビューティで覆い隠す有能美女に期待しましょうね。
今回感じた同好会やアニメ全体の印象と今後の展望は、Twitterでまとめてありますのでどうぞ。
それなりに深夜アニメを観てきたから言えることだと思うけど、アニメ虹ヶ咲は「美少女エンタメアニメ」の基本がきっちり出来てるのが非常に大きいと思う。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年10月13日
スクールアイドルを巨大な願望にし過ぎた結果、キャラもキャラの行動理念も歪んでいく、悪い意味での「キャラの灰汁」が発生していない
今まで「スクールアイドルを目指した(に、なった)結果、この娘は今までとこれからをどう証明するか」というスクールアイドルを前提とした掘り下げがなされてきたし、
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年10月13日
それが従来の美少女アニメには無い急ピッチな勢いとして機能して、オタクにウケた・・・のを続けた結果、アクも出てきてたんよね。
でも虹ヶ咲は従来の美少女アニメ同様パーソナリティをきっちり固めてから会話劇と関係性を始めるからキャラ改変の必要無いし、
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年10月13日
「スクールアイドル」というブランドの勢いは削がれるけどムラとクセの無い、落ち着いた丸みのある出来栄えになる。日常の延長のいち手段にスクールアイドルが置かれる程度
でも完全に無くなったわけではなくて、優木せつ菜ちゃんがただ一人、「スクールアイドルになって(から)何を表現するか」という前作たちのスピリットを一手に担ってきてる。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年10月13日
そして彼女が人気を博しているんだから、自分みたいに前作のブレッブレで視野の狭いキャラ展開好みのファンは健在なんやろね
じゃあそうすると、アニメ虹ヶ咲の今後の課題は
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年10月13日
「うんうん、でもそれ"スクールアイドル"じゃなくてもできるよね?」
ってなるわけよね。現実じゃYouTuberなんかが台頭してるこの時代、尚更。
自分はそこが不安。Aqoursにもそのケが少しあったけど、スクールアイドルのオリジナリティとは一体いずこへ
しかしこうもシナリオ展開の巧さや人物の置き方・動かし方が巧いと次回の3話は「3話で落とす」を主軸としてきたアニメラブライブ!のファンとして期待しちゃうなぁ。
先程も書きましたが、勢い重視で個々のキャラクターを力技で引き出す印象が強かったアニメラブライブ!の代々のパワーヒッターのシナリオとは打って変わって、
アニメ虹ヶ咲は搦手というか、一見関係のない人たちを上手く当てがわせてその回のメインや"メインヒロイン"を生身の人間らしく成長させる技巧派なんですよね。めちゃくちゃ自分の好みなんですよ。一生懸命頑張る女の子のアニメ観るの大好きだからね。
さて・・・名実共にスクールアイドル部を強行的な独裁で廃部に成功した生徒会長中川菜々は、実はそのスクールアイドル部で一番注目されていた優木せつ菜その人でした。
(何でみんな気付かんかってん...)
かすみちゃんと反発しつつも負い目を感じていた節を匂わせていた菜々、いやせつ菜ちゃんは、そこにどんな熱い思いをぶつけるのか。
今回、侑ちゃんも果林さんも、そこまで熱心な助言や指導はしていません。どこか一歩引いた上で、二人ともより視野を広く、自分を認識・意識させるために促したのみです。本当にそのあっさりとしたスタンスは見事でした。重苦しい話にならず、女子高生の日常感が守られていましたね。そして同時に侑ちゃんは、歩夢ちゃんのみのサポートだけでなく、同好会全体のサポーターでありたいという意思表示も薄く露わにししてて、もう何というか、本当に盛り沢山な内容でした。
本当に、ただ思ったことを言っただけ。
自分の大好きなこと、気にしてること、こだわってるところ程、人が持つそれらは尚更気がつきやすいものだよね。だけど、
それっぽっちでいくらでも人は成長できるし、
他者を信頼できるし、
自分で自分を好きになれるし、
大切な人の為ならワンダーランドの主人公にだってなれる。
だからみんな、「それぞれが好きなことで頑張れる新しい場所(ゴール)」を目指して・・・スクールアイドルを志すのかも、しれません。
俺はそんなみんなが誰一人欠けることなく、
「かわいい」と思うよ。
いとふゆ
(16700文字)
written by Sunny Road
前回、第1話の感想記事はこちら↓
https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/10/10/113243