アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第3話「大好きを叫ぶ」感想 〜拳と掌〜
Please Tell Me Your Voice.
こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知り置きを。
さてさて、今週もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第3話「大好きを叫ぶ」の感想をこちゃこちゃ書いていこうと思います。
と、その前に。いつものやつ前置きしておきますね。
本ブログ記事は、私Sunny Roadが純度200%の私見やいち個人的見解で書き散らかした駄文です。以下の本文全てにおいて、自分は一切の説得力と責任を放棄します。その点を十分深慮した上でご覧ください。
このブログ読んでどんな気持ちになろうが、自分のご機嫌は自分で取ってね。ってことです。
後まぁ、このブログで言いたいことの91%くらいは人気のラブライブ!ファンの皆さんが既に仰ってることの受け売りなので、鼻でもほじりながらサラッと斜め読みしてください。
(毎回注意書きの文言が微妙に変わってる気もしますが、恐らく本ブログの読者はTwitterのお前はもっと厄介な奴だろと呆れてると思うので気にせずいきます)
さて、あれよあれよと言っているうちにアニメニジガクも第3話まで来ました。
アニメラブライブ!において「第3話」というのは(アニメラブライブ!に限らずではありますが)「3話目で落とす」とあるように全13話のストーリーラインとしてはかなり大きな転換点であり、キーポイントです。
μ’sやAqoursはその3話においてグループ名を決定したり1st ライブを披露したり、そのライブ会場(講堂や体育館)には初めての手作りライブに各々が各々の表情でステージや周りに後のメンバーとなる女の子全員が居合わせていたりと、スクールアイドルとしての黎明としては見所盛り沢山の回となるジンクスがあり、ファンのみならず深夜アニメ視聴者としても熱視線が高まるチャプターでもあります。
かく言うアニメニジガクもその例に漏れずライブPVやステージの周りに居合わせている「後の同好会メンバーとなるであろう女の子たち」が見守る、ある種伝統的で「これでいいんだよ」と思わせてくれる、信頼と安心の回でもありました。
でありながら、勿論旧作を踏襲するだけのアニメニジガクではありません。
今までのアニメラブライブ!とは一線を画したスクールアイドルの在り方を確立し説いた回というストーリーの変容と革新にセンセーションを感じた視聴者も少なくなかったのでは。
で、そのメモリアルチャプターとなる回の主役となるお方が・・・
優木せつ菜ちゃんです。今回は主に彼女のパーソナリティにフォーカスを当ててお話を辿っていきます・・・が。
先んじて書きますが、今回は自分も少し不満をこぼす点が無くはないです。予めご了承ください。
第2話のCパートで、果林さんの暗躍が功を奏し(コソ泥と揚げ足取っただけだけど)、見事生徒会長中川 菜々が優木 せつ菜だったことを看破します。ぶっちゃけみんなほんとは声質とか顔貌で薄々気付いてたんじゃないのぉ?と自分は思いたいんですが、まぁ彼女たちのペースに合わせましょう。
しずく・エマ・彼方ちゃんたちがせつ菜ちゃんの失踪と廃部について心配そうに尋ねますが、せつ菜ちゃんは背を向けたままで、
「優木せつ菜は・・・もう居ません!
私はスクールアイドルをやめたんです!
もしまだ皆さんがスクールアイドルを続けるなら、
ラブライブを目指すつもりなら・・・
皆さんだけで続けてください。」
うーむ、なるほど。まず気になったのは、ここにきてようやくラブライブのワードが出てきましたか。ファンの皆さんも聞き逃してませんよね。
μ’sやAqoursのアニメ世界線においてある種因縁ともいうべきレベルまで関わりがあったラブライブ大会。アニメニジガクは何と第3話でようやく言及があったので、それだけでもこのアニメニジガクはシリーズの伝統を揺るがす特異点ではあるのですが、ラブライブ大会そのものはこのシリーズでも未だ健在のようですね。
後の場面にも多少言及はあるのですが、各アニメシリーズにおいてその大会の規模やスクールアイドルのクオリティやレベルの如何は異なっているものの、全スクールアイドルを高校球児に例えた時の甲子園的存在として依然、夢のように讃えられているという認識は一貫して変わらないようです。
存在が示唆されただけでもアニメタイトル詐欺にはならずに済んでいち深夜アニメファンとしては安心といえば安心なのですが、
この場面、何だか会話と目線がちぐはぐですごくモヤモヤしました。
いや・・・というか主にちぐはぐなのは優木せつ菜ちゃんの方なのですが、これ微妙に会話噛み合ってなくない?いや噛み合ってはいるけど、訊いてもないこと勝手に決めつけて答えてない?
はーい国語のお時間でーす。
ここのダイアログを全て表示するのは骨が折れるのでしませんけど、エマちゃんや彼方ちゃんはせつ菜ちゃんに対して「何でこんな去り方したの?」と訊きたいわけですよね。かいつまんで言えばね。要は「(一旦活動を見直すつつもりがせつ菜ちゃん退部→廃部にまで陥り)何でそこまでする必要あったん?」っていう生徒会長中川菜々の本懐を探りたいのであって、今ラブライブ大会を目指すかどうかは関係ないわけですよ。分かります?
にもかかわらず菜々ちゃん、いやせつ菜ちゃんは自分の心中を一切引き出さず、退部や廃部の理由もおくびにも出さないままで、いきなりラブライブ大会の出欠を話に持ち出し、ふてくされたように話を終わらせてしまっている。
物理的にもですが、ここの会話が何一つ目線が合ったまま対話できてない。せつ菜ちゃんが一人で勝手に拗ねてるみたいでその辺りがすごく悲しかった。
というかそもそも何?みんなラブライブ出たいの?せつ菜ちゃんも含めて。
例えばしずくちゃんエマちゃん彼方ちゃんが、各々の「大好き」の形の表現方法の食い違いの問題はさておきかねてからラブライブ大会の出場を切望しているのならともかく、過去の同好会の活動シーンの回想(しか判断材料無いんですけど)は誰も明確にラブライブ出場志望は発露してないんですよ。
各々が各々の「大好き」をステージで表現できるスクールアイドルであればこそ、がその同好会の暗黙の発足スローガンだったわけで、スクールアイドルである以上グループ一丸となって高みを目指さなければならないというマニフェストを掲げてるのはせつ菜ちゃんだけだったわけで、その熱心な義務感や責任感との温度差を同好会メンバーは好ましく思わず、というか単についていけず、かすみちゃんが堰を切らしてしまったわけなんですよね。
その辺りの問題点を、せつ菜ちゃんは全然正しく認識できてない。「ラブライブ大会に対する意識」そのものが一致していたかどうか自体怪しい、というダウトをこの時点の対話を通してきっちり分かってさえいれば、せつ菜ちゃんは早い段階でこの理不尽廃部の解決の糸口を手繰り寄せられたはずなんです。
「対話」って、我々人間が思ってるよりずっと大事なものなんですよ。仕事とかだと目線合わせ、ともいうかな。匿名性の高いツールが社会を席巻しリモートワークが流行っている今このご時世だからこそ言いたいのですが、
やはり人と人とが面と向かって顔を合わせてお互いの目を見て、声色や表情、ボディーランゲージを用いて対話することほど、自分の意思表示に最適な手段はありません。それが正しく風通し良く出来ている社会は問題が起きない・・・とは断言できませんが、少なくとも犯人探しやコミュ障オタクみたいな、陰湿な人や行為もきっと減るはずです。
せつ菜ちゃんのようなアニメやラノベも好きな「ザ・オタクの味方」(スクスタ設定経由ではありますが)みたいな女の子がちょっぴり不出来なコミュニケーションをしていて、自分は少し悲しくなりました。まぁそんな彼女の視野の狭い部分もある種・・・キャラ設定が引き継がれてると考えてもよいですが。
うりょっちかぁ・・・ちょっとママライブ!の年齢層若くなったなぁ・・・‼︎
はい。アニメラブライブ!シリーズではある意味隠れたもう一つの伝統でもあるスクールアイドルメンバーのお母さんたちが軒並み豪華キャスティングでお馴染み、ママライブ!です。今回アニメニジガクで華々しいデビューを飾ったのはせつ菜ちゃん(菜々ちゃん)ママ。
CVは白石涼子さん。「ハヤテのごとく!」のハヤテ役が代表的ですかね。個人的にはアニメ「WORKING‼︎」の小鳥遊 梢さん役とか「化物語」の影縫 余弦さん役とかが「デキる傍若無人ドSお姉さん」感がバッシバシに出てて印象深く最高に萌えるんですよね。うりょっちは男の子役よりドSお姉さん役の方がハマってると思うの。どうでもいい。
特に影縫さんの京都弁がめちゃくちゃ上手くて本放送当時感動しましたからね。うりょっちの出身が出身なので上手くて当然っちゃそうなんですが、「生まれも育ちも大阪人の自分が唯一認める関西弁激ウマ声優」の一人です。後は・・・小野坂昌也さんとか。そんな影縫さんが初登場するアニメ「偽物語」が現在一部の地域にて再放送中(「水もん」枠)です。登場するの後半からだけど。これもどうでもいい。
白い薔薇の花言葉は「深い尊敬」や「私はあなたにふさわしい」「純潔」。
白バラのコサージュを意匠のように胸に付けた「CHASE!」の衣装(愛さんギャグじゃないですよ)を、菜々ちゃんは辛い面持ちで眼差します。
同好会メンバーには面と向かって目線を合わせられないのに、衣装はずっと凝視できる・・・というように、菜々ちゃんがこの3話で一心不乱に見続けているものは、自分を心のどこかで支えてくれる人たちよりも自分の中のもう一人の自分、優木せつ菜その人なんですよね。
このシーンでお母さんが出てきたので、ファンの方々は「やはりスクスタのキャラ設定よろしく、厳格な親の期待と共に育てられた菜々ちゃんが抑圧されてきた「大好き」の欲望を解放するべく「せつ菜」を演じているのか」と思った方も多いはず。実際、虹ヶ咲学園も佇まいや校風的に近代的で格式の高い「上流私立校」っぽさがふんだんに滲み出たりもするので自分もそういう風に捉えるシーンなのかと思いましたが・・・
ぱっと見、お母さん自体は娘を気遣う普通のお母さんなんですよね。スクスタでせつ菜ちゃんが親のしがらみに耐えきれず対立して・・・というエピソードはアニメ版のバックグラウンドに一見して見られません。
菜々ちゃんが後に「期待されるのは嫌いじゃありません」というモノローグがあるのですが、アニメのみの描写を見れば中川菜々の時の厳しい家庭故の期待と重責は、大して背負わされていないように思いました。
自分はアニメラブライブ!を観る時は「これは初見さんでもすんなり理解できる導入になっているか」という視点も常に欠かさないよう心がけているのですが、もしこの描写のみで菜々ちゃんが期待を背負って日々行動しているのならそれは思い違いです。自分で勝手に自分を優等生であるべきと追い込んでいる、そんな風に感じます。今の段階ではね。そも、現段階での描写ですとアニメの菜々ちゃんは何故生徒会長なんかやってるのかが明らかになってません。
厳しい親に躾けられ、優秀な学業と高い内申点で生徒会長にも就任し、学園のリーダー、模範として常に行動しなければならないと、スクスタのエピソードではありました。その上で、日々の抑圧で押しつぶされそうになっている欲望を唯一解放できる居場所が優木せつ菜、つまりスクールアイドル同好会だったわけで、その辺りの軋轢が彼女の心中で渦巻いてしまい、せつ菜ちゃんでいられるスクールアイドル同好会の時間では普段隠していた自分のとめどない「大好き」をついつい強調し過ぎてしまう。
・・・こういうスクスタ準拠のストーリーラインなら衣装を隠すのも納得なんですが、このシーンでお母さんに見つからないように衣装を隠すにはイマイチ辻褄が合わないですね。まぁ年頃の思春期の女の子の、クローゼットの中のプライベートな部分だと言ってしまえば飲み込めるんですが。寧ろ期待という観点で見れば、スクールアイドル優木せつ菜の方がその今後の活躍ぶりに投稿動画PVに胸を焦がしたファンがいるくらいですし、仮に温厚そうな菜々ママ(語感良いな)がせつ菜ちゃんを見たら喜んで応援してくれそうな雰囲気さえあります。
なので自分は今回の3話、中川菜々が生徒会長でなければならない理由の描写が少し足りてないと感じました。アニメラブライブ!ではすっかりおなじみなので大概の人がすんなり受け入れていますが、それが巡り巡って生徒会長権限での廃部断行判断がうまく飲み込めない要因にもなっています。
いやもしかしたら・・・敢えて描写を削ってるのかもしれませんね。後に生徒会長を多く描写せざるを得ない展開や人物が待っているから・・・なんてね。
亜美・真美!!!????
(生徒会のメガネ率高いの何か笑っちゃうな・・・小学生が考えた「我が校のブレーンたち」みたいで)
いや、生徒会長の描写自体が足りなかったわけではないんですよ。寧ろ、中川菜々ちゃんとしての普段の生徒会の様子、こんなコミカルに、そしてそこからスムーズに有能らしさを描いてくれるとは思わなくてこのはんぺん追跡シーンは個人的にグッときてるんです。
このシーンの何が良かったって、さっき自分が声を大にして書いた目線を合わせて対話するのがきちんと出来ているんです。同じ中川菜々ちゃんのシーンであるにもかかわらず。
融通の利かない頭コンコンチキの意固地生徒会長ではなく、単に追いかけ回して捕まえて一方的に追放するだけではなく、一度冷静になって、膝を折って目線を合わせて、追放される側の立場になって考えてみる。
この後の描写ではんぺんは体の良い言い訳で学園の放し飼いを事実上黙認されるのですが、その柔軟な対応に安心して愛さんが言った「良い屁理屈」が巡り巡ってこの後のせつ菜ちゃん自身を救ってくれる言葉そのものに繋がってくれていてとても感心しました。
せつ菜、やれば出来るんじゃないか。
何故それをスクールアイドル同好会に活かせない?・・・とは自分は言いません。そこに譲れないものがあるから、それに尽きることくらい分かってますから。
普段物事にあまりこだわりが無くても、自分が大切に思うものや人にだけ譲れない意思を断固持っている、そんな女の子をかつて見たことがあります。その娘は立場や境遇の違いからその娘の未来を自分勝手に案じてしまい、些細な事故から極端な判断を下してしまった自分を2年間も悔やみ続けた女の子です。
それに比べれば、今回のスクールアイドル同好会のいざこざは、短期決戦で終着した分全員軽傷で済んだと言えなくもないですよ。いやまぁ果林さんが早い段階で発破かけてくれたから今回の事態が広く露呈したわけだし、今さっきの自分の評価は前作と比べた結果論で間違いないです。
けど、けどね。
自分はアニメラブライブ!の全員が全員、いつも整合性の取れた判断や発露が出来ると思ってないです。
正直今回のせつ菜ちゃんと菜々ちゃんの葛藤は出来が少し悪いです。多くの方が仰ってるように、今回菜々ちゃんの行動だけ分析して見てみれば、自分の信じていた自分を他者から否定されて、拗ねて同好会から身を退いた挙句生徒会長権限で傍若無人にも廃部を言い渡し、せつ菜ちゃんについて真相を追う同好会メンバーから必死に匿い続けていた、としか受け取りかねない行動の不慮が見て取れました。
↑の「拗ねた」の部分は実際本人は罪悪感を十分に感じてますけどね。でもそれこそしずく・エマ・彼方・特にかすみんの4人からしてみれば、そう受け取りかねない同好会の晩節の汚し方というか、実際起こした彼女のアクションの不手際から伺える視野の狭さには、自分も少し呆れてしまいました。
廃部の部分については、本編の描写から何となく推察してフォローすることは可能ですけどね。例えば虹ヶ咲学園の部や同好会はその学校の規模の大きさ故、部員数が5人以下になった場合は自動的に廃部扱いとなるとかね。菜々ちゃん自身が「部員が5人集まれば部発足の再申請が出来る」と本編でも言っていたように、
クラブや部活動の活動実績を重視する高校でも
ない限り、部活動についての枠組みが最低限の条件のみで、それ以外は良くも悪くもかなりフレキシブルになっているのはうなずけます。
けどだとしても、欠員という廃部の直接的な原因となったせつ菜ちゃん本人が自分の正体をロクに明かさないままダンマリを決め込んで失踪し、正体が割れた後の菜々ちゃんも罪悪感こそ感じてるものの同好会メンバーと目線も合わさず対話を強引に終わらせるという措置を取ってしまったのは、彼女が生徒会長であれそうでなかったであれあまりに傍若無人が過ぎます。
本人はそのことに罪悪感感じてたなら、せめてあの場で謝罪、いやそれが無くてもせめてメンバーの方を向いて、何か会話してほしかった。
それだけなんですよ。自分が言いたいのは。
自分はね。アニメに向かって「あの時あのキャラがこうこうでこういう合理的な判断が出来ていない、次から失敗しないように行動するためには」とか「ここの整合性が取れていない、本来はああでこうだったからこういう行動をするべきで、だからこのキャラは不出来だ」とかって文句を付けるの、本来は苦手です。苦手というか、あまり好きじゃありません。
特に後者の「こういう正しい判断や行動が出来ないから戦犯〇〇(キャラ)」みたいなの、何だかすごく胃がムカムカしちゃうんですよ。
ロクに人と目と目合わせてコミュニケーションすら出来ないようなアニメオタクが何えらそうに犯人探しして人の行動に最適化求めてんの?というのが正直な所感なのですがそれ以上にそもそもあまりたられば論が生来あまり好きでないのかもしれません。後はまぁ単純に無粋なのもあるかな。
そりゃあアニメを観ている自分は傍観者だからあれこれ言えるわけですよ。
でもそのキャラにとってはその時下した決断が「自分は正しいと思ったからやったんだ」わけでね。やっちゃったもんは仕方ないし、以後失敗しないように考えるのは、俺たち視聴者の仕事じゃない。
ブチャラティかな?
自分はその時の判断が間違ってても、人生を自分らしく歩める人の気持ちを最大限に尊重したいといつも思っていたい。どれだけ時間がかかっても。
だって自分は、アニメを介してキャラクターという一人の生身の人間を観ているわけじゃないですか。自分と同じ人間が、一度も間違えることなく判断して行動できることを期待するなんて、あまりにおこがましいと思いませんか。
だからといってそのキャラクターはいくらでも他者に迷惑をかけてでも好きなように行動していい、そんな風には言いませんけど、作品のファンであればあるほど、無闇に期待を押し付けず、広い懐で迎え入れようという心意気もまた大事だと思いませんか。
(まぁぶっちゃけ・・・千歌ちゃんの2期7話みたいに、懐に入れる限界を超えてくる人もたまにいますけどね)
その時、その娘が正しいと思ったからそうした。侑ちゃんの言葉を借りますけど、それで良いじゃないですか。誰しも人間、間違いや過ちはあるんだから。一歩ずつ、その娘なりの歩幅で成長していけばいい。アニメという限られた時間の中で、少しでもその変化を垣間見て、あるいは傍観者の自分もそれを通して自分の行動を見直す。
それが出来るからアニメを観るのは楽しいし、ましてや犯人探しなんて無益なんですよ。
そう思うのは・・・自分だけでしょうか。
話が大きく脱線しましたが、今回のせつ菜ちゃんの動向の不遜っぷりは、指摘こそしますが詰りはしません。窘める、という形にはなるかな。アニメラブライブ!の脚本にキャラの行動理念や整合性を求めてはいけないことは旧作を観てきてもうかなり学習してきましたし、叩くとすればそれは・・・キャラをそんな風に形成した脚本に対して苦言を呈するくらいですかね。だからといって脚本家の方を非難はしませんけど。
何だか話が変な着地点に行きましたね。じゃあ閑話休題ということで。
ちょいちょい準レギュラーみたいな立ち位置で登場してくる愛さんと璃奈ちゃん、可愛いですね。今のところ二人とも髪色以外は概ねキャラクターとしての個性をかなり抑えめで描いているので、メタですがメンバー加入回にはその反動でかなり色濃くキャラクター性が発揮されるのでは?そういう意味ではアニメニジガクはキャラ作りが本当に丁寧というか、繊細に扱っているように見えますね。あくまでリアルの女子高生の延長線みたいな形でキャラを引っ張ってきていたり、改変させずにじっくりと思考させたりしています。初見さんに優しいですね。
今週の果林さん。遂に本格的に同好会に首突っ込み始めてて、初見さんは流石に「いやお前結局何者やねん」とツッコミ入れざるを得ないんですが、いよいよ同好会の全員と顔合わせして何か幅利かせ始めましたね・・・マジで単に自分の友達が入ってる部活に口出ししたいだけのイキリオタクに見えなくもなくなってきた・・・まずいぞ!
というかここ歩夢ちゃんが真顔で果林さんと接してるの面白くない?あんたあの人に痴態見られてんだよ分かってる?「えぇ〜!何であの時の知らないお姉さんがここにいるのぉ〜> <」くらい恥ずかしがることもなく・・・話し合いの状況が状況だったのでまぁええか。
しかし今回の果林さんに限っては、先述したようにだんまりを決め込んでいたせつ菜ちゃんにかすみちゃんとは違う形で徹底抗戦をしかけた点では立役者といえます。少ない言葉数ながら堂々とした態度で同好会の意思確認を合わせ、それまで一方的にせつ菜ちゃんに黙殺されていたのを侑ちゃんフェーズへとスムーズに移行させる様はかなり巧みだと思いました。親友のエマちゃんの為、という名目であれやこれやをお膳立てしてくれていますが、果たしてそれはどこまでが真意なのか・・・気になるところです。
上級生の「かわいがり」に不慣れなかすみちゃん。圧力や権力にはめっぽう弱くて媚びへつらち、自分が立場が上と分かると途端に踏ん反り返るこの小物感。かわいい。「コッペパンどこから出してるかって?うら若き乙女の秘密ですッ☆」みたいな、ね。乙女はいいけどせめて良い保存状態は維持してくれよな。
果林さんの言う通り、しずく・エマ・彼方の3人と2代目スクールアイドル同好会メンバー3人が合致したことで6人になりスクールアイドル部は再申請可能ということで、事実上は何の問題もありません。ですが釈然としないのは、依然菜々ちゃん=せつ菜ちゃんの動向です。
同好会メンバーが(かすみちゃん以外あまり自己主張の激しいメンバーがいなかったのもありますが)はっきり異を唱えられなかったのは、せつ菜ちゃんの中の「大好き」そのものは否定していなかったということです。違かったのはそのやり方や温度差のみで、せつ菜ちゃんが徹底して勘違いしているのはそこです。彼女のその熱心な練習のさまが、奥底にある「大好き」を表現する気持ちをとことん突き詰めていたい心情をそのまま吐露していたことをみんな認めているんです。端的に言えば、優木せつ菜はきっと良いスクールアイドルになれると、同好会メンバーはみんな認めて、信じてくれていた。
なのに彼女はどうですか。「皆さんの大好きを奪った」と仲間の思いを汲み取ったフリをして活動休止を言い渡し、自分の心中真意をどこの誰にもこぼすことなく、自分だけお披露目ライブで「CHASE!」を披露して廃部を決定、挙句雲隠れしてしまった。
彼女が責任感の強い女の子なのは分かります。誰かからの期待を背負って生きてきた喜びも陰りも、彼女なりに自負している部分もあるでしょう。だからこそ自分が「大好き」なものを携えるのと同じくらい、他者の「大好き」の陽陰も感じ取れる敏感な人なのもよく分かります。だけど彼女は本当に大事な場面で起こすアクションが極端過ぎた。
真面目で内向的な人にありがちですよ。一度でもちょっとつまづいたり失敗したりすると、「世界は何一つ自分に振り向いてはくれない」と極端な不信感を出して、失意と自責の末に何もかも全てリセットしてやり直したくなる。自分もここ数年は全く同じ経験を重ねてばかりなのでよく分かります。
何より彼女が悔やまなければいけないのは、彼女は彼女を信じてくれるメンバーのことを信じられていなかった。そこにあります。
どういう経緯でスクールアイドル同好会が発足されたのか描写が無いので定かではありません。1年生が2人も在籍しているのを鑑みて恐らくは長い付き合いではなかったはずで、ロクに人となりも知り得なかったことでしょう。だからこそ、目線を合わせて対話して、折り合いをつけていかなきゃならない。同調しろ協調しろとは言いませんよ。けど一度そこにわだかまりを感じたのなら、せめてその居場所だけは無くしちゃいけない。
それ見たことか、せつ菜ちゃんよりも一歩先に成長の兆しを見せたのは、居場所を守り続けたかすみちゃんです。彼女は何よりも先に「スクールアイドル同好会」というネームプレートを、居場所を守り続けていました。まぁ半分私物化はしてたけど・・・第2話の感想で敢えて書いてなかったですけど、かすみちゃんとせつ菜ちゃんの違いはそこです。
大体、諍いのシーンでもしせつ菜ちゃんの押し付けが本当に他のメンバーを傷つけていたのなら、同じく反論しあったかすみちゃんの「かわいい」の押し付けに他3人も傷ついていたり、「いやそれも違うでしょ」と反論していたはずでしょ。どっちかが押し付けで誰の何の意見が正義なのかはこの際置いといて、部室そのものを閉鎖して、対話を終わらせて論じなくしてしまっては、せつ菜ちゃんの言う「わがまま」以前の問題になるんです。分かりますか、せつ菜ちゃん。あなたに言ってるんですよ。「大好き」を大切で正直なことだと思うのなら、正直な気持ちを最後まで仲間に伝えないことは仲間を信頼していないことであり、また信頼していない自分を信頼できていないということを忘れないでください。
お説教終わり。
不出来でもいいんです。
不十分でもいいんですよ。
どれだけ不器用でも、不都合にまみれていても。
失敗と後悔を繰り返して、その都度自分で自分に言い訳して、誤魔化して。何度も何度も、何色もの自分を複製して、都合良くすげ替えて。
七回転んで、仮に八回目に起きれなくても、八回目もまた倒れられたら人生儲けもんです。大切なのは「どんな形でもいいから八回目にまた踏み出す勇気」です。これはミルキィ☆ホームズが教えてくれた、大切な教訓です。その勇気を、切なる願いをきちんと言葉に乗せて歌に乗せて、拳に乗せれば、手のひらで受け取ってくれる人がきっと必ず、現れます。その時こそが新しい優木せつ菜の誕生ですよ。
そしてその「大好き」を受け取ってくれる人こそが・・・
もうお分かりですね。高咲侑ちゃんです。彼女はずっと、それこそ優木せつ菜が生徒会長中川菜々であることが発覚してからもずっと、そこに一切の重責や罪悪感を無視して、純粋に「せつ菜ちゃんのファン」として彼女に接していました。
それにしても彼女、ピアノ弾けないんですね。侑ちゃんはこれまでの2話でもスクールアイドル同好会のサポーター役として地盤を築いて立ち回ってきた以上、具体的には楽曲作りの一助となるであろうと思っていたのですが(スクスタはその立ち位置がストーリーを大きく動かす軸にもなりましたし)、この調子だと無理そう・・・まぁこのアニメニジガクがアニメラブライブ!の伝統を踏襲しないスタイルを考慮すれば、別にピアノスキルが無くても作曲自体は可能ですしね。アニメサンシャイン‼︎でも梨子ちゃんがPCのコンポーザーで作曲調整してましたし、今回のアニメのコンセプトであるソロ活動中心の動向次第では作曲して一つのグループとしての歌を作り上げる為のスキルはほとんど必要無いのかもしれません。
いやあしかし、音楽室での出会いというものはアニメμ’sを彷彿とさせて感嘆の声を上げましたね。かく言うせつ菜ちゃんの心境はあまり穏やかではありませんが、やはり「音楽」を通じてスクールアイドルを志すというのはどのシリーズのアニメラブライブ!初期展開を見てみても本当に良いものです。
(ラブライブ大会の)ステージに上がる為の条件は、
メンバー全員が一体となって一つの歌を歌うこと。
うーん・・・いや、そうかぁ?
このシーンでせつ菜ちゃんがラブライブ大会についてふんわり言及しててそれを整理すると、
・ラブライブ大会は全スクールアイドルが夢見る憧れのステージ(これはアニメシリーズ一貫で共通)
・勝利の法則として(俗に言われてる?のは)グループがどんな形であれ一致団結して同じ歌を歌う(これまでのアニメラブライブ!で言及されていたオリジナル曲限定ルールは言及されず)
アニメラブライブ!の悪い特徴として、タイトルにもなっているラブライブ大会の肝心要の規模や運営体制がいつも曖昧で説明不足なのはありますけどそれはさておき、勝利条件が一致団結して歌い踊るというのはぶっちゃけダウトというか・・・せつ菜ちゃんが歴代大会優勝者の威光を信じてしまっているようにも聞こえます。
例えばμ’sもAqoursも、どんな着地点であれどこかでラブライブ大会に優勝したいという目的意識が合致する瞬間がありました。実際シンガーソングダンスユニットという観点でみれば歌や踊りを一人ずつ同期させる必要はあり何もおかしくはないのですが、だからといって一人一人が個性の塊であるグループが各々の方向性の曲を披露しても優勝の可能性の光が一筋も見えない、ということもないと思うんです。
こういうこと書くと天邪鬼みたいだけどね。認識としては確かに「スクールアイドル」が高校球児なら「ラブライブ大会」は甲子園、というので間違ってはなさそうだけど、だけど勿論甲子園と全く同じではないし、多様性や自由な「大好き」を重んじるアニメニジガクの先進的な方向性に、ラブライブ大会側だけが伝統的に古びた価値観のままついていけてないというのは妙な時代錯誤を感じてしまうのは自分だけでしょうか。
μ’sやAqoursのことを一度も言及していない故アニメニジガクがどの時系列なのかどの世界線なのか未だ定かではないから何とも言えませんが・・・
というかせつ菜ちゃんは本当にラブライブ大会に出たいと思ってたの?本編中ではスクールアイドルである以上誰しもが目指さなければならないみたいな言い方してますけど、それと同時に「あなたもファンなら(せつ菜に)出てほしいと思ってるんですよね?」って妙に客観的というか、間接的な言い回しで少し引っかかるんですよね。いやこのシーンでは侑ちゃんに中川菜々=優木せつ菜とバラさないためにそういう聞き方をしてるのは分かってるんですけど。
菜々ちゃんは同好会を辞めることで自分の中の優木せつ菜から距離を置き、他人の空似、どこか遠い存在になってしまったよく似た別人のように捉えつつあったのでしょうか。
ですが、その距離の開いてしまった鏡合わせの二人を、彼女は引き戻してくれました。
「私は、幻滅なんてしてないよ。」
その言葉を言ってほしかった。
自分も幻滅なんてしてないですよ。せつ菜ちゃんには。自分の大好きなアニメのキャラがちょっと極端なやり方をしたくらいで幻滅なんてしません。そんな簡単に幻滅できるほど自分は偉くはないです。
上でも書きましたが、今回のいざこざは短期決戦で片付いただけマシではあるんですよね。せつ菜ちゃんが思い込んで、大好きな気持ちを大好きなままで閉じ込めて、生徒会室にネームプレートごと塞ぎ込んだ。そのやり方があまりにも急転直下というか極端だっただけで、彼女の気持ち自体はとてもよく分かります。まぁ初期からのニジガクファンはかねてからせつ菜ちゃんがかなり有能に立ち回ってくれる!と期待していたかもしれないとしたらそこは裏切る形となりましたが、自分は何というか・・・要領の良い人にほど距離を感じちゃうので。
侑ちゃんは中川菜々がどんな人であろうと、優木せつ菜が笑顔で歌い踊ってくれることを信じてくれていました。
侑ちゃんにとってのせつ菜ちゃんの は、責任とか、ラブライブ大会の夢を追いかけるとか、「大好き」のせいで周りを振り回してしまうことは主眼じゃないんですよ。だって自分が今その「大好き」の拳に振り回されてなお胸がときめいているんですから。そんなことは百も承知です。
彼女が優木せつ菜に望むのは、
中川菜々に望むのは、
「期待」でも、「大好き」を押し付ける恐れでもありません。そんな小手先の心配なんかどうでもいい。たかだかそんなもの、全部受け止めてみせる。ステージに乗せたら、そんなものすぐに流されてしまうようなーーー
ステージで笑顔で踊ってほしいという純粋なときめきの暴力です。
この時侑ちゃんは「そんなくらいなら、ラブライブなんて出なくていい!」と言いました。この言葉・・・ねぇ。
ただ侑ちゃんはあくまで「選択肢」を勢いで提示しただけなんでね。その辺が「良い屁理屈」だなって。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年10月17日
「もうこの同好会は多様性を重じてラブライブ大会には出ない!」って断言も、宣言もしてないし、できないし、出来る立場じゃない。
だからこそ言える、その「選択肢」の赦免は鮮やかでした。100点。
何かでもみんな「アニメニジガクはラブライブには出ない、これは改革だ革新だ大変革だ」って凝り固まって考えてそう。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年10月17日
もう一度言うけど侑ちゃんはそうは言ってないし、
それを言える立場では(まだ)ないし、
「あなたがあなたらしくいられないのなら、ルート自体を見直そう」って言ってるだけですよ
侑ちゃんはあくまで「せつ菜ちゃんを縛りつけるものがあるのなら、そんなものはもう望む必要無い」と言いたかっただけです。本人が言った後で取り繕うシーンがあるように半分言葉の綾を含んでいるだけで、今までのアニメラブライブ!の常識を覆す大革命だ‼︎みたいに捉えるのは、それは間違いというか早計だと思ってます。
というかそれでいったら「ラブライブなんてどうでもいい」って言った人はどうなんのさ・・・って話じゃん。その後あっさり優勝してるし。何?なろう小説?
この侑ちゃんがせつ菜ちゃん(菜々ちゃん)を呼び出すシーン、個人的にはすごく好きです。同好会のメンバーが首を突っ込まず陰で見守ってるところもそうですが、この二人を見てると千歌ちゃんのとても美しくて力強い、芯の部分を見ているようでね。
侑ちゃんは、「過去に何があったかは知らない。でもとにかく、あなたにあなたらしく笑顔になってほしい。その為にはまずこの手を握ってほしい」と願う、アニメ1期2話の千歌ちゃん。
一方せつ菜ちゃんは(少し似通っている程度ですが)、「自分の力を信じてくれた人たちを自分自身が信じることが、可能性を広げる最後のヒント」だと気付く千歌ちゃん。
自分、(2期7話以外は)千歌ちゃんのことすごく好きですよ。とっても泥臭くて人間臭くて、だけど「他者の持つ夢」というものにとても深い慈しみをもって寄り添ってくれる彼女のこと、すごく好きです。
侑ちゃんは菜々ちゃんがせつ菜ちゃんでいることを快く認めた時に「ようやく会えた」と言いました。地味にこれもグッときましたね。
今まで侑ちゃんの中で優木せつ菜というものは言わばステージの上の憧れそのものであり、自分には決して届くことのない、身近でありながら遠い存在だと思っていたのでしょう。
しかし今彼女は、優木せつ菜と同じ目線の、「同じステージ」に立っています。だけどそれは「スクールアイドルとそのファンという関係」が壊れるということではない。両者がお互いを信頼し合って、背中を預け合って作るステージを高咲侑は望むと同時に、せつ菜を「大好き」の呪縛から解放してくれます。
観客席から飛び出したファンの掌が、ステージのスクールアイドルの拳を受け止める為の最初の一歩。
だからこれは、新しい切なる勇気を歌う歌。
せつ菜ちゃんのソロ曲「DIVE!」は、そのシンプルなタイトルとは裏腹に、今までの彼女のソロ曲同様圧倒的な迫力と歌唱力と情熱で織りなされるロックチューン。
しかしその炎々と燃える焔とは対照的な青空と深海を潜っていくPVは、中川菜々が自身と向き合い、誰にも縛られない、全力で最高の「大好き」を胸の奥底からサルベージしてくるという意味が込められているのでは、と思います。
いやぁ、やっぱりアニメでアニソンロック聴くの良いなぁ。特にこの「DIVE!」はあの有名なロックバンドSPYAIRさんのメンバーさんの方が作曲担当してくださっていらっしゃって、初見で聴いた時「おいおいアヴリル・ラヴィーン並のロックチューンやんけこんなん漏らすわ・・・」と鳥肌立っちゃいました。合いの手の「WAO Oh-Oh」って部分も女の子らしいロックに仕上がっててガンガンノっていけてもうほんと素晴らしい・・・
★まとめ★
今回のまとめです。いやぁ書いた書いた。3話だけあって今週も見所盛り沢山でしたね(これ毎週書くんだろうな)
第3話、総括としては
85点です。
それなりに減点はしてますが、これは勿論せつ菜ちゃんの極端ムーヴメントによるものです。誰かの何かに振り回され、あるいは背負い、縛られて、そして何より自分の中の「大好き」に臆病になってしまったその結果、視野が狭くなってしまったせつ菜ちゃんが取った言動は誰とも目を合わせず対話を終わらせるという、自分にとってはすごく寂しくて、悲しいものでした。
しかしそこに果林さんが上手く切り込んでくれ、その意思確認を共有した侑ちゃんが彼女なりの、純粋なまでに新しいとも感じるような「あなたの「大好き」を受け止めてあげる」という"存在の余地"を作ってあげたことで、せつ菜ちゃんは改めて自分の思うままに、「大好き」を発露していく決心がついたわけですね。
「せつ菜ちゃんのステージが大好き」という思いが皮肉にも「大好きを表現出来るスクールアイドルが大好き」という欲望を解放せしめる、というのはシンプルでありながらアニメラブライブ!において限りなく王道に近い「ときめきのぶつけ合い」であり、その鮮やかな流れとソロ曲「DIVE!」への収束にして力強く彩られる迫力は、「これでいいんだよ」と言えるような原点じみた安心感があって、すっごく・・・すっごく良かったです。
一方で、今回は「ラブライブ大会」というキーワードが出てきておきながら、本作主人公である侑ちゃんはそのキーワードに縛られないスクールアイドルの新しい在り方を力強い言い方で提示しており、やはり侑ちゃんの主人公としての特異性とアニメニジガクの「今までの様式美を見直す」スタイルの地盤がより強固になっていると感じました。この辺りはどう収束していくのかとても気になるところですね。
自分は中川菜々ちゃんも、優木せつ菜ちゃんも、両方在って初めて成立するものだと思ってます。どちらかが有能でも、どちらかが不十分でも、あるいはどちらも補う必要のある女の子であってもいいんです。
だからどうか、あなたの熱い思いを受け止めてくれる人だけは、見失わないでほしい。見失っても、閉じこもらないでほしい。
そうすれば、あなたが愛したMELODYを追いかけてくれるCHASERが現れるはずです。
その時あなたが歌う「LIKE IT!LOVE IT!」はきっと・・・より一層多くのファンに深く、正しく、強く届く最高の応援歌になるはずです。
だから、これからもよろしくね。菜々ちゃん、せつ菜ちゃん。
いとふゆ
(16870文字)
written by Sunny Road
前回、第2話の感想記事はこちら↓
https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/10/16/194626