Sunny Record

アニメラブライブ!の、私見会場です。

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第8話「しずく、モノクローム」感想 〜デビル メイ クライ〜

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Amethyst de Ressentiment .

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後、お見知りおきを。

 

 

 

さて、そんなこんなで今回もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第8話の感想をこちゃこちゃ書いていきます。今回は「しずく、モノクロームのサブタイ通り、しずくちゃんに焦点が当てられる回ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログは、私Sunny Roadが個人の感想と見解を思うがままにぶちまけただけのアニメラブライブ!私見会場となっております。

この記事の全文に一切の説得力も、見当違いによる責任能力も有しませんことをご理解の上、斜め読み程度にご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

何とこのブログ、アクセス数が増えてるんです。自分はTwitterもやっていて(@Elysia_Sunny)、毎回ブログを投稿する際にURLを貼ったツイートをして何度か宣伝もしたりしてるのですが、いかんせん自分はフォローもフォロワーも厳選してマイナーなコミュニティを維持してる人気ユーザーとは程遠いアカウントなので「一体どっから嗅ぎつけてくるんだ」といささか疑問です。感謝よりも先に疑問が優ってしまう、「?→Heartbeat」とはこのこと。いやはや、とにかくご覧いただきましてありがとうございます。マジで励みになります。

 

 

 

 

 

 

 

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さて、兎にも角にも今回は1年生の桜坂しずくちゃんがメイン回です。前回に引き続き、この記事もシーンを順に追いながらツッコミや論考するのではなく、ちらほらとシーンをかいつまみながらしずくちゃんにフォーカスを当てて人物像を考えていきます。

 

 

 

 

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そもそも彼女はエマちゃん・彼方ちゃんと同様にスクフェスからの移籍組のメンバーですね。キャラ設定はそのままに、見事虹ヶ咲メンバーに選ばれCVで命を吹き込まれ、スクフェス初期の少し古臭いギャルゲのヒロインみたいなイラスト時代の頃から彼女を知っている身としては涙ちょちょ切れまっせ・・・といった親心。

それもあってか、今回も藤黄学園というスクフェス発のキャラが友情出演していましたね。お嬢様口調でお上品な佇まいの綾小路姫乃ちゃんと、クールでボーイッシュな印象を受ける紫藤美咲ちゃん制服のデザインや髪型、喋り方なんかも一緒で、何か下積みアイドルが一気に日の目見た気分になって万感の思いです。いや実際ほぼそういうことなんやけど。

演劇の方もさることながら、どうやら虹ヶ咲スクールアイドル同好会という未知の部に強い興味と余裕な態度を示している辺り、ライバルポジションの見方が強いですが・・・ニジガクちゃんは彼女らともしのぎを削るのか、それとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今回しずくちゃんという人物を知っていくにあたって、自分はこれまでのお話で彼女の人となりが敢えてあまり明るみに出ていないことが逆に担当回で繙かれることで非常に効果的になるのでは、と思っていました。

アニメではしずくちゃん同好会を一時廃部に追いやられるも、せつ菜ちゃんとの説得のやり取りはそれほど前に出て積極的に意見交換もしていませんでしたし、新生同好会になった後でもかすみちゃんの良き相談相手としてはいたものの、スクールアイドルとしての個性を敢えて剥き出しにしていないのではないかと疑ってしまうほど、彼女はどの空気にもそれ相応に馴染んでいた。それなりに深夜アニメオタクをやっているせいか人気者やムードメーカーより周りの空気に上手いこと溶け込んでいる人ほど注目してしまう逆張りみたいな癖があり、逆にしずくちゃんの言動一つ一つが気になってしまうのが今回彼女を思う時に功を奏したと思います。

 

具体的には、しずくちゃんが4話で新生同好会の活動方針の拭いきれない不安を吐露した際の「ステージでは一人」という言葉なんですね。

そもそも彼女は演劇部と掛け持ちをしててスクールアイドルに自分を割く時間も人より少ないにも関わらず、今まで特に積極的に発言をしてこなかった彼女が何故あの時だけはそう言ったんだろう、と何となく引っかかりを感じていました。しかし4話ではその不安こそが愛ちゃんアイデンティティを考える重要なキーワードとなり、そのまま愛ちゃんの持つパワーで何となく有耶無耶になっていました。

このアニメの世界では「スクールアイドルは多人数グループでなければいけない」というルールや概念があるのか謎ですが、真面目で努力に熱心な彼女ならそもそもアイドルはソロでやっている人も沢山いることくらい知ってるでしょう。なれば彼女の心配は杞憂であり、単にシナリオ上のト書きとして愛ちゃんの愛デンティティに携わる為だけに用意されたおためごかしのようなものとして受け取ってしまうことになります。自分はそんなメタな言葉として受け取りたくないから、しずくちゃん人一倍ステージに一人で上がることに不安を感じてしまっているのかと踏んでいました。

 

 

いやでもそれだとおかしいんですよ。演劇部を掛け持ちするくらい舞台に上がること、舞台で表現することに慣れてしまっている女の子が、何故スクールアイドルのステージに上がる心配をするのか。

「好きでやっていることだから」しずくちゃんは掛け持ちのことを尋ねられる際答えます。ああなるほど、たとえ好きでやっていることでも割り切れない、拭いきれない緊張感は舞台にはきっとあるのかもしれないんだと、お舞台劇にまるで素人の自分は半分勝手に納得していたんですよね。

 

がしかし。

 

 

 

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冒頭からしてやられました。ほらやっぱり。

しずくちゃんの中にはもう一人の、自意識を批判する自分絶えずせめぎ合っていたんですね。これが今回のお話のキモとなるのですが・・・いやあ改めて見ても今回、この掘り下げ方はあまりにも意外で斬新だった。もちろん良い意味で。

先んじて書きますがこの8話、ぶっちゃけアニメラブライブ!の枠からはかなり飛び出したお話に思えます。しかしそれでいて誰しもが一度はぶち当たる、10代特有の自意識に対する悩みという枠組みからははみ出さない見事な構成に仕上がっており、アニメラブライブ!の青春の青臭さとほろ苦さを残した旨味が、もう、凄まじい。素晴らしい。かなり挑戦的な試みでありながら30分で綺麗に仕上げた、良い余韻を残した快作回です。

 

 

 

 

 

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しずくちゃんは演劇部の部長から、次の舞台の主役の降板を言い渡されます。この演劇部の部長、1話で並々ならぬエリート感を醸し出していて界隈では湧いていたのですが、同様に1話での演劇部の練習風景を見ても、しっかりしずくちゃんの演技を見て判断しているという部長職のリーダーシップらしさも読み取れますね。

 

部長曰く、「今回の役は自分を曝け出す感じで演じてほしい」とのこと。ということは、(少なくとも部長の観点では)しずくちゃんの演技は自分を曝け出す感じの演技ではなかったということになります。部長さんが彼女の演技から何をどれほど読み取れているのか、そしてその目利きが正しいものなのかはここでは重要ではありません。その降板理由を聞いたしずくちゃんが、思い当たる節があるように納得した上でチャンスを乞う、これが重要です。つまり、しずくちゃん敢えて自分を曝け出す演技をしてこなかった(自覚があった)、その理由が今回自身をストーリーテラーとして語るのです。

 

 

 

 

 

 

 

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しずくちゃん本人曰く、彼女は昔からレトロな映画や演劇が好きだったらしい

スクフェスでそんなこと言ってたっけ・・・?

まぁきっかけはともかく、彼女はその好きなものが周りと少し違うことで変に思われる、奇異な目で見られることに常に不安で怯えていました。そしてその結果、彼女は数多の役柄を「演じる」ことで偽の自分をいつも上塗りしている。

他人と違うこと、それが原因で「うわ、何だこいつ」と思われること。なのに自分は好きな自分を自分で否定したくないこと。

すごく分かります。オタクには十二分に共感されますし、オタクじゃない自分でも人一倍理解できます。というか誰にでも当てはまる、誰しも一度はぶち当たる悩みですよこれ。

大人になって時間が経って、感性が変化して周りに気を取られてる場合じゃないほど自分の人生に忙しくなった今でも思い悩む人は思い悩み続けてます。それにほら、

 

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思い悩んだ結果自分なりの打開策を見つけた女の子だってすぐ傍にいるんですよ。

璃奈ちゃんボードしずくver.、良いですねこれ!自分の表情の乏しさをコンプレックスとして捉えずある種開き直ることでこうしてネタ活用っぽくすることも出来る。これはもう克服と言ってもいいですよね。こういうのをさりげなく差し込んでくる辺り、アニメニジガクのキャラ掘り下げの丁寧さと愛が伝わってきます。

同好会としては後発組の璃奈ちゃんがこうしてしずくちゃんにくだけて接してるのも、知らない間に打ち解けあった1年生同士の友情が芽生えてて微笑ましい。

 

で、その璃奈ちゃんしずくちゃん同様自分の何かが人と違うことで、真っ直ぐな自分で人と向き合う、自分の内面を表すことが難しくなってしまったんですよ。

 

 

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璃奈ちゃん本心を表情に表せない。

しずくちゃん本心を出すことに怯えて「演者」としての表現しかしない。

 

「出来ない」と「しない」では大きく違いますし彼女らのコンプレックスは一見似て非なる、対照的なようにも見えますが、実は本質は同じです。自意識の自己嫌悪。考えれば考えるほど答えは出せなくなり、答えが出せないから躍起になって考える悪循環。そうして悩むうちに、自分そのもののことが分からなくなり、分からないものをひけらかすことに自信が無くなる、意味も価値も分からなくなってくる。本心と本心のぶつけ合いが怖くなって、避けてしまって、やり過ごして、楽な方法をつい選んでしまう。璃奈ちゃん人付き合いを避け、しずくちゃん張り付いた笑顔を浮かべることでその場をやり過ごす。

 

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今回の展開的にかすみちゃんが察知→励ましの実行までの立役者として賞賛されがちですが、自分はどちらかと言えば璃奈ちゃんMVP賞をあげたいですね。しずくちゃん本心への共感に一番深く、優しく寄り添っていたのは誰でもない璃奈ちゃんであり、そしてそれが出来るのが彼女である理由もきちんと前の6話で説明されている。

しずくちゃん本人には真正面から向き合わないというのも奥ゆかしさを感じて良かったです。自分の本分を弁えてる・・・というと何だか謙遜みたいですが、心を掴む為の適任がいるときちんと判断出来ているんじゃないかな。かすみちゃんに自分の似たような境遇を話してしずくちゃんが入った本心という名の段ボール箱に掌を差し伸べることが出来る人物を示唆するというのは、1年生3人組の思いやりと心の暖かさを感じずにはいられません。だってそのやり取り、璃奈ちゃんボード付けなくても伝わってたんだもの。

 

 

 

 

 

 

 

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じゃあそのかすみちゃんはさぞかししずくちゃんの心を救ってくれるヒーローじゃなかった、理想のヒロインになれたのかと言われれば、そんなことはないんですよ。

このシーン、アニメラブライブ!屈指の名作回であるアニメμ’s一期8話の絵里ちゃん勧誘シーン(ひいては、元ネタである「僕らのLIVE 君とのLIFE」PVのワンカットでもある)のオマージュでファンはもう大歓喜だったのではないでしょうか。自分もすぐに気付いてまーた8話繋がりでニクい演出を・・・とニコニコしながら思っていました。というかもう少し言えば「何だ、アニメラブライブ!シリーズの踏襲もきっちりちゃっかりやるんじゃん」とも思いました。アニメニジガクは何もかもがオリジナリティ溢れる要素やストーリーラインで一貫していたのでね。本心を見せてほしいと願う女の子が窓際一番後ろの席で燻っている女の子の手を引く、このシーンはアニメラブライブ!の十字架として一生語り継いでいきたいですなぁ。

話逸れちゃった。それでは逸れたついでに、先にしずくちゃんの内面について書きましょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「自意識」って何でしょう。

「自分」って、そもそも何なんでしょう。生まれた時から自分は自分で、物心ついた時から備わっている。環境や出会う人によって変容はしても、死ぬまで必ず手放すことはない。

最も難しくて、だけど最も面白くて、実は簡単な所に答えは落ちてるもの。それが「自分」です。人間みんな誰しも「自分」を考えるたびに、手を変え品を変え、遂には答えを出せず、いつしか考えるのを諦めてしまうような、パラドックスの階段をぐるぐる歩くような感覚に陥ります。

そこまで考えると何だか「自分」探しの旅は哲学みたいですが、その哲学書さえも哲学者その人の「自分」の自分なりの考え・解釈であり、自分晒しの一端であり、正解ではありません。

では、哲学者たちはどんな理由で「自分」を探したのでしょうか。誰かに「自分」を探せと求められたからでしょうか。違うはずです。自分で「自分」に興味があったからです。

 

 

 

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しずくちゃんは自意識と、自意識の下に隠れた本心の自分を引き出すことにずっと怯えたままでいました。そして今回のお話で演劇部部長にそのことを指摘され明るみに出るのですが・・・よく聞いてみると演劇部部長さんは「自分を曝け出す感じで演じてほしい」とは言ったものの、「自分を曝け出してほしい」とは言ってないんです。これはよく似ていますがれっきとして違います。そう、あくまで演劇部部長さんは「演劇」をしてほしかった。

にも関わらずしずくちゃん「演劇をしている自分が「曝け出している自分」なんです」とは言わずに、「もう一度チャンスをください」と言いました。何故言えなかったのか。思い当たる節があって引け目を感じているのなら、何故それでもなお演劇にこだわるのか。ステージの上で表現する方法を、スクールアイドルさえも諦めないのか。

 

 

答えは簡単です。彼女は演劇が好きで、スクールアイドルが好きだからです。本心を見せなくて済むから両者を好きになったわけではなく、好きになった両者がたまたま本心を隠したまま表現できる"隠れ場所"だっただけ。順序が逆なんですね。

彼女は周りから変に思われることにずっと囚われていました。しかし演劇という舞台の上では、「役柄」が隠れ蓑になる。演じれば、周りはそれが彼女のやりたいことだと認識してくれる。転じて、「桜坂しずく」という"当たり障りのない役"を演じれば、誰しもが奇異な目で見ない利口な女の子になれる。

 

だけど彼女は今回「本心を曝け出す役を演じろ」と命じられました。命じられたわけじゃないね、役柄を求められました。本心を隠す為に演じることを選んでいた彼女にとって、それはクリティカルヒットパラドックスです。でも、演劇そのものは好きで自分のやりたいことだから、役を降りるわけにはいかない。となれば自分と向き合って、自分を曝さなきゃいけない。真面目で練習熱心なしずくちゃんは、今まで怯えて目を背けてきた本心の自分、本来の自分と向き合おうとします。

 

でも、できない。幼い頃からずっとそうやってきたから。いざ向き合おうとすると、恥と外聞が耳に入る先の見えない不安が、どうしようもなく付きまとう。変に思われる。利口な女の子だと慕われなくなる。今まで張り付いた笑顔の仮面を付けて生きてきたから、それに甘んじて過ごしてきたからーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「何甘っちょろいこと言ってんだぁー!」

 

かすみちゃんの励まし方、不器用で何一つ寄り添えず効果的でなくて大好きです。このシーン4回リピートしちゃったよ。自分は安易に人と人とを番にしたがる恋愛脳ではないのでこの辺のやり取りは百合などではなく友情や絆として受け取っていますが、それにしたってこのかすみちゃんこの容赦のない自分語り。もう最高。いやお前・・・人励ます気あんのかよって。慰める気あんのかよって。しずくちゃんからしたら「あんたのことは知らんがな」ですよ。

でもそれでいいんです。それが良いんです。

 

 

 

 

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かすみちゃんは2話で書いた・・・かどうかは忘れましたが、誰が何と言おうと、自分で自分のことは「かわいい」と思う女の子です。強い。たとえ世界が滅んだってかすみちゃんがかすみちゃんをかわいいといえばかわいいんです。自分に自信がある、というのもそうですが、自信のある自分を声を大にして言える、本心を怯えて隠し続けるしずくちゃんとはまるっきり対照的な女の子なんですよね。

でも彼女がここで言うように、「かすみんのことをかわいいと言ってくれない人もいる!」と、否定する人たちを認識している。認識した上でも、かすみんはかわいいをやめない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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大体

 

しずくちゃんは多分、一つ勘違いをしてるんですよ。恐らく、本心を曝け出すことが、演劇で一番大切なことだと、ラスボスのようなものだと思い込んでいる節がある。

違います。違うんですよ。これは演劇に限ったことじゃないんですけど、

 

 

一番大切なのは、「見てもらうこと」です。

 

 

しずくちゃんが気にしていること、不安に思っていることってとどのつまり、見た後の話なんですよ。変に思われる、避けられる。そんなものはやった後にまた考えればいいんです。

 

本心を曝け出すことが、演劇で最も大切なこととは限らない。スクールアイドルに最も大切なこととは限らないんです。

 

勿論それが一番手っ取り早いです。だけどその分、リスクが伴います。それがかすみちゃんの言ってたことです。かわいいと言ってもらえないかもしれない。変に思われちゃうかもしれない。でもだからって、演劇は辞めちゃう?スクールアイドル同好会は退部する?友達付き合いも全部断る?違いますよね、しずくちゃん

 

人間そんな極端に行動出来るほど上手くできていないんです。何なら大人になるにつれ、そんな外聞にいちいち構ってられるほど心の余裕も無くなってきちゃいますよ。

 

 

 

 

 

 

 

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かすみちゃんは別に、しずくちゃんに本心を曝してほしいから励ましたわけじゃないんですよ。いやまぁそれも何割かはあるんでしょうけど、少なくとも本懐ではないでしょうね。

かすみちゃんがこの甘ったれと言ったのは、体のいい言い訳をして自分の好きでやりたいことの大事な局面からも逃げようとしてることにデコピンをかましたんです。

「しず子とかすみんの仲でしょ!」と言ったのは、かすみちゃんしずくちゃんのことを「ステージの上では一人」という、同じ境遇を感じながらもステージに立つ同好の士だと思っていたはずだからです。

なのにそんな、ステージに立つ前にステージに立った後のことでウジウジ悩んでる姿は、同志として情けない。

 

 

 

その心中を探る証拠として、かすみちゃん「そんなことないよ」という類の意味の言葉を一言もかけてあげてないんですよ。そんな慰めの仕方あるかって話ですけど。しずくちゃんに対して「そんなことないよ、しず子は今まで通りステージに利口な女の子でいればいいよ」という言葉をかけてあげて、寄り添ってあげてない。ということはつまり、「本心を曝せば変に思われるかもしれない」という不安は、かすみちゃんも当然のようにステージで感じてるんです。

 

だけど、やる。最早それさえも、自分の不安さえも本心の一部として取り込んで、吐き出す。

それが出来てようやくかすみんはかわいいんですよ。軽々しくかわいいかわいい言ってるわけじゃないんです。

侑ちゃん聞いてる?そういうことやぞ。

 

 

 

 

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しずくちゃんだって、かすみちゃん「かすみんはかわいいの!」って強引に詰め寄られた時に、半分言わされたように「(かすみさんは)かわいいんじゃ、ないかな」って目を逸らしながら苦笑いで言いました。

んーおかしいな、いくら詰め寄られて困惑したとはいえかすみさんにとっての「理想のヒロイン」を演じているのであれば「はい!かすみさんはいつだって世界一かわいいです‼︎」と言えた、"演じられた"はずですね。でもそれができていないということは、これは本心です(直球)。かすみちゃん、分析してごめん。

しずくちゃんのこの反応が本心であるなら何故この場面で"演じられなかった"のか。演じるよりも先に、譲れないものがあったんですね。ということはつまり、それがスクールアイドルとしての矜持です。素直に認めたくない。負けたくない。だって私も同じ、「表現者」のはずだから。表現を愛するスクールアイドルのはずだから。

ここに仲間でライバルという同好会の関係のテーマをきっちり描いてるの、本当に良かったですね。ただ単にしずくちゃんが面と向かってかわいいと言うのが恥ずかしいとかではなく、かすみちゃんことを素直に認めたくはないけど、同じ境遇(ステージ)に立つ者"同士"として本心で認識してるわけです。

 

 

そしてかすみちゃんも満足げ。素直じゃなくて頑固者だと思っていたしず子が、ようやく張り付いた笑顔じゃない本当の表情を見せてくれました。反応自体は不本意だけどね。だけどしず子の本意です。言葉遊びみたいだね。

かすみちゃんは恐らくしずくちゃんの本心という暗闇を完全に照らし上げて、理解できたわけではないんですよ。彼女はあくまでスクールアイドルを通してでしか、或いはかわいいもの越しでしかかすみちゃんは寄り添えない。

璃奈ちゃんの6話の時にもかすみちゃん「ダメな所を武器にするのもアイドルの第一歩だよ」と言っていました。今思えば軽い伏線だったのか・・・と思うと、実はああ見えてかすみちゃんニジガクにとって大切なキーワードをその都度きちんと残してくれる、第2話で早くも担当を飾るにふさわしい名ピッチャーなのではと思ったりもしますね。

 

 

 

 

 

 

これを言っちゃうと鋭すぎるというか元も子もないんですが・・・まぁこれはある程度大人になって回顧した時に出来る解釈の一つですので悪しからず。

 

 

 

 

 

 

 

 

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さっき上で書いたように、人という生き物は「自分」にあまりにも大きい好奇を抱いた生き物です。人を好きになることでさえ、「人を好きになる自分」のことを愛しているからできる、というくらい「自分」に強いこだわりを大切に抱えています。

 

それだけ強い好奇心と依存心があるのなら、自分が嫌いになることなんて、あるのでしょうか。答えはNOです。自分のことが嫌いだと思う自分が好きなのです。何だかトートロジーみたいですね。「自分」という、周りとは違うこだわりとその概念全てを常に探求することで人は生き続けています。

 

 

 

本心の自分、周りから思われる自分。

どちらが大切なのでしょうか。

そこに答えはあるのでしょうか。

答えを出してくれる人はいるのでしょうか。

 

かすみちゃんが下手っぴな励まし方しか出来なかったのは、かすみちゃんにもそういう葛藤があるから。いいえ、かすみちゃんだけではありません。世の中の人間の大半はみーんな思ってることです。誰しもみんな、本心を何のためらいもなく出せる人間ではない。だから人はどうしようもなく弱くて、弱いから群れる。

自分の殻に閉じこもって、二分した自分の像は大して客観視もしないまま、白も黒も混ぜこぜにして、グレーのままで有耶無耶にして生きてるものです。そこまで大して考えてない。

 

 

 

 

 

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けどしずくちゃんは、しっかりと自分を2色で考え、分けられる。自分を客観視して、鑑みられる。

彼女はこれをネガティヴに、現実的に「こんな自分が嫌い」と短所として捉えていましたがこの客観視、あるいは自己分析は演劇やスクールアイドル、ステージが好きな者だからこそ持ち得る能力です。

 

 

 

本心であるがままの自分と、それに対して不安を武器に自分を窘め、批判する自分。

ひけらかしたい自分。守りたい自分。陰と陽、二人いる自分を正しく認識した上で、どちらも両立させる。忘れないで、考えるのをやめないで、本心すらも演じてみせる。なぜならそれが、両方の自分が同じく執着していた「ステージ」だから。彼女の中のコンプレックスはもう既にありません。

 

心の向きが違っても、二人共に「演じたい」欲求は決して消えなかったからーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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桜坂しずくちゃんのソロ曲、「Solitude Rain」。

 

彼女の名を冠するにふさわしい雨の降る演出が曇った湿っぽい雰囲気を思わせますが、少し切なく、しかしそれ以上に力強く追い求めるように歌うしずくちゃんの儚げな表情が印象的な名曲です。

 

最後、PV中で長く降り続いた雨が止み晴れ晴れとした空をスッキリとした笑顔で迎えるしずくちゃんは、雨の雫だけでなく止んだ後の晴天までもが彼女の一つの物語として彩られます。

このハッピーエンドのような展開のPVに、「ああ彼女はもう吹っ切れて、誰しもに利口な女の子を演じなくてもよくなったんだ」と解釈した方もいらっしゃったのではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

自分は違うと思います。彼女は演技をやめません。本心を曝け出すのが怖いと怯えていた女の子の逃げ道がたまたま"演じる"ことだっただけです。でもその"演じている"ことを知っても、受け入れて笑ってくれる人はいた。拍手を送ってくれる人がいたのです。

 

 

少なくともかすみちゃんは、「本心をあの教室で曝け出しても受け入れてくれた人」であり、それはつまり「本心のしずくちゃんを好きでいてくれた」人がいた、というわけですね。誰か一人にでも理解してくれれば、それだけでどうしようもなく救われてしまうのです。いや、この場合、雫が掬われたというべきですかね。

とすれば、もうしずくちゃんは自分のことを嫌いになる必要も、責任も無いんです。演じることそのもの全てすら、「本心の桜坂しずく」として、自身の強さとして受け入れられたのですから。

 

 

「Solitude」という英語は「孤独な」という意味が主流ですが、「(抑圧からの)解放」という意味もあるそうです。

彼女の上っ面の笑顔という仮面の下で静かに降り注いでいた孤独な雨が、その一粒一粒が自分で自分を祝福する解放と息吹の雨となりますように。

 

そしてまた、しずくちゃんはこれからも演じ続けます。お題目は、「本当の私」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

 

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いやぁ疲れた。もう書けん。

さっさとまとめるぞー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の第8話、総評としては

 

100点です。

 

 

 

 

 

 

 

うーん、正直今回のお話、よくここまでスムーズに落とし込んだなとしずくちゃんの演劇がとても大好きな気持ちや真面目で努力熱心な性格はそのままに、キチンとキャラブレはしないままで10代特有の自意識への悩みや葛藤をよくもまあこれだけアニメラブライブ!らしく描けたものだ本当に感銘を受けました。文句なしの100点です。

ただ元々あったパーソナリティを掘り下げるんじゃなくて、しずくちゃんかすみちゃんに素直にかわいいと言わない頑固者な所とか、本心や演劇部での事情を打ち明けずに同級生にもなかなか本心を暴かなかった意地っ張りな部分みたいな、今まで敢えて描いてなかった彼女の意外な一面もきっちり盛り込まれていました。

 

 

何よりこのしずくちゃんのコンプレックスへの理解と共感を、友情極まる1年生組で完結させていたことが、しずくちゃんの恐怖と葛藤が同好会のみんなを巻き込まず1年生同士で理解し合えるスケールの苦悩という収まりであまり重たい話になりすぎずこれまたオタク心のツボを程良く押さえる仕上がりになっていた。それでいて璃奈ちゃんは自分の手の届く範囲で最大限しずくちゃんに寄り添い、かすみちゃんは自分が理解できる限りしずくちゃんを叱咤激励した。この1年生の適材適所らしさがコンビネーションとして活躍していたのもすごくスムーズで良かった。

 

まーぶっちゃけこの手の自意識の問題って結構ややこしいんですよ。そもそも明確に答えは出ないまま、周りとの劣等感やら何やらで画面がどんどん重たくなること必至なんです。自分にとっては長い間引きずっていた悩みも、周りの人にしてみれば些細なことだったーという収束は、このニジガクのアニメのストーリーラインにしっかり沿っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

解釈違いとか同人誌かよ。

 

いや、あのゲームが二次創作の同人ゲームと考えると20章に溜飲が下がるのでは・・・?非公式の妄想だとするならあるいは・・・?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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その名に雨が降ってもいいんだ。

いつも心に太陽を

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

  

 

 

         (13000文字)

      

 

 

                                     written by Sunny Road

 

 

 

 

 

 

前回、第7話の感想記事はこちら↓

 

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/11/21/120550