アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第4話「未知なるミチ」感想 〜Gold Reflection〜
Arbitrary Ignition.
こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知りおきを。
さて、という訳でアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第4話「未知なるミチ」の感想を書きたいと思います。
と、その前に、いつものね。
本ブログは、私Sunny Roadによるアニメラブライブ!の個人的見解が濃度500%で書き記されております。以下の駄文全てにおいて、自分は一切の説得力と責任を投げ捨てておりますことを十分踏まえた上でご覧ください。
まぁ500%は言い過ぎだけど、こんな化石みたいなブログにまさかまさか物好きな閲覧者がいらっしゃるとは(マジで)思ってないので、適当な言い草と偏見たっぷり書き殴ってるんですよーってことです。自分の機嫌、自分で取ってね。
さてさて、今回はアニメニジガク4話です。OPやEDの傘が開く順番で察されるように、今週は愛さんこと宮下愛ちゃんにスポットが当たる回ですね。感想とは言ってますが今回は「物申す」という意味であまり言及するシーンが少なく、隙(好き)の無い愛の回という何とも愛さんギャグが響き渡る回だったと思います。愛さん回ですからね、愛さんギャグもガンガン飛ばしていこうってね。
前回3話のせつ菜ちゃん回の彼女の怒涛の情熱とシャウトがこだまするライブで感銘を受け、自ら部室に赴き入部希望を申し出る、愛さんと璃奈ちゃん。
ほえー・・・
いきなり自分からきっちりはっきりとした文言でスクールアイドル同好会に入部希望する、というのはかなり新鮮に感じました。といってもこのアニメラブライブ!シリーズ、自分の口からはっきりと「スクールアイドルに入部希望です!」と申し出るシーンがきっちり用意されているメンバー加入回が地味に結構少ないんですよ。
いやいやアイドルアニメの端くれとしてどうなん?とは思いますが実際、入部希望を意味する表現や言い回し・アクションの後に入部して活動していくという展開の加入回がほとんどですよ、思い出してみてください。遠回しだったり部活動申請書に名前書いたり、直接部員に入部希望を口頭で申し出て入部するパターン、結構少なかったでしょ?
穂乃果ちゃんは発起人だから除外、
海未ちゃんことりちゃんは追随する形、
真姫ちゃん凛ちゃんも追随する形、
にこちゃんは元々部長で在籍、
絵里ちゃんは和解(懐柔?)という形で入部する"意思表示"、
希ちゃんも独特な言い回しで最後にサラッと入部しました。
千歌ちゃんも発起人で除外、
梨子ちゃんは当初は作曲のみ担当するという意思でしたが自分の新しい居場所を感じその回の最後に事実上入部、
曜ちゃんは部活動申請書に名前を書くという直接に近くはあるものの少し意思表示に近い形、
ルビィちゃんはうーん・・・判定的に怪しいですけど厳密に描写をかいつまむとやはり申請書に名前書く形ですね。
花丸ちゃんも直接的な描写は無く、
ヨハネちゃんは堕天使の羽を受け入れる形で、
果南ちゃん鞠莉ちゃんはそもそも旧Aqoursで、
ダイヤちゃんは・・・奥ゆかしい彼女が直接申し出るはずないですよね。
で、アニメニジガクは、
歩夢ちゃんは微妙・・・
侑ちゃんの熱い意思に感化された・・・という形かな?ともかく直接的な申し出はないから違いますね。
かすみちゃんせつ菜ちゃんしずくちゃんエマちゃん彼方ちゃんがそもそも同好会所属・・・ということで、今までのアニメラブライブ!史上で直接的に「スクールアイドル部に入れてください」と部員に名乗り出たメンバーは何と花陽ちゃんだけという結果になります。元々所属していた、入部届に名前を書いたという意思表示がメンバー加入で一番多いパターンということになり、結果だけ見るとなかなか面白いですね。
まぁだから何やねんって話ではありますけど、そういうアニメシナリオの数ある表現の中の横道に走らず真正面からぶつかってくるというのも、愛ちゃんという人物の個性の強さを如実に表す結果の遠因となっているのは鮮やかですね。
だいぶ話が逸れました。
後このシーン、璃奈ちゃんもきっちり意思表示してるのが意外で面白くて。愛ちゃんとの会話の流れだと愛ちゃんの誘いに乗せられる真姫ちゃん凛ちゃんパターンかと思いきや、感情表現が上手く表情に出せない不器用な個性を持ちつつも、(まぁ追随してる形ながら)自分なりに感動を伝えてるのはとても、良いなと。せつ菜ちゃんもその言葉に救われた節がありましたしね。
もっと言うと、せつ菜ちゃんは形式的にライブをやったわけではないんですよ。吹っ切れた挙句屋上で一曲披露したのを生徒が下から見上げてただけで、アイドルと観客というライブ会場に似た構図でありながら少し違うステージ、でありながら歌い踊る姿に感銘を受けてファンが付くというのが、各々の中に眠る大切なものを表現する、その姿に応援するひとが現れるという何よりアニメニジガクだけの特性を引き出しているんじゃないかなと。特にコミカルでも何でもないようなシーンで流されてますけど、外面が表情豊かで可愛らしくとも柔軟な体躯でもない一見アイドルに無縁なような女の子でさえ期待に胸を膨らませて吸い寄せられる力があるというのが、アイドルアニメ然としててとても良い。です。いや璃奈ちゃんは膨らむ程の胸h
すみませんでした。続けます。
そんな訳で新生スクールアイドル同好会が活動開始です。かすみちゃん、多分「全国ツアー」は半分ツッコミ待ちだったんだろうけどスルーされてるの悲しいね・・・よしよし・・・
彼方ちゃんのお昼寝するライブという空前絶後のライブからの急転、せつ菜ちゃんのいきなりフルスロットル爆上げロックチューンとか観客側で想像したらやべえな・・・血圧急上昇で頭の血管切れそう・・・
もうこれほぼ嫌がらせだろ・・・璃奈ちゃんちょっとはやる気出そうぜ・・・
と思ったんですけど実は現実でもこのレベルで体固い人はそれなりに実在するので侮れません(?)。そもそも長座の時点で足きっちり伸ばせなかったり。股関節の筋肉はマジで柔軟大事よ・・・脚の可動域広くなってつまずいたりのケガの防止になるし、腰回りの筋肉にも繋がってるから腰痛予防にもなるし・・・良いことづくめだよ・・・(毎日風呂上がりにやってます)
っつーか彼方ちゃん、いつもフニャフニャしてるから何となく体柔らかいイメージあったんですけど体固いんすね・・・怠け癖の運動不足ってことでしょうけど、どうやらスクスタのサイドストーリーにて彼方ちゃんは体軟らかいとの公表はあるみたいです。ええんか・・・?
初っ端から放たれる高スペック。まぁ柔軟だけで判断するのは、、、と思いきや、愛ちゃんの真髄はその後の体固いメンバーのレクチャーにあるんですね。ほんの些細な深呼吸一回挟むだけで少し前に進む。毎日少しずつ、昨日の自分より少し前に手を伸ばしてみる。その努力が目に見えて実感出来た時の「楽しい」や「嬉しい」が何よりも大事であり、愛ちゃんの原動力となっているんですよね。
そしてこのシーンで大事なのは、自分のスペックを自慢するだけでなく、下手っぴな人の目線にきっちり合わせられるということです。この時点で既に外見のギャル要素はゼロですね・・・
虹ヶ咲学園、何でもアリじゃん。
この前のシーンで部室がサラッと新調されてたった一人で部室を守ってきたツインテールの女の子が発狂しそうだなぁと思ってたんですが、虹ヶ咲学園、スクスタ経由で大まかな設定は把握してますが本当に何でもアリな学園なんですね。廃校の心配なんてどこ吹く風、ネームプレートさえ守れれば部室はいくらでも替えが利き、学内にカラオケとレコーディングルームの合体版みたいな収録室が用意されてたりともう何だか「ぼくのかんがえたさいきょうのがっこう」みたいな感じですね。どう考えても私立高校のトップみたいな設備投資の規模ですが、自由な校風と謳われて評価も高いし愛さんの制服の着崩し方や染髪の部分見ても校則もそこそこ緩めなのでは?(アニメラブライブ!で髪色を指摘するとかなり野暮ですけど)
いやまぁでもカラオケまがいのことすんのはあかんやろ。私物化私物化ー!
せつ菜ちゃんがアニメ愛を偶発的に爆発させるところ。璃奈ちゃんが特に引く訳でもなく(無表情ではありますが)対等に語り合える存在でよかったね・・・ちなみに俺もそのアニメ観てたよ。ジャッカル、22話の剣の覚醒シーンで剣の暴走に対し刃を直接握って血を流しながら必死に止めようとする表情が俺も熱くなったわ。
ちゃっかり愛ちゃんに正体(菜々ちゃん)看破されてますが、寧ろちょっと凝視するだけで気付くレベルのメタモルフォーゼを何故みんな今まで見抜けなかったんだという話にはなりますよね。実は侑ちゃんも「もしかしたらそうなんじゃないか」と気づきかけてる節はありましたが、真面目で理知的な菜々ちゃんと直向きに情熱的なせつ菜ちゃんとの性格の違いはさておき双子の姉妹くらいにはダウトかけれるんじゃ・・・?
愛ちゃんの好物がおばあちゃん特製ぬか漬けだったりこのせつ菜ちゃんのアニメ(やラノベ)大好き(と厳しい家庭)だったりと、スクスタのキャラ設定が今回もサラッと露呈されていますね。うーん、あの母親ならそんなに厳しくないと思ってたんだけど・・・やっぱりこっそりアニオタやってたんやね。
璃奈ちゃんの感情表現の不得意もかなりサラッと流されていて、これは正直彼女のパーソナリティに直結するところだから大事といえば大事な部分では?と思うのですが、アニメラブライブ!では改変を含むキャラ設定の暴走がとどまるところを知らずネタ化されるならともかく純粋なファンが頭を抱えるという事例が過去に多数発生・報告されてるので、この薄味が実に丁度良い。アニメニジガクが面白いと概ね好評を受けてるのは実はその辺の個性描写が意外にも大きいと割と本気で思います。
梨子ちゃんとかダイヤちゃんとか何の意味も無い過度なオタク属性付加(負荷)で顔曇りっぱなしでしたしね・・・
というか、「日常を何となく過ごすいち女子高生のちょっと人と違う個性」という表現で留めているのがこのアニメニジガクの特性と一致してるんですよね。過度な演出で付加をせず、だけど唯一無二。これが大事なわけですよ。まぁ髪色とか見るとリアルの女子高生には程遠いですが、人とは違う、けど性格や習慣や環境の下で根付いたインパクトのある個性が一人一人に必ずあって、それをどう表現するか、そしてそれをどう受け取るかは非常に重要です。アニメニジガクはこの短い話数でその辺の描写を実に彩りよく描いて、しかもさりげなく流しており、巧い。
この辺りの描写から分かるように、愛ちゃんは他者の不得手やちょっぴりひけらかすのを憚ってしまうような趣味であっても、自分からどんどん理解して受け入れて、なおかつもっと引き出してしまうくらいの求心力と懐の広さがあるんですね。せつ菜ちゃんの二面性や情熱とも比肩して、彼女ら二人はアニメラブライブ!としての主役を張れるレベルのキャラスペックを持っています。
イケイケの金髪でセーターを着崩した風貌、所謂ギャルっぽい見た目をしていながら実は運動も得意、どんな人種でも受け入れて明朗快活・・・こうも際立っているとなると、こうなったら本当に弱点の無い人になってしまうんですが、しかしだからこそ自分の本質を簡単に見つけられない唯一の人でもあります。
いや「害」はアカン間違え方やろ・・・せめて「外」とか「慨」とかにしとけよ・・・
せつ菜ちゃんから無断で借りたメガネを得意げに直しながらのかすみんのスクールアイドル論。かすみん目悪かったっけ・・・?菜々ちゃんが秀才アピールの為に伊達メガネかけてると思うと可愛いですけどね。
どうでもいいですけど、
が
にちょっと似てたと思ったのは内緒。お前どんだけSSSS.GRIDMAN好きやねん。
まぁそれはさておきこのシーン、「スクールアイドルにおいて一番大切なのは何か?」と問われた際に、両サイドのお二人は各々「らしい」答えを出してかすみちゃんに「合格♡」をもらうのですが、そんなダイアモンドな明確な答えを愛ちゃんだけが出すことが出来ません。
そしてそれさえもかすみちゃんは「それも正解」として「正解はひとつ!じゃない‼︎」(ミルキィホームズ10周年おめでとう)と説きます。
3話で侑ちゃんが説いた「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それだけでいい」と言ったようにスクールアイドルとは本来多様性に満ちたものだという、ニジガクで改めて見直された新説の強調にもなり得るシーンです・・・が、このシーンを挟んだからこそ後半の愛ちゃんの長考が味わい深くなったんじゃないかなと。
「みんなそれぞれ個性がある。」彼方ちゃんの言った一言に、同好会メンバーは顔を曇らせます。それを分かった上で各々が各々の掲げるポリシーで活動した結果、軋轢や諍いが起こったからですね。この直後のシーンでせつ菜ちゃんとかすみちゃん二人の合意の下ソロ活動という形でこの同好会、ひいてはメタ的な意味でのこのアニメニジガク随一のコンセプトに強調が置かれていますが、これを愛ちゃん回で再確認させるのがほんとに巧い。
愛ちゃんは彼女が持ち得る高スペックを学内でかなり評価されており、「部室棟のヒーロー」という異名を持つ程数々の部活の「助っ人」を担ってきていました。そして彼女自身色々な部活に首を突っ込んでいる故、チームワークが何よりも大切と思っていました。まぁスポーツ系の部活はやはりチームプレイが基本ですし、その経験も相まって愛ちゃんが誰のどんな特徴に対しても目線を合わせられる懐の広さを培っていったのかもしれません。
しかしソロ活動というのは、セルフプロデュースといえばかわいらしいもので自分だけで自分のステージを作り上げる必要があり、誰の邪魔も入らない分、誰も助けてあげられないジレンマがあるんです。今はライブもステージも無い練習の段階なのでまだ愛ちゃんも「新鮮で楽しい」で済んでいますが、
それぞれの思う大切なこと全てが正解だとしても、一人でステージに表すには不安が付きまとうのも十分に分かります。
そしてそのような方針を踏まえたからこそ、今までチーム活動を主眼としてきた愛ちゃんが「スクールアイドルに大切なのは何か→自分は何をもってして自分だけのスクールアイドルたり得るのか」を考えるわけです。個性はあるし、それすらも正解だけど、本質が掴めない。
このアニメの少し難しい部分を本来コンセプトから対極の位置で活動していた愛ちゃん視点でこのアニメを解く、というのが本当に・・・鮮やかでしたね。
そしてその各々が一つ一つの個性として枝分かれしていく木々をそれぞれ受け止めて、それら全てを応援しいく存在である侑ちゃんという存在が、この描写で更に意味を強めるのも面白い。侑ちゃんは今回薄味になっていますが、しかし活動していく本人自らがそれを考える上で過度に干渉しないというのはやはりリーダーではなくサポーターという地盤が固いですね。
自分はアニメを観る上で、俗に言う「何でも出来る高スペック人間」があまり得意じゃないんですよ。
文武両道・明朗快活、誰にでも優しく、熱く、面白く、しかし自分にも厳しく、要領が良く、あまり失敗しない。個性もそれなりにあるけど純粋で、誰からにも好かれ、ルールにきちんと則り、ピンチの時にもブレず、人並みに恥じらい、誰のどんな性質にも裏切らない、十徳ナイフみたいな人。そんな完璧超人だからこそ、「遠さ」を感じてしまって気が引けるんですよ。要は「芯」の部分がはっきりと見えない人が多いからです。
別に「それに比べて自分は」なーんて劣等感をいちいち感じるから、という訳ではないんですけど、不器用な程の熱情を感じられない人が苦手なんです。手っ取り早く、手近だけど、いつも手元にあるわけじゃない、このもどかしい感じがどうもね。
突き詰めればこだわりが無い(薄い)人なんですよね。何にでもなれるけど、自分の意思で進んで何者かにはならない。そんな不安定さはある種不器用とも言えますけど、本心や渇望を心の奥底に隠して上っ面だけ「都合の良い人」になってしまうのは、それはそれは何だか無機物のような、とにかく血の通った部分をあまり感じにくくなってしまい、その人を理解するのに時間がかかります。
そういう意味では曜ちゃんと愛ちゃんは共通してる部分が多いんじゃないかな。所謂曜キャラ・・・じゃなかった陽キャラという人種・・・で簡単に決めつけるのも陰キャラの悪癖と思いますが、そういう誰の何にでもいつでも寄り添える人は悔しいことにやはり世の中にそこそこ存在するんです。仕事も出来るけど明るくノリも良く友達が多くてプライベートが充実してる・・・みたいなね。
ほらよく「オタクに優しいギャル」かいるかどうかで議論が繰り広げられますけど、個人的には前提から間違ってますね。ギャルがオタクに優しいかどうかじゃなく、オタクにだって優しくできる女の子ならギャルにだってなれます。
オタクが本質的に一番嫌いなのは同じオタクだからね(同族嫌悪)。
何の話だったっけ。ああそうそう愛ちゃんの話やね。
ソロ活動。一人きり。ステージを一人で表すことはすなわち、「自分を見直す」ことに繋がります。今まで「仲間と繋がる」ということを無意識に、しかし何よりも重んじて日常を過ごしていた彼女は、何をもってして宮下愛なのか。
彼女が改めて自分を見つめ直し長考している間にも、時間はどんどん過ぎていきます。今までそんな消費されゆく日常に、自分だけにしか見えない価値を見つめ直す機会なんて無かった。
自分で自分を受け入れてきた器は、どこにあるのか。
いつになく一人の帰路で難しく考え込み、翌朝のランニングにまで少し重たい面持ちを引きずっていた愛ちゃん。
そこで出会ったのがエマちゃん。今までそれなりに意見や印象を吐露したりはしていましたが、あまり主体的ではなく大人しく見守っていました。スクスタ経由で彼女をご存知の方はアニメ登場して以降、本来の彼女の溌剌としたハートフルな包容力とにこやかな笑顔をいつも浮かべる様子とはかけ離れていて動揺したのではないでしょうか。
やはり彼女も彼女で、せつ菜ちゃんとかすみちゃんが着火点になったはものの同好会の不協和音、というかギスギスした雰囲気に辛い思いをしていたんでしょう。こうして話数を跨いで、改めてメンバー一人一人の心境を振り返ってくれるのは大事ですし、これがまた自然な流れで次回への良い布石や伏線になるというのもグッときますね。しかしただ単にエマちゃんをあの橋の途中に置いたわけではないでしょう。彼女が常に絶やさなかった、「メンバー一人一人を見守るその姿勢」から、「愛ちゃんが部に加入してからみんなすごく楽しそうに見える」と、大切な言葉を優しく口にしてくれます。
そう、「誰かと一緒に楽しくなる」。エマちゃんもまた愛ちゃんとは違いながらもその原点をすごく大切にしている女の子その人なのです。ライブ会議の時に「みんなと輪になって歌いたい」とはっきり自分の意見を口にしていたのも、それはとどのつまりみんなと一緒に楽しく歌えば自分も楽しい。たったそれだけです。シンプルでありながら原点であり、そしてまた彼女らにとっての頂点そのものですよ。
ハキハキと溌剌に積極的に関わるムードメーカーも、主張は控えめでもハートフルに見守るみんなのお姉さん的存在でも、その胸に大切に抱えている弾けるような感情は共通しています。表し方が自己流で違うだけなんです。その共通点を繋いでくれたのが、ダジャレです。いやいや何でやねん・・・と言いたいところですが、自分は愛ちゃんの得意分野(というかアイデンティティ)であったダジャレをこういう、メンバーと共有する形で紹介するやり方が今回一番"巧い"と思って感嘆してしまいました。
(ドラえもんみたいな口で爆笑してんじゃねえよ)
ダジャレって、言ってしまえばただのくだらない言葉遊びの類じゃないですか。本当に即席の、やろうと思えばいくらでも思いつく簡単なものです。
だけどどこにでもあり、どんな人にでも大体通じ、その場に張り詰めた空気があってもどことなく緩み、言った結果がどうであれダジャレが分かった人同士は楽しい。
この「楽しい」を共有すること。これが一番大事なんです。ライブステージを作って披露する心構えなんて先の見えない不安に気を取られてちゃ、どんどんどんどん限られた時間は過ぎちゃうわけでね。「自分がその時楽しいと思うから、みんなも楽しい」ということを追求する。
既に愛ちゃんの中に、最初から答えはあったんです。みんなが楽しいと思ったから、自分も楽しむ。自分が楽しいから、みんなもまた楽しい。まさに「フォーチュン・リング」なわけです。
いいんです、それでいいんですよ。人間なんて、刹那的に生きていても案外長生きしてるもんです。オタクの皆さんはすーぐ世の中を上手く渡り行く明るい人を記号的に陽キャだ何だと決めつけますが、彼ら彼女らが別に全く違う世界の人種などではなく陽キャの原点なんてこれっぽっちです。「面白いことをして(ダジャレを言って)みんなで面白く笑う」これだけです。その楽しむ姿勢が外向的かそうでないかだけなんですよ。だから容易に人と関わり、笑い、時に恋をし、あまり深く先まで考えずに刹那的に日常を消費する。究極の人生エンジョイ勢には何の制約もありません。それを理解出来るか出来ないか、受け入れるか否かであなたの陽キャ度が分かります。なんてね。
(こうして比較するとほんとキャラデザ変わったなぁ・・・アニメニジガクは地味に色白になってるんやね)
だから彼女は太陽を掴みます。
今までのアニメラブライブ!のリーダーや発起人がそうしてきたように、主人公でないにも関わらず、自分が主人公になれる為の太陽を掴みにいくのです。
これは私見ですが、愛ちゃんは「夢を叶える」や「輝きを捕まえる」といった歴代主人公のような一つのビッグドリームを追いかける意味合いで太陽を掴んだわけではないと思います。どちらかと言えば、この愛ちゃんが睨む太陽は誰かにとっての「太陽」なんじゃないかなって。
確かに彼女は穂乃果ちゃんや千歌ちゃんと同じくらい強力な求心力を携えた、いやもしかすればムードメーカーや好奇心・探究心でいえば彼女ら以上かとすら思えますが、彼女はあくまで「助っ人」なんですよね。自分らしさを誇り主張する、自分から牽引していくカリスマ性はあまり見受けられません。だから代わりに、誰かの「楽しい」をそのまま全力で受け入れて、分け合って笑う。先に見据える太陽のようなまばゆい目標じゃなく、誰かの胸の内に絶えず内包されている太陽のような「楽しい」感情を等倍か、あるいはそれ以上にして受け止める。
今までのアニメラブライブ!で恒例ではあるものの大切な表現としてかなり色濃い演出や展開の後に用意され大事に捉えられていたこのシーンさえも、アニメニジガクではいち担当メンバー回の原点への決心に過ぎない。スクールアイドルとはそれくらい身近で、だけど本当にすごいパワーをもってして「楽しめる」存在。
忘れがちですが、愛ちゃんも彼女らと同じくせつ菜ちゃんの歌に、つまりスクールアイドルに魅せられて入部希望した女の子です。ということはやはり愛ちゃんも他の何者でもなくスクールアイドルである理由が、「どんなスクールアイドルで在るか」がきっちりあるわけで。今まで主役を張ってきた穂乃果ちゃんや千歌ちゃんと同じ性質を持っていつつも、そこが違うから同じことはしないわけです。
それを表現できるライブがあるのなら、
それはーーー。
愛ちゃんのソロ曲、「サイコーハート」。
良い・・・(感涙)
いやもうこれ言うこと無しでサイコーですね。彼女のイメージカラーである超オレンジのチアガール衣装で、とびっきり大振りな振り付けととびっきりサイコーの笑顔でハートを分け合う。これが見たかった。これ何が素晴らしいって振付とカメラワークが入念に凝られていて、何となく「ススメ→トゥモロウ」や「決めたよHand in Hand」といった旧作主人公の持ち歌とも言うべき「はじまりの歌」のダンスを若干彷彿とさせる振付が微妙に盛り込まれてるんですよ。ああ伝わりづらい・・・分かります?これ。「ここ!ここ!この振り向くとことか‼︎」って一時停止して画面共有してぇ・・・
勿論グリングリン動くカメラワークもですけど、サブリミナルで挿し込まれる「めっちゃGoing‼︎」の露出多め衣装愛ちゃんだったり遊園地の帰りに最後に乗った観覧車で二人っきり的シチュだったりと、思わずドキッとしてしまうような女の子らしさ溢れる要素もギュギュッと詰め込まれててもう・・・見直すたびに投げ銭したい。感動。これこのクオリティで毎週担当回のたびに見せられるとかもう・・・制作スタッフに頭上がらないですね。
今回、侑ちゃんだけに見えるビジョンが健在なのかどうかは判断に悩むところですね。愛ちゃんが自分だけのポップな世界をブワーッと広げていくシーンでは侑ちゃんはその場(公園)に到着していませんでしたし、さらに言えば話数を追うごとに「自分を表現するステージ」を見届けてくれる観客の数が右肩上がりに増えてきています。
相変わらず女性しかいない割とやべーディストピアみたいな世界設定もこのままインフレしていけばネット配信のステージ視聴者全員女性みたいなキマり具合に発展しそうなのでどうなることやらですが・・・
★まとめ★
(アニメラブライブ!のCパートで不穏な展開の匂わせじゃなくコミカルに終わるの、実は結構珍しい)
はい、という訳で4話、愛ちゃん回でした。
最初にあまり言及することがない回と書きましたが(それでも10000字は書いてるけど)正に今回は本当に隙の無い回で、
二面性とその葛藤、抱く思いの強さの発露に思い悩む生徒会長の3話とは裏腹に、入部前や入部後に何かしらトライアンドエラーを経験してジ・オリジンに辿り着くということもほぼ無くサイコーのステージを披露できたという点において向かう所敵無しの無双クライマックスでしたね。分かりやすくはありますが、陰りの部分が物足らないという意味では、うーん・・・
今回の4話、総括としては
98点
です。
(アンタ自分で暇人扱いしてて・・・ええのん?そんなんやからニヤニヤからかわれるんやで・・・そのままで、ほんまにええのん?)
コホン。
何も苦労してないから総評下げるのか‼︎というと違うんですよ。愛ちゃんや彼女を取り巻く、迎え入れるメンバーの描写や色々なキャラ設定の紹介・付加の塩梅、PVの出来栄え・・・つまり技術点でいえば余裕で100点なんですけど、彼女をそのまま強烈な個性として歩かせていたら、ほんの些細なことで勝手に自己解決してゴールインしてしまっていたという予想以上の手っ取り早さが拍子抜けはしましたね。
それもそのはず、先述した「歴代の主人公に匹敵するほどの明るさやスペックを持つ」のが彼女でいながら、彼女はあくまで物語全体の主人公ではないからなんですよね。
アニメラブライブ!ファンの方もそうでない方も、今作のアニメニジガクにどうしても違和感を覚える、何かが足りないと思っていらっしゃり、なかなかイマイチハマる一歩を踏み出せない方も少なからずいるのではないでしょうか。
確かに今回のアニメニジガク、スポ根要素がほとんど見受けられません。
何か逆境や挫折を経験してなお、立ち上がって上を向いて仲間と切磋琢磨してビッグドリームをその手中に収めんとする展開は今までのアニメラブライブ!に必ず共通していて、そしてそれはラブライブ!のみならずアイドルアニメの暗黙のルールみたいな、最高のスパイス的存在として必ず毎回食卓に置かれ、振りかけられていました。まぁそれが振りかけられ過ぎて荒唐無稽の大暴走になるのもアニメラブライブ!シナリオの醍醐味として名高いですが、それすらも今までの視聴者は自分なりにどうにか消化して、やり過ごしてきてましたよね。そしてもしかすれば、アニメラブライブ!視聴者の多くは心のどこかでその大暴走スポ根に惹かれ続けているのかもしれません。文句を言いつつもね。
しかしそれを案じてか、せつ菜ちゃんの前回3話は生徒会長という役職の重責で多少そのスパイスを匂わせたものの、やはり従来のアニメラブライブ!のエピソードの着地点のそれとは違いました。ましてや今回の愛ちゃん回は新生スクールアイドル同好会の活動方針を彼女が全力の笑顔で確立させてくれましたが、彼女自身が何かしたかと言えば、自分で気付き、自分で笑い、自分で決めた。全て自己完結で終わってあまり張り合いが無いと感じなくもないです。言ってしまえばアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、この4話で最終回です!と打ち切っても飲み込める手っ取り早さと要領の良さがあります。
「笑いあり涙ありスポ根あり」とアニメμ’sの本放送の合間のアニメBlu-rayのCMで穂乃果ちゃんが謳っていたの、今でも覚えてるんですよ。もう7年前やぞ。とにかく、それくらいアイドルアニメにはつき物だった情熱と渇望の要素が薄味の、毒気の無い仕上がりをこの4話までじっくり、敢えて狙ってやってる節がある。
だからこそ、4話も使ってアニメニジガクらしさをじっくり丁寧に説明したからこそ、ここから少しずつ「特異点」である侑ちゃんが織りなす独自のアニメニジガク第2フェーズが始まっていくんじゃないかなと思います。
今回の4話の最後で侑ちゃんがまとめるように「みんなが一人一人違うライブをやれば、すっごいライブができるんじゃないかな」と言い放ち、「これは、負けてられないですね」とメンバー間に対抗意識が芽生え始めていたのがその証左で、愛ちゃんは主人公らしいまさに火付け役を担ったんではないかと。
せつ菜ちゃん回で再三描かれたように、同好会の特性上チームプレイとして一丸となって研鑽し合いながら高め合っていくという王道のスポ根は恐らく実現しないでしょうけど・・・
全員仲間で、全員ライバルというアニメニジガクの独自のコンセプトならではの展開での熱血要素、つまり互いの違いを認め合いつつも向かい合っていく、Saint Aqours Snowに似て非なる何かを描く形として、その仲介役である侑ちゃんが今後は首を伸ばしてくるのではないか・・・と熱視線を送ったり、送らなかったり。
どうなんでしょうね。ラブライブ大会に主眼を置いていない以上、現段階での明確な目標は「ライブ!」だけに留まっていますから・・・ふわふわした着地点のまま終わってしまうと、最初に勇気を振り絞ったうさぎさんがあまり報われない気もするのでその辺、お願いしますよ。
何はともあれ、愛ちゃん回自体は何も言うこと無しの素晴らしい出来映えでした。自分自身を問い質したこともほとんど無くルールに則って活躍していた「助っ人」のオリジナルの未知が、「楽しい」と輝く太陽の光で燦々と煌くミチになる・・・強烈な個性と可能性、彼女本来の懐の深さとシンプルさを兼ね備えた文句無しの素晴らしい神回でしたね。
アイし、アイされるから、またアイにいく。
だから「私」は、宮下 「I」。
いとふゆ
(13180文字)
written by Sunny Road
前回、第3話の感想記事はこちら↓