アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第13話「みんなの夢を叶える場所」感想 〜世界はアイで動いてる〜
ありがとう、君とラブライブ!
こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後、お見知り置きを。
さて、いよいよこれが最終話!アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第13話の感想と解説を書きたいと思います。サブタイトル「みんなの夢を叶える場所」はこれで「スクールアイドルフェスティバル」と読みが振ってあります。もうこれスタンド名やん。読みまで書いてるとブログタイトルが長くなるので申し訳ありませんが割愛させて頂きました。
さて、記念すべき最終話である第13話は侑ちゃんが音楽科への転科試験を受けることを同好会メンバーに打ち明けるところから始まります。これまでの計12話で、侑ちゃんは単に「スクールアイドル同好会に所属しているサポーター(ファン一号)」に徹しているだけではありませんでした。特に終盤、ソロ回が終わってからの10話、11話、12話でかなり顕著に変化しましたが、高咲侑という女の子の心の中は確実に1話のそれとは違う着地点を目指し、動き始めています。
高咲侑という女の子は実に好奇心旺盛な女の子で、とても素直に、真っ直ぐに、時に冷静に、しかし熱心に大好きなもの・ことを追いかける娘なんだと、これまでのエピソードで我々は認識したと思います。それが今までのラブライブ!との特異点になる「あなた」としての認識とどう合致するのか、彼女が先陣を切って何を代弁するのか気になっていた方も多いでしょう。
侑ちゃんはそもそも音楽に特別傾倒していた女の子だったわけじゃないはずです。穂乃果ちゃんのように突然ミュージカルで歌い出すほど歌うことが好きだったり、千歌ちゃんのようにスクールアイドルという輝き方にこだわっていたわけではない。なのにこうして明確に音楽という道を選択する意思を固めたのは、もちろん「自分のやりたいことに直向きな人を応援すれば、きっと自分にも何かが始まる」という1話からの地続きのアンサーになってるんですよね。そして同好会という居場所や人に触れ、より深く好きなものに関わっていった。
かといって、自分もスクールアイドルになる!という安直な真似事には徹しない。ここに自分はもう、万巻の思いを抱きましたね。最初から100点をあげるな。ファンの方々の中には「どうせ最終話で高咲侑もステージに上がるんだろ?」という嫌な想像をしていた方もいたのでは?それをのっけから否定し、大好きなものに一生懸命前のめりになって関わって沢山の経験と感情を覚えたからこそ、スクールアイドルそのものではなく自分の内なる「やりたいこと」に向き合い、結論を出したという事実が既にこのAパートで叩き出されたわけですよ。侑ちゃんという存在はここでは同好会のサポーターという従来のポジションではなく、「いちファンの代表」として自己発露に至ったんです。素晴らしい。
正直音楽とスクールアイドルって親和性や関連性が高いっちゃ高いですけどね。ラブライブ!の歴史的な観点でのメタな話でいうと、音楽に携わってる人がいないとグループ活動が仮死状態になるところがありますし。
それで歩夢ちゃんも余計に寂しい思いをしたところもあるんでしょうね。けどこの侑ちゃんの良い所というのは音楽コースに転科して何かがしたいとまでは明言しないということです。具体的にスクールアイドルを作詞・作曲面でサポートしたいという予想がスジではあるんでしょうけど、そこはこちら側の想像の余地を残す。
好きなものにのめり込んだから、自分も思考停止で真似っこするんじゃなくて、まず何がしたくなったかを正しく向き合う。既に、厳密に言うと10話でフェスを発案したあの日からこの姿勢が出来上がっているから素晴らしいんですよ。アニメ虹ヶ咲は同好会メンバー全員のパーソナリティの掘り下げが繊細で丁寧という賛辞をこれまで幾度となく述べてきましたが、それは侑ちゃんも例外ではありません。彼女がスクールアイドルというものに何の抵抗も無く受け入れ没入したように、彼女の内なる自分に対しても正しく向き合い、模倣をせず、されど何の迷走や葛藤も無く直情的に「やってみる」。ラブライブ!ファンが一番望んでいたファンの姿ではないでしょうか。
実は13話はこの「想像の余地を残したままにする」という締め方を他にもしていて、そこが自分は大いに気に入りましたね。この辺は後で。
Aパートで既にこの文量ですし、13話がいかに優れた集大成として凄まじい出来栄えだったかが見て取れます。アニメ虹ヶ咲、ありがとう。
そんな気持ちをキャッチした同好会メンバーもまた心を引き締め、全力で楽しむ準備をします。何がって勿論、これから始まるスクールアイドルフェスティバルに向けて。各々が自分の信じた「色」を際立たせたステージで表現することをコンセプトとしてきた虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、今までのμ’sやAqoursのように円陣も組まず、点呼も取りません。それぞれがそれぞれの「1」つの色であることを目標に、高らかに。
「私たちの虹を咲かせに!」
良い・・・‼︎(思考停止)
この第13話、多くの方が受け取ったように、アニメ虹ヶ咲の集大成と呼べる、所謂総まとめとして機能しており、それぞれのステージライブシーンが止め絵であっても既に色濃く彩られたソロ回を彷彿とさせることで120%の良い余韻が味わえるんですよ・・・ほんとに。何か特別な命題を与えられずとも、アニメラブライブ!は「ラブライブ!」が出来る。
何が言いたいかって、例えばこの歩夢ちゃん。もうステージに立つ、立って新しい景色で成長してしまうことに怯えていた彼女ではありません。後のシーンで判明しますが、この歩夢ちゃんのステージは侑ちゃんは見てないんですね。ビラ配りで忙しくて。ですが彼女は臆病なんてどこ吹く風、ファンサービスも余裕綽々で伸び伸びとステージを披露できています。「始まったのなら、貫くのみ」という後押しの下、歩夢ちゃん自身がまさに一歩一歩を踏み締め、進んでいった彼女にとってのチャプターエンドに他なりません。「みんなのために歌うよ」と「開花宣言」をした彼女が表現するステージには、鮮やかで和やかなピンクのローダンセが咲き誇る世界が広がっています。これは・・・10話11話12話と計3話も使ってソロ曲優遇された正ヒロインの底力ですね。どんなもんじゃい。
マジでやんのかよ。
遥ちゃんに努力熱心と妹想いが故の日頃の睡眠不足を見抜かれてから何か一周回って開き直り始めたのか、スリーピングステージを遥ちゃんの前で堂々披露・・・というか休眠する彼方ちゃん。7話の「Butterfly」を客観的に見れば眠り姫系スクールアイドルとは無縁の、良いとこゆるふわお姉さん系スローダンススクールアイドルという印象なので流石に歌って踊るだろと思ってましたが・・・舌をペロッと出してひとつ出し抜いたような表情で(かわいい)彼女は言います。「お祭りだから、アリなのです」って。ということは・・・
コ ロ ン ビ ア
ウメハラ 璃奈ちゃんの爆誕です。小足見てから昇竜しそう。ガチ格ゲーマー系スクールアイドルとして名を馳せて、あんたそれでええんかとも思いますがやはりこの璃奈ちゃんに愛おしい気持ちを抱いてしまうのは人とのコミュニケーションにコンプレックスを抱いていた彼女が、その不得手を魅力として、パーソナリティの一つとして捉えて璃奈ちゃんボードで文字通り対面することが出来ているという内面の優しく逞しい成長が見えるのがほんと、良い。アーケードなのも同じ画面を共有して対戦するのでなく、2つの画面で「対面」するという彼女の描き方を意識してのことかもしれません。
「やりたいと思った時から、きっともう始まってるのよ。」
まんま受け売りじゃねえか。
ここ笑ってしまった。そっくりそのまま自分が名言言ってやったぜみたいにドヤ顔するな。果林さんがフェスに来場していた女子中学生(?)に熱い激励をサプライズ、という嬉しいシーンなのですが流石に一字一句親友の言葉の受け売りなのは流石に、こう、もっと我流見せてくれよ。自分なりの言葉で語ってくれよ。
ここのドヤ顔もそうなんですが果林さん、相変わらず方向音痴が抜けておらず、スタッフの下級生?に案内されてましたね。この辺りのシーンで思うのは果林さんの長所ってそういう自分の瑕疵に対して恥じず媚びず堂々としているんですよね。それが出来るようになったのも、ご存知9話で「求められる自分」に意固地にならずに、不得意な分野を誰かがカバーし合うということを受け入れられたからに他なりません。まぁ自分流の言葉でかわいい後輩たちに後押しが出来るようになった暁には、同好会内のトップの座に君臨していることでしょう。
おいおい・・・
まぁ、ぶっちゃけフェスはやりたい放題やってたね。高校生の範疇を悠々と超えてたからもう半笑いだった。キャラ崩壊こそさせてなかったから不問にはするけど。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年12月26日
視聴直後はTwitterでこういう感想を書いてて、今見直しても結構寒々しいど迫力寸劇だとは思うのですが、この3人がチョイスされたステージということを認識した上で少し真剣に考えてみると。
このせつ菜ちゃん、かすみちゃん、しずくちゃんの3人きってのヒーローステージはそれぞれがそれぞれ「大好きな自分」と「それを受け取る他者」との差に対して自分はどう向き合うべきかがとても情熱的にフォーカスされたソロ回を持ったメンバーなんですね。3人それぞれ自分らしくヒーローショーの主役を席巻していきますが、ヒーローショーだけあってやはりそこに「心の強さ」や「直向きさ」があって。ただ単に自分だけのステージを好き放題に荒らし回ってるわけでは無く、芯の部分がみんな、共通して通っているはずですよね。
後にかすみちゃんがこれは即興劇だったと明かしますけど、にもかかわらずかすみちゃんファンガチ勢だったり、生徒会副会長によるスイッチャー協力だったり、沢山の人が協力してくれて、1つの「自分」というパフォーマンスを作り上げようとしている。ルールに囚われない自由な発想、だけど伝えたい自分の中の強い意志を中核の部分に凝縮して、一生懸命準備して、
汗だくになるくらいど迫力でアピールする。
彼女らにとってヒーローショーが本意のステージだったのかは正直微妙なところですけど、少なくとも煙幕を観客席にまで巻いたり世界を救ってしまうほどのシャウトをしたり、観る側の者を圧倒してしまうほどの熱い「自分」、自己表現がそこにあれば、その姿に惹かれて協力してくれる人は必ず付いてくるんだという証明みたいなものなのかなと捉えました。ついでに言うと、しずくちゃんだけが「仮面を被る姿が真の自分(のひとつ)である」という8話の部分も踏襲していて、ただのタキシード仮面になり得ないのも巧いと思いましたね。
良い・・・‼︎(思考停止)(2回目)
いやもうほんとに頼むわ。涙ちょちょ切れまっせ。
でね。さっきのヒーローショーのステージの話の続きにもなるんですけど、このフェスの何よりの魅力って「全力でやり切る」ことなんだと思うんですよ。たとえ一見ふざけ倒したものでも吹っ切れたのなら最後まで、まさに「始まったのなら貫くのみ」の意向に沿ってるんですね。この言葉大好き。
とすれば、同好会のメンバー同士でも「各々が各々のステージで表現しようと、全力で頑張ってるんだ」と皆がそれぞれのことを親身になって考えられるんですよね。やりたいことは全然違うけど、やりたいと思う意志は同じなんです。だからこそ、ここの璃奈ちゃんと愛さんのシーンはグッとくるものがあるんです。それにこの二人でいえば、今までいつも学園内の人気者だった愛さんが先立って璃奈ちゃんの手を引いて導いてくれていたバックグラウンドを鑑みたら、「初めて」「愛さんの役に立てた?」と尋ねる璃奈ちゃんのまごころが何より光るシーンではないですか。璃奈ちゃんが今まで愛さんのことをどう受け止め、そして親身に考えてきた「恩人」であるかがこの「初めて」「役に立てた」なんですよ。
それに対して愛さんも、ニパッと笑い飛ばして「そんなの今まで気にしたことない」という意思を表明するんですよね。彼女にとって自分たち二人の関係は、恩情や義理で結ばれた堅苦しいものじゃないんです。ただの、本当に純粋で平等な、そこに損得も上下も介在しない、しかし璃奈ちゃんが最も欲した形での「友達」なんです。人との友好や運動神経、出来ることの差は数あれど、困った時は助け合う。人に親切にすること一つ取っても責任云々でガチガチに固まってなかなか行動できない世の中で、これ程シンプルなのに美しい関係性って他に無いでしょう。璃奈ちゃんも、普通は隠すべき「照れ」の感情をきちんと璃奈ちゃんボードで表出しているのも、そこに深い肯定と信頼が通っているんですなぁ。
友情というのならここにも。
まさかここで伏線回収するとは。
しずくちゃんの髪留めが今まで付いてなかったのは何話だったかな、多分クール前半辺りで「あーそういえばいつものじゃないなぁ」みたいにうっすら気づいてはいたんですよ。何がアレって自分、スクスタのアプデ中画面に散々見てきたからデフォ絵の細部まで覚えちゃったファンの一人ですから。でもそこはそれ深夜アニメ視聴者の年数がそれなりにあるだけあって作画負担軽減なぁくらいに分析してて、特に重要視してなかったんですよ。それでいうといきなり夏服制服から始まってた方が気になってましたし。愛さんとか果林さんみたいな都会のオシャレ女子ならサクサク髪型とかメイクとか変えるんだろうし、そんなんいちいち作画に反映させてたらスタッフ即業務上過失致死ですし。
みたいな感じで、メタ視点でかすみちゃんの髪留めのことは全く不問というかノーマークだったんですけど、ここにきてこんなエピソードで伏線回収するなんて、目からウロコでした。マジで。
勿論しずくちゃん本人が言うように、この髪留めのプレゼントは8話でかすみちゃんが「自分を晒すことから逃げるな甘ったれ!」と叱咤激励を飛ばしたことで吹っ切れた舞台のオーディション・・・の時の「お礼」ではあるんですが、個人的に気に入ったのはこの「お礼」をプレゼントで返すというやり方なんですよね。かすみちゃんは何も形を持たない、力強い言葉のみでしずくちゃんの中の"獣"の目を覚ましてくれました。ですがしずくちゃんにとってかすみちゃんにいくらそのお礼を言葉で尽くしても、それはかすみちゃんが本当に欲している賛辞にはなり得ないわけですよ。かすみちゃんは世界で一番かわいい自分を心の底から信じる無敵級ビリーバーなわけですから、そう簡単に強い言葉を投げかけて揺さぶってくれる女の子じゃないことくらい、しずくちゃんは分かっている。
だからフェスが始まる前、「かわいいよ」と素直に褒めてあげる「だけ」じゃなくて、自分がかけてもらった言葉に対して、言葉で返すでなく自分なりの形できっちり恩返しする。
それがしずくちゃんが思う、かすみちゃんへの恩返しにピッタリな方法が髪飾りのプレゼントなわけです。これは実は果林さんも同じやり方を9話で取ってるんですね。自分の弱い部分を受け入れて、補ってくれた仲間の暖かく心強い声援をもらったから、そのお礼はパフォーマンスで返す。「あの時はありがとう」その一言や挨拶が言えるだけでも勿論厚い友情ではありますが、我流で相手にとっての「最高」を考えて、形に残す。果林さんならパフォーマンスで、観る人全てに熱狂という気持ちを残す。そしてこのしずくちゃんなら、かすみちゃんが着飾り上手なのを知ってるから、形に残る髪飾りという形で。
何かの形に残してさえいれば、確かめるたびこにある"自分のことを思ってくれた気持ち"を思い出す。かすみちゃんにとっては「かわいい」と思って選んでくれたことという事実が、何より嬉しいんですよ。人の機微汲み取るのほんっっと巧いなぁアニメ虹ヶ咲。
そういうちょっぴり搦め手でかすみちゃんとしずくちゃんの「仲間で、ライバル」を証明してくれたのが、もうね、すごく鮮やか。VIVIDです。璃奈ちゃんと愛さんがお互いを助け合う純然たる「友だち」ならば、このしずくちゃんとかすみちゃんの二人はお互い素直に信頼して友情のキャッチボールが出来る「バッテリー」みたいな関係なのではないでしょうか。
アニメ制作:サンライズ
これでまたひとつ、新たなアニメラブライブ!ヒストリーが生まれた(トリビアの種風)
ガノタニキたちがリアルタイム視聴で「んぉえええガンダムUC(ユニコーン)!!!???」と突然の登場に鼻血出しながら興奮してました。というわけでまさかのガンダムUC友情出演です。アニメ制作会社が同じな割に作中コラボは初。現実のダイバーシティでもUCではないらしいですがモビルスーツ巨像が展示されてるみたいですね。1話から出しとけや。ガノタニキ、さぞかし僥倖だったでしょうね。どうやら形態がシーンに沿って進化しているみたいで芸が細けえ。
いやそこもそうなんですけど、突然の雨で屋外ステージが中止になるシーンってとこですね。
何で雨天の場合のステージ案(屋内)を全く企画してないねんって誰しもがツッコミ入れたと思うんですが、そのツッコミも含めて「最終話にして一気にアニメラブライブ!っぽくなったな」と思いましたね。皆さんはいかがでしょうか。「あーそうそうこれこれ、この取ってつけたような悪天候展開ね」って、ある種「いつものアニメラブライブ!らしさ」を感じたのでは。今までアニメ虹ヶ咲はアニメラブライブ!シリーズの様式美を敢えて避けて通ってきた節がありましたから、このストーリーラインが寧ろ新鮮ともいえます。
ただこのシナリオ展開においてやはり侑ちゃんという視点を重きに置くと色々気付くこともあって。このスクールアイドルフェスティバルというのはあくまで非公式のスクールアイドルイベントであって、作中でも似たようなこと言ってますけど地元のスクールアイドル合同のお祭りなんですよね、あくまで。
どれだけ巨大な校舎と生徒数を誇るマンモス校であったとしても、この作品で描かれている女子高生は等身大の女子高生そのものです。寧ろアニメ虹ヶ咲はそこを重視して、10代半ばのリアルな高校生の思春期で多感なパーソナリティを描いてきました。勿論、侑ちゃんも例に漏れず、いち高校生として自分がしたいこと・出来ることを探しながら生きる様をこれまで大切に描いていましたよね。
や一人一人が出来ることってかなり少なくて、限られると思うんですよ。侑ちゃんが通行人に草の根運動でビラ配りしてたみたいに。最終的に自分を決めるのは自分だけど、それまでは色んな人と関わって、出来ることを繋げて、その中で気付いていく必要がある。 まぁこれは高校生に限った話ではなく、大人になっても日々痛感することです。
でもそうやって誰かの、あるいは自分の大切な時間を犠牲にしてでも叶えたいことって、どうしても最後までやり切りたいって思うじゃないですか。思い描いたビジョンを恙なく、全力で。「これで、終わり・・・?」と喪失感に溢れた言葉が溢れるのも無理ありません。
全力でやりたい。全力で追いかけたい。
そう心の底から思ったのは初めてだ、といえるものが侑ちゃんにできたから、この時の侑ちゃんは悲しい顔をするんです。でもそれは侑ちゃんだけではありません。どうにもならない自然の力に立ち往生するのはイベント参加者全員のはず。
確かにこのフェスの発案や企画・監修は彼女が先導してきた部分が多いですが、フェスを通じて繋がった思いという面ではみんな、共通していると思います。ステージに上がる者も、ステージを観る者も、それぞれ全てが大好きなものに全力で追いかけている。
そしてそうやって、互いが互いの「大好き」を追う姿を見て、何か自分にも、という力をもらって、今度は自分が「大好き」を追いかけていく。このイベント、スクールアイドルフェスティバルは、そうやってお互いの大好きを繋げ合って一つの虹の橋をかけるビジョンがあったんじゃないかなと思いました。高校生というか、学生の青臭い部分を感じずにはいられませんね。
だから歩夢ちゃんは、侑ちゃんの「大好き」を受け取って、「最後のステージ」へと手を取って連れて行きます。
1話では侑ちゃんの方から歩夢ちゃんの手を引いて同好会の部室を探そうとしていたのが、
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年12月26日
最終話の窮地という大事な場面で歩夢ちゃんの方から侑ちゃんの手を引いて導く。
そして大切なあなたの「侑(たすく)」への感謝を、9人1つのステージで歌う。
このシナリオがあっただけで、もう13話は十分だよ。
雨上がりの夕焼けをバックに駆け出していくこのシーン、見事でした。いやここまででもう十二分に見事なんですけど。
侑ちゃんって自分のやりたいことに対して自分じゃ太刀打ちできない大きな力が立ちはだかった時、案外諦めが早いんですよね。第1話で同好会が廃部だと告げられた時でも、少し物寂しさを残したまま、悔しい顔をしたまま、現実を飲み込もうとしています。
アニメラブライブ!というシリーズにとって高咲侑という存在は確かに特異です。スクフェスやスクスタにあった「あなた」という存在の延長線上の、しかしどこの誰でもない誰かという存在を、ましてや作品全体の一番大きな機動力となる媒体であるアニメラブライブ!に登場させるということを知った時、かなり懐疑的な感情が渦巻いていたことを記憶しています。
ですがこの作品はあくまで彼女のことをいち高校生高咲侑という女の子そのもの、至って普通の、好奇心旺盛な女の子として描いてきました。スクールアイドル、というより「夢を追いかけること」を知った時の喜びを具現化したような女の子。それが、たまたま「特等席」で構えている、そのようなものでした。そしてだからこそ、全く特別な存在でない彼女が純粋な想いで関わっていく中で知り合う娘たちもまた、その本気の思いをそれぞれの形でキャッチし、意味を持ち、熱を持ち、自分に対する「解」と成し、「あなた」に捧げる「侑(たすく)」たり得ていくのです。そのたった一つの思い、願いのみで人はアイドルたり得る。
こうして論考しながら侑ちゃんを捉えていくと、本当にこのアニメにすっかり溶け込んだというか、このアニメになくてはならない存在とまで思えてきますね。よく侑ちゃんのことをハーレム主人公だとか「なろう」系主人公みたいな感じで揶揄していますがそのどちらとも違いますし何なら「主人公」としても怪しいですよね。
虹ヶ咲のアニメってEDの入りが毎話素晴らしいってリアルタイム視聴勢からはかなり評判だった(11話本放送はそれどころじゃなかったけど)んですが、何でこんなにまとめ方、お話の切り方が素晴らしいのかって結局「誰に、どんな私を見せるか」の主眼が一貫してまとめられていたってことなんでしょう。この「誰に」は勿論侑ちゃんのことですよね。でも先述したようにこの伝えたい相手というのは侑ちゃんに限った話じゃなく、スクールアイドルというものが大好きで、侑ちゃんのように追いかけてくれる全てのファンにも当てはまります。
そしてアニメ虹ヶ咲は「アイドル」と「ファン」という本来持つべきアイドルアニメの距離感がめちゃくちゃ近いんですよね。被服研究会だってごっついカメラ持った写真部だって、あれだけ真面目そうだった生徒会副会長でさえ、みんな全然スクールアイドルに興味関心の無いひとたちが、正しくスクールアイドルの魅力を理解し、協力し合っている。
この下積みが侑ちゃんを通してしっかり出来ているから、お話が組みやすいんじゃないかなと思ったりもしました。
聞いてる?スクスタさん。
大切な夢を追いかける全ての「あなた」に捧げる歌、「夢がここからはじまるよ」。
アニメ虹ヶ咲、最後の新曲はOP・EDを除いて初となる9人歌唱曲。
まぁ最後にお約束として9人で歌う曲は来るだろう、とメタな予想は流石にしてましたけど、いやぁそれにしたってこの収束の仕方が巧すぎて。
この曲の前、というかステージの前、同好会9人がステージの上で前口上をしています。その言から分かるように、そして今まで書いてきたように、彼女ら9人、ステージに上がった者が必ずしもスゴくてエラいわけではないんですよね。一人一人全然夢の形も目標も違っている普通の高校生で、しかしそれでも先の明るい未来に向かって懸命に頑張る想いが一際強い女の子たちだから、辛い時にお互いを支え合える居場所ができた。
一人だけど、独りじゃない。
そう思えたきっかけを作ってくれた人というのはつまり侑ちゃんが筆頭に挙がるんですが、侑ちゃんだけではなく。自分の夢を追うのを支えてくれた全ての「あなた」たちみんなに捧げる、感謝と祝福の想いが9人一致した時に繋がる歌、それがこの歌なんですなぁ。そしてまたこの歌を聴いた誰かにとって、今度は「わたしたち」スクールアイドルが「あなた」の夢を後押ししたい。そういう沢山の、しかし一致した願いが含まれた歌だからこそ、この歌は9人一緒で歌う必要がある歌。
正直この「あなた」という対象の明示と、虹ヶ咲の目的意識をここまで美しく繋げてくれるとは全く思っておらず、この最後のステージを初めて観た時は最早一人の思考停止ファンになるくらいガラにもなく感動した、とだけ言っておきます。ここまで、ここまで美しく仕上がったアイドルアニメになったんか。
で、この曲にまつわるちらほら。多くの方がお気付きでしょうが、この「夢がここからはじまるよ」という曲の前奏は、第12話で侑ちゃんが演奏した名もなき曲と一致します。またこの第13話でちらほら挿入された、同好会メンバー9人が一つのノートにリレー方式で何か侑ちゃんに内緒で書いていくというシーンは、誰の為の何を書いていたか描写で明言されないまま終わってしまうことも一辺の考察の余地を残しています。
序盤で想像の余地を残したままにして終わると書いたもう一つの締め方がここです。この辺りの証拠から類推して、ファンの方々は「この曲を作曲したのは侑ちゃんで、作詞は同好会メンバー9人なのでは?」と考察されてる方がかなりいらっしゃいますね。作詞のノートの方はこれといった確たる証拠は無くて、もう一つの可能性であるアニメ2期で回収される伏線の何かにも考えられますが、少なくとも侑ちゃんの演奏曲が一致しているのは事実なので侑ちゃんが音楽を志すと同時にそのきっかけを与えてくれたスクールアイドルへの感謝を込めて、毎日少しずつ練習して作曲したのでは・・・という推察の可能性はかなり高めです。
どうなんでしょうねぇ。自分は真相はどんな形であれもうこの13話には何も文句無しの出来栄えだという評価は既に不動ですが、どちらかといえば謎を謎のままにしてもなお素晴らしい最終話であったことに深く深く感謝しているので。ここまで滑らかで鮮やかで優しいアニメ脚本を作ってくださる方ですもの、まさか「回収するの忘れてた!」なんてことは絶対無いでしょうし、敢えて謎を残したままこの最終話を仕上げたのであれば、そこに真相や真偽を自分流で貼り付ける行為は野暮なのではないかと思ったりもします。
それに作曲に関して言えば、ソロ9人分の曲はどうやって仕上げたんだという作中のメタ的疑問にも触れることになるんですよね。メンバーの半分くらいは自分の表現したいイメージの世界で披露するステージがPVの舞台であり、作詞は各々が手探りでしたとしても曲はみんな未経験者だしな・・・という疑問にぶち当たります。その疑問を説明するとすればまた後付けの説明シーンを増やすことになりますし、このアニメがいかに洗練された構成に仕上がっているかを鑑みれば、余分なことは敢えて掘り下げないのが一番なのかもしれませんな。しずくちゃんの大好きなオフィーリア(犬)が出てこなかったり、せつ菜ちゃんが何故生徒会を志していたのかという人物像の更なる理解が無かったりしましたけど、それを差し引いても各回は素晴らしい高得点を獲得してましたから、これ以上考えるのは無粋な気もしますね。
なのでこれ以上の言及は差し控えます。30分のアニメの中でこれだけメッセージ性を強く残してくれた第13話に、最早何の思い残すこともありません。
★まとめ★
そんな訳で、お疲れ様でした。無事にアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 全13話を繙き、感想を書き上げました。
まずは第13話の総評から。
第13話、総評は文句無しの100点です。
文句の付けようが無い、とても鮮やかな集大成として最後まできれいに突っ走ってくれました。お話の大筋としては10話〜12話で企画・準備を行ってきたスクールアイドルフェスティバル本番が開催されたということのみで進展したことはほとんど無かったのですが、ここまでの12話で細やかに掘り下げられた同好会メンバー9人、だけでなく侑ちゃんもまた彼女らがお互いに関わり合い色んな世界を知った結果得られた変化や内面の成長がしっかりとステージ上で溢れ出ていました。
13話においては、やはり特に侑ちゃんですよね。彼女がこの物語を締めくくる上で虹ヶ咲スクールアイドル同好会という集まりとの、今までのアニメラブライブ!シリーズとは一線を画した関係性に相互で前向きな変化をもたらしたこと、しかしその上で侑ちゃんが一緒にステージに立つなんていう野暮この上ない展開にはならずあくまで「あなた」の延長線上にいるファン一号に徹したこと、フェスを通してスクールアイドルを応援する、夢を追いかけるという青春まっしぐらな熱情にどんな歌とエールを届けていくのかがギュッと凝縮された締めくくりに相応しい総まとめ回でした。
地味にスクフェス組スクールアイドル(転入生)が勢揃いというシーンカットもファン垂涎ものだったのでは。まぁ全校ではないですしCVも吹き込まれていませんでしたが、ただの地元のイベントにしては郡を抜いて高いクオリティの、「スクールアイドルフェスティバル」の名を冠するに相応しい時間と空間を作り上げた回だったのではと思います。
さぁ、ではこれが最後の最後。
アニメ虹ヶ咲、全13話の総括と参りましょう。
アニメラブライブ!虹ヶ咲スクールアイドル同好会 全13話総括。
さて、このアニメ虹ヶ咲、皆さんいかがだったでしょうか。
正直、自分もブログを新たに書き始めた頃はかなり精神的に不安定な時期まっしぐらでした。まぁそれは置いとくにしても、このアニメ虹ヶ咲はアニメ化決定から放送前情報の解禁までが今までのアニメラブライブ!シリーズと比べてやや控えめにされてたのでは?(この辺は個人差あります)と感じていた矢先、いきなり「2020年10月放送スタート!」という報せを受けて、率直に「制作間に合うんか・・・?」とかなり懸念していました。世間の事情的にもアニメ制作進行がかなり滞った時期での一報でしたしね。
それにその放送前情報で今回のアニメ虹ヶ咲は制作スタッフが一新されたということを知り、更に不安な気持ちがありました。キャラデザは室田雄平氏でなくなり、当然監督やシリーズ構成(脚本)、総作監、音楽全て入れ替わり、内容についても高咲侑という今までのアニメラブライブ!シリーズには無かった「10人目の女の子」という存在が一際目立って訝しげに視線を送っていました。これまたメタな話ではありますが放送前はAqoursの時代の熱がまだまだ絶頂期でしたし(今も全然現役ですけど)、その中で個人的にも「10人目」というワードや存在について不肖私も色々と否定的に思うことがあったりして、正直かなーり懐疑的に、慎重にアニメ視聴に臨みました。やはりそこはそれSunny Road、数あるラブライブ!の媒体の中でもやはりアニメラブライブ!がダントツで好いていて不動なのです。人生救われたといっても過言でないからね。冗談抜きで恩人です。
後はまぁ、ソロ活動中心とする同好会であるというところも話の構成や展開に期待値は高まっていましたね。
で、そんな懸案事項MAXで視聴していたのですが、まるで凍てついた心を溶かすかのように、ヒリついた心を優しく宥めるかのように、
アニメ虹ヶ咲は全力で正しくアニメラブライブ!をしていた。
このブログで書いたことは100%本心なので、その時その時の話数で書き殴った思いの丈は紛うことなき批評となるのですが、批評らしい批評は果たしてあったでしょうか。いえ、無い(反語)
と、言えるべき本当に、本当に素晴らしい出来栄えとして全13話を駆け抜けてくれた、オタクに優しいガチの神アニメでした。最後で語彙力崩壊するな。
俺がアニメラブライブ!の何が好きって「真っ直ぐな熱情」が大好きなのよ。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年12月26日
雨に降られようとも、時に誰かに迷惑をかけようとも、その直向きさが誰かにとっての侑(たすく)になるのなら、 そこに過剰な演出も説得力も、頂点を目指す必要無い。
踏み出す一歩に勇気の虹を。アニメ虹ヶ咲、最高でした。
アニメ虹ヶ咲は今までのスクールアイドルグループではない。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年12月26日
でも、アニメ虹ヶ咲は、間違いなくアニメラブライブ!を正しくやっていた。
総括は、これに尽きるね。
本当に、夢のような3ヶ月でした。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年12月26日
徹夜でブログ書いてる合間にこねこね考えながらアニメ観直してて、「ああ、こんなにキャラを一人一人丁寧に慈しみながら描くアニメラブライブ!があったなんて」とつくづく圧倒されてました。
アニメ制作スタッフ各位様、お疲れ様でした。良いラブライブ!でした。
ラブライブ!公式様がこのアニメ虹ヶ咲を「スクールアイドルアニメ 外伝」と捉えているかどうかは定かじゃありません。ですが個人的にあの「ラブライブ!」という特徴的なフォントのロゴが失われてアニメが封切った際、正直自分は虹ヶ咲は場繋ぎの2.5世代目なんだとばかり捉えてしまっていました。それくらい、何となく落胆した気持ちでアニメ虹ヶ咲を出迎えてしまっていました。ここに白状します。
ところが何を言わせるものか、実際にアニメ虹ヶ咲を毎週土曜日23:30からTVにかじりつくたびに、たった30分で万感の思いに胸高鳴りっぱなしでしたよ。高咲侑という普通の放課後を消費するだけの女子高生が、「あなた」の延長線上の存在としてスクールアイドルという「夢」に焦がれ、追いかけ、最後にはそんな自分自身とも向き合って成長していく様、
同好会メンバー9人、
上原 歩夢ちゃん、
中須 かすみちゃん、
優木 せつ菜ちゃん、
宮下 愛ちゃん、
エマ・ヴェルデちゃん、
天王寺 璃奈ちゃん、
近江 彼方ちゃん、
桜坂 しずくちゃん、
朝香 果林ちゃん、
それぞれがそれぞれの「虹」の橋を色濃く掛けていくかのようにキャラクターへの愛と慈しみを感じずにはいられないほど丁寧に掘り下げ、繊細に彩られ、個性豊かに逞しく成長するソロ回9人分で心のスキマを瞬く間に埋めてくれました。
後これは皆さんは当然のように受け入れていますけど、ソロ曲PVを毎回9人分、制作に間に合わせたのって相当な快挙だと思いますよ。カメラワークやアングルも拘って、当然サウンドやリリックもキャラの個性にピッタリ合っていていましたし、どのメンバーPVもお世辞抜きにして非常にクオリティの高い仕上がりだと思っています。アイドル3DCGアニメーションとしてトップクラスの質の高さなんじゃないでしょうか。
特に革命的だと感じたのはやはり6話、天王寺 璃奈ちゃんという女の子をあれ程までに美しく掘り下げるとは思わず、「ツナガルコネクト」を聴くたびに心がキュッと、引き締まります。丁度13話の折り返しのところですけど、あれ以来アニメ虹ヶ咲には全幅の信頼を置いて視聴していました。
具体的には、それぞれの話数のブログ記事をご一読くださると幸いです。
実際、作中の時間経過は夏服制服衣替えからこのフェス開催までとするとわずか2〜3ヶ月というかなり短い期間だったと推測できますが、そんな中でも彼女ら10人はしっかりと自分の叶えたい夢に向かって走り出すこと、その過程で誰の何に気付き、何に別れを告げたのかをしっかりと見出す構成能力の高さに脱帽しっぱなしでした。
唯一気になったところといえば、「生徒会」や「悪天候」というアニメラブライブ!シリーズ伝統の要素が加わるとやはり途端にキャラやシナリオの描き方・行動理念の一貫性が不安定になりがちというのは少し目につきましたね。具体的には第3話のせつ菜ちゃんの廃部ムーブや、最終13話での雨天展開でしょうか。せつ菜ちゃんを描くにあたって生徒会長での立ち振る舞いは切っても切り離せない重要な要素ではあったので致し方ないのですが、後から思い出してみれば第3話だけは結構勢い任せな展開ではありましたね。そこはやっぱりどれだけ革新してもアニメラブライブ!の系譜なんだなと、後から思い出して実感しました。まぁせつ菜ちゃん自体、これまでのアニメラブライブ!のお話を体現したかのような女の子なんでね。
3話ブログ記事では概ね好評書いちゃったけど・・・
でも本当に、それ以外はほぼ何の欠点も無い、素晴らしいアニメでした。
この場でお礼を言わせて頂きます。
アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会に携わってくださったアニメ制作スタッフの皆様各位全てに、心から感謝とお礼を申し上げます。ありがとうございました!お疲れ様でした。素晴らしい作品でした。
アニメ虹ヶ咲では、アニメのタイトルであるラブライブ大会というものを目指さない舵取りをして突き進みました。それだと一見タイトル詐欺じゃないか、それで大丈夫かラブライブ!はと思うかもしれません。
ですがそうお思いの方こそ、ぜひこのアニメ虹ヶ咲を一度でいいからご覧くださいませ。
アニメラブライブ!は、ラブライブ大会を目指さなくても「スクールアイドル」を描ける。
そう確信出来るアニメです。夢への一歩を踏み出すスクールアイドルと、それを応援するファン。その二つが手を取り合って素敵な関係を引き出せる、素敵な関係がそこにある神アニメでした!
アニメ2期はどうなっちゃうんだろうねぇ。色々考える余地を残す終わり方や伏線はあったけど。
— Sunny Road (@Elysia_Sunny) 2020年12月26日
でもとりあえず、生き延びた甲斐があったなぁ。Twitterも何とか復活させた甲斐があった。恐らくもうこれからはほぼ・・・だけど。
一年の締めくくりに適った最終回を観て、自分は幸せでした。
それでは。
もう、自分はラブライブ!においては隠居老人みたいなもので、スクスタや他の媒体、運営様に関しても文句をああだこうだ言える程熱量とこだわりを持ったファン(オタク)とは到底言えません。全然グッズだって買えてないし、時代の潮流真っ只中の声優ライブにすら足を運ばなくなりまひた。
ですがただ一つ、本当にただ一つ言えるのは、アニメラブライブ!に自分は、俺は、現実を生きる活力をもらいました。それがどんなに酷い出来だろうと、あるいは拍手喝采の120点満点だろうと、彼女らに救われてきたんです。それだけが、俺が唯一ラブライブ!に持ち得る特別な感情です。
μ’s、Aqours、虹ヶ咲。世代を追うごとに「スクールアイドル」というものの在り方や価値観は変わっていって、時に自分がついていけず置いてけぼりになっていっても、
これがもし最後の言葉になるんだとしても、
それでも声を大にして言いたい。
アニメラブライブ!は素晴らしいアニメです。
ありがとう。本当に、今まで本当に、ありがとうね。
俺も「始めて、よかった」と言えるような、良い人生を歩めるように頑張るよ。
それでは、ここで筆を置かせて頂きます。再び筆を取る時は、恐らく「アニメ2期」と冠したブログタイトルであることでしょう。
最後になりましたが、ここまで長々と駄文をご覧頂き、ありがとうございました。数少ない読者様にも、最大級の感謝を。
いとふゆ
(17330文字)
written by Sunny Road
前回、第12話の感想記事はこちら↓
https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/12/26/130520