Sunny Record

アニメラブライブ!の、私見会場です。

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第6話「笑顔のカタチ(⸝⸝>▿<⸝⸝)」感想 〜亡霊の図書館〜

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16bit Odyssey.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知り置きを。

 

さて、今日も今日とてアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会第6話「笑顔のカタチ(⸝⸝>▿<⸝⸝)」の感想をこちゃこちゃ書いていきたい所存です。タイトルに顔文字が冠されるは数あるアニメでも珍しいですが、それこそがまさに彼女らしい、天王寺 璃奈ちゃんの掘り下げ回ですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

最近は日に日に肌寒くなってきて、秋の深まりと共に冬の到来に思い馳せる今日この頃、皆さんいかがお過ごしでしょうか。さて、それはそれとしていつものいきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログ記事は、私Sunny Roadが個人的見解と偏見と自分語りをふんだんに織り交ぜた純度250%の"私見会場"でございます。自分はこの記事全ての文面に一切の説得力及び責任を負いませんことをご了承の上お読みください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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そんな訳で今回は天王寺璃奈ちゃんのスポット回ですが・・・そもそもスクスタやラブライブ!のファンの方々は彼女がアニメに初登場以降、ずっと彼女の担当回に期待の熱視線を送っている方が多かったのでは?というのもアニメ版の彼女、初登場時から璃奈ちゃんボードを付けていないんですね。

元々彼女はスクスタリリース時に正式加入したラブライブ!メンバーの1年生ですが、あちら側では感情を表すのが苦手で、「璃奈ちゃんボード」と呼ばれる自分の表情を表す画面を肌身離さず持っていて、素顔を見せない。という初登場だったわけで。まぁ何と言うか、ファンの間では「おうおうこれまた強烈な個性の娘が来たな・・・素顔隠し系アイドルってClariSかな?」みたいにかなり色物として捉えられていた印象があります。

要は初期装備で顔を隠していて、素顔を(サイドストーリーのみではありますが)見せたのは昨年の今頃。それまでは彼女を語る上で璃奈ちゃんボードは「それありき、前提」のアイテムだったわけですよ。それを逆手に二次創作のファンアートでは、そのボードや顔文字をネタにされるのが多かった気もします。

 

しかしですよ。先述したようにアニメでは璃奈ちゃんはこの6話まで終始無表情で会話しているという伏線は残しつつも、璃奈ちゃんボードはおくびにも出さず同好会活動を続けていました。もしかして世界線のよく似た別人か⁉︎なんて疑惑もかけられてましたが、当番回に人となりをどう描写されるんだろう、というのがまさに視覚的に期待されているのはメンバー随一だったのではないでしょうか。そして待望の璃奈ちゃん回、アバンのモノローグが・・・

 

 

 

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「想いを伝えることって、難しい。」

 

ああ・・・俺たちの知ってる璃奈ちゃんだ・・・‼︎

 

 

無論、このモノローグは言葉そっくりそのまま彼女のソロ曲「ドキピポ☆エモーション」の歌詞ですね。感情を表情に表すことが困難でそれをコンプレックスとし、今まで後一歩のところで友達付き合いを叶えられずにいた璃奈ちゃん後ろ暗さが、窓ガラスに映る自分の口を仮想的に笑顔にします。その曲線一本さえ自分に備えられれば、自分はどれ程・・・

ポケットの中のゲームセンターの優待チケットと苦い気持ちを握りしめたまま、寄り道に期待した足を自宅へと運ぼうとした時、出逢いは訪れます。

 

 

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愛ちゃん、見かけによらず感情の機微を捉えるのがこんなに得意だとは思いませんでしたね!最早読心に近いものもありますが。見かけによらずというとそれこそ実は地頭が良く成績も良好というのを敢えて自分から主張しないのもデキる女、陽キャの真髄なのかも。

いやまぁしっかり相手側の視線や動向の理由を追っていけば分かるんですけどね。この璃奈ちゃんでいえば、上級生の色のリボンを凝視して黙り込んでしまうと「下級生を意識して遠慮してるのかな」くらいには分かりそうですし。けどそれを「そう思ってるに違いない、じゃあどう言葉をかけてあげればいいか」を朗らかに、そして正しく、それでいて無意識に汲み取って選択できるのはやはり基本スペックが高水準と言わざるを得ないでしょうなぁ。この歳にして自発的に色んな人と出会い、豊富な経験を身につけてる証拠ともいいますね。別に変な意味じゃないっすよ。

 

 

そんなデキる女、愛ちゃんに快く手を引っ張られ、璃奈ちゃんゲームセンターのみならず同好会活動も追随します。しかし彼女は単に愛ちゃんついていくだけで満足するわけではありませんでした。

 

 

 

 

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「今回は出来ないからやらない、は無しだから。」

 

ゲームセンターで「クラスメイト」と偶然出会い、同伴していた歩夢ちゃん愛ちゃんがいて持ち上がったスクールアイドルのライブの話で、半分勢い任せで「ここでライブ、やる」と言ってしまった璃奈ちゃん。

同好会に加入してからの璃奈ちゃんは、テーブルを囲んでの作戦会議にもお世辞にも自分からガンガン主張して参加していく女の子とは捉えられなかっただけに、いきなり新生同好会初となるライブを取り付けてくるという思い切った行動をやってのけた彼女にメンバー一同は一度は面食らいます。

ですが璃奈ちゃんの不器用だけど不確かでない、「自分の想いを伝えて、仮初のキャラじゃなく等身大の自分と誰かとで繋がりたい」という想いをキャッチし、メンバーは全員協力に一致。ライブが行われる翌週の土曜日までに自分が変われることを期待して今まで以上にスクールアイドルの猛特訓を開始します。

もうこの時点で自分としては95点くらいあげたいんですけどね。だってもうこれ、スクールアイドルの原点そのものじゃないですか。自分の中でくすぶった思いがあって、それをステージの上で発信したくて。今はまだ未熟で頼りないけど、出来てない自分をいつか越えられる、いつか変われると夢見て努力し続ける。

これだけでいい、これこそが良いんですよ。

誰かが、あるいは自分が笑顔になる為にそれぞれが前向きに直向きに一生懸命頑張って、自分なりにステージで披露する。そこに何の差も隔たりも優劣も無いはずです。そしてその努力する姿をキャッチした周りのみんなも応援して、お互いを高め合う。それこそが世界で一番美しい人たちの姿だと、自分は声を大にして言いたい。生ぬるい綺麗事かもしれませんけど、生来誰しもが心の奥底で望んだ光景だとは思いませんか。何の20章かは言いませんけどね。

 

だから、多少無理をしてでも璃奈ちゃんは奮闘し始めたその姿がもう、眩しくて。ほんとに。このシーンだけでメシ3杯はいける。自分にスクールアイドルの才能がどうとかを念頭に置かないのも良かったですね。もしかしたらこれが自分に降って湧いた最初で最後のチャンスかもしれない、と期待と焦りを感じたのかもしれません。

 

 

 

 

 

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今回、多めに練習シーンが挿入されたのも璃奈ちゃんの猛特訓を彫り深く描写するのに一役買っていましたね。あまり激しめの練習ではありませんでしたが、発生練習なんかはそれぞれ得意分野の全く違うメンバー同士が協力し合って活動する虹ヶ咲らしさ出てて良かったです。

柔軟も日を追うごとに少しずつ、ほんの少しずつだけど体が曲がるようになってきて成長を感じるの、分かりますよ。

 

ライブMCの歩夢ちゃん、とっても可愛らしいんですが本来それをサポートする役回りでこの同好会にいる侑ちゃんの方がただの思考停止オタクみたいになってて苦笑してしまった。自分も人のこと言えない節はありますが・・・歩夢にはかわいいかわいい言っとけば堕ちるやろwみたいな軽々しさでヘラヘラしてんじゃねーよ。

 

 

 

 

今回自分が璃奈ちゃんを何よりも評価したい点は、やはり璃奈ちゃん努力をいつでも忘れなかった強さ、その一点に尽きます。

これまでアニメニジガクは、どちらかと言えば自分の心の中に眠る気持ちに「気付く」ストーリーの向きがあり、逆に言えばその「気付き」さえあれば後は持ち前のスペックでステージを余す所無く表現出来てしまう、既に備わった地盤の固さがあったわけなんですね。

そうじゃなく璃奈ちゃんの場合はまるっきり逆で、自分の中核にある大切な野望の一心は既に固まってるのに、それに対して自分の持ち得る物理的な能力がついてこないというのが彼女が他のメンバーの担当回とは一線を画すところです。なので今回の彼女のステージはイメージ世界のステージではないんですね。それがこう、地に足を着けた感じというか、彼女が惜しまなかった努力に対してすごく寄り添いやすかった。璃奈ちゃんが今回自分の心とそれに伴う身体に向き合う際に不可欠である「心を繋ぐ人たち」の存在・・・現実のステージの向こう側、視聴者や観客といった認識をきちんと忘れずに持ってくれて画面に表していたのが、何よりもアイドルらしくて良かったです。

 

 

 

 

 

 

 

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天王寺璃奈という女の子は、別にコミニュケーションを取りたくないという無口で内向的な女の子ではありません。

侑ちゃん歩夢ちゃん、はたまた今まで仲良くしていた愛ちゃん、そして虹ヶ咲初見のアニメ視聴者はこの回を経るまで軽くミスリードを食らってたとは思うのですが、彼女は寧ろ逆、中学までコミニュケーションに対してすごくもどかしい思いを抱えていたからこそ人一倍会話に素直な気持ちを吐露出来る女の子です。トラウマになって人見知りになるなんて以ての外ですよ。何て芯の強い女の子なんでしょう。

 

自分の過去を恥じらうこともなく正直に淡々と話し、きっちりと協力してもらってるメンバーに向き合う。それが出来る彼女はコミュ障ではありません。そしてそれを短期間の付き合いで把握し、璃奈ちゃんに最適な距離感で理解者になってあげる愛ちゃんの、いつも通りのやり取りだけど絶妙なバランスが巧いと感じましたね。こいつ毎回巧い巧い言ってんな。この後のシーンもそうですが、愛ちゃんの絶妙な距離感の取り方は何と言うか、オタクにグッとくる心の掌握術を心得ているなと。グイグイ前のめりで干渉してはこないけど、かといって無関心ではない。この辺は何だか俗っぽいですけど、でも人と人との心のしがらみに囚われやすい人にとってはすごくありがたいやり方ですよ。

 

 

 

 

 

少しずつだけど着実に、(ライブMCはともかく)色んなスキルを少しずつ上達させて。元々得意だった映像や作曲製作は勿論、目に見える成長というものは、自ずと自分への期待感も高まり自信も付くものでしょう。そんな中、前から声をかけていたクラスメイトにライブのお誘いをしようとした自分は、窓ガラスの鏡の中の天王寺璃奈はーーー

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璃奈ちゃんの望み。それは勿論、「以前までの自分じゃなく、表情を変えて自分の思いをはっきり伝えられる自分に変わりたい」ですよね。

じゃあそもそも「変わる」ってなんでしょうか。別人になることでしょうか。外見を作り替えることでしょうか。今流行りの異世界転生が可能ならお安い御用でしょう。VR MMOなら誰だってキリト君になれます。

 

違いますよね。非情で冷たいことをいいますが、人そのものの人格はどうしようもなく変わりません。変わったと思うなら、それは経験と共に行動が変容しただけです。

一朝一夕の付け焼き刃で人が変われるというのなら、璃奈ちゃんはとっくの昔に、中学時代に友達を作っていたでしょう。そうすれば自分の不出来や欠如が悪いと自責の念を抱くこともありませんでしたし、ライブ直前で家に閉じ籠ったりもしません。

 

 

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侑ちゃん歩夢ちゃんが心配そうに口を噤んでましたが、やはり学生時代に友達が出来ないというのは辛いと思うんですよ。アニメだとよくあるバックグラウンドですけどね。そしてそれを表情が上手く出せない自分のせいだとはっきり自責していればいるほどしんどくのしかかるコンプレックスになると思います。自分はこんなにも思っている、だけど付いてこないたった一つのもののせいで、みんな誤解して、心の距離が遠ざかってしまう・・・。惨めな自分を客観視すればするほど心がズキズキ痛むような、毒のようなものだと共感しますよ、自分は。

 

ましてや璃奈ちゃんはこれから多数の観衆が自分を見るライブを控えているわけですから、クラスメイトへのお誘い以上のリスクを抱えてしまうことになる。過去の怖さが影を大きくし、どんどん自分で自分を追い込んでしまう。

 

 

 

 

 

 

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けどねぇ璃奈ちゃん人間誰しも何かしら欠けてるもんですよ。何ならこの同好会にだって、自分のスタンスを気にして大切な人にまで素直な気持ちを吐露できない女の子が大人ぶって拗ねたりしてるくらいなんですから。

 

このシーン、ちょっとピリピリしてますけど面白かったですね。エマちゃんが上手く果林さんの本心汲んでますが、「今日はもう解散にしない?」というのがよく考えるとおかしいんです。本当に璃奈ちゃんに幻滅して興味を無くしたのであれば、果林さんであれば尚更「今日はもう私、失礼するわね」って黙っていなくなればいいんですよ。

まぁ確かに璃奈ちゃんがライブ前日に家に閉じ籠るのは割と結構問題だとは思いますが、そこで同好会メンバーが提案に反して「璃奈ちゃんのところに行ってみよう‼︎」と持ち直すのは、彼女のそれまでの猛特訓でのたゆまぬ努力と情熱を受け取っていたからに他なりません。努力は信頼への近道。果林さんは自分の提案を否決してもらうよう、メンバーを試すべくけしかけたのか・・・まで考えて拗ねてたとは思いにくいのですが、(これを待ってた)と言わんばかりのホッとした表情も良かったですね。

 

 

 

 

 

 

 

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(らりるれろ!らりるれろ!らりるれろ‼︎)

 

 

何で中に璃奈ちゃんがいるとバレたのでしょう。戦場のど真ん中に置かれてても中に人がいるとバレないはずなのに・・・

 

冗談はこの辺で。てへ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ライブで沢山の人に見られる不安。自分の本心をきちんとステージで表現出来るかの不安璃奈ちゃんはこれを自責で塗りつぶして、自室に引きこもってしまっていました。ごめんなさいと何度も謝るのは、自分を気にかけて、応援して、支えてくれた人を裏切る形になってしまっているから。自分の努力を実感出来る人は、人の応援も同様に厚く暖かく感じられるものです。

けど・・・よくよく考えたら、それは璃奈ちゃんだけが持つ不安ではありません。同好会メンバー各々が「いくら支えてくれていても、ステージでは自分一人で臨まなければならない」と、それぞれ違う形で緊張と不安に呑まれるはずです。それは虹ヶ咲ならではのナーバスな気持ちだと思いますし、しかしだからこそ、メンバー全員がその気持ちに寄り添うことが出来るのです。だから、そんな臆病な気持ちを一度は跳ね除けて努力する璃奈ちゃんのことを決して見放さなかったから、彼女らは璃奈ちゃんの家にいる。押しかけてくれる。バックれをしてしまった自分の話に待ったをかけずにちゃんと聞き届けてくれるんです。璃奈ちゃんの行いを否定するかどうかは、理由を聞いてから。それがしっかり出来ている同好会はあったけえ、あったけえなぁ。

 

 

 

 

 

 

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オタクの皆さんはコミュ障がどうのとすーぐ人を決めつけてますけど、「自分の思いを上手く伝えるのは難しい、不安」なんて、誰もが多かれ少なかれ思ってますよ。

言うなれば、みんな等しく表向きはコミュ障であって、内心はコミュ障じゃないんですよ。最初は。

その差や比率が人によって開いてくるのは生来の性格然り、学校や社会で他人と関わる上で自分のことをひけらかした時の反応や体験次第です。そこで躓くことで、「みんなが出来ているのに自分は何故・・・」と他の皆が出来ているのに自分が出来ない劣等感に苛まれることもままある・・・のですが、人間関係なんて上手くやろうとすればするほど、深く考えれば考えるほど恥の上塗りになること必至。

 

これはもう、誰しもが共通することです。オタクじゃない自分だってこの璃奈ちゃんの段ボールの中の独白はすごく共感しました。「胸が痛くて、きゅーって・・・」のところ、自分までズキズキしましたもん。

周りへの羨望、劣等感、オリジナリティの否定。もう日課のように堂々巡りしてます。そんな奴が26年間ヘラヘラ生きて何食わぬ顔で社会を闊歩して。人間なんて、本質は皆そんなもんです。大切なのはそれを肯定できるか、否・・・開き直れるかどうかです。分かってる、そんなことは分かってるんですよ・・・ちくしょう・・・

 

 

 

 

 

 

 

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だからね璃奈ちゃん箱の壁一枚隔てたくらいで本心を打ち明けられるのは、寧ろ素晴らしいことですよ。目線が低いと言われるかもしれませんけど、あなたの不出来に救われる人がきっといる。

 

そりゃあやっぱりどれだけ覆っても被っても生身の人間、Face to Faceで目を見て話すのが一番良いに決まってますよ。でもそれはあくまで一番手っ取り早い方法からで、それが出来ず辛い思いをしている人を否定する理由には、やっぱり絶対ならないはずです。

そんなことを言い始めたら、ほんの1000年前の、詩で季節や人を愛していた日本人は全否定されますし、世界のあらゆる書物や物語や手紙は何の感情も持たない文字列ですよ。ほらね、段ボールの一枚や二枚なんて誤差ですよ。

 

 

 

 

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出来ることがあるなら、それを武器にすればいい。かすみちゃん、今週は後輩面だけじゃなく良いこと言ってくれた。別にアイドルに限ったことじゃないですよ。そこに隔たりがあっても構わない。出来ない気持ちを出来ることで覆って、その分人よりも正直な言葉で話して、頑張る。それが出来るだけで100点満点です。そうやって頑張る人の「壁」を勢いで無理やり引っぺがす・・・のもまた胸熱ですけど、ニジガクの女の子たちはそれをしないのがこれまた良かったですね!

 

 

自分は先程「人は変われない」と書きましたが、「だからといって変わらなくてもいい、変わろうとしなくてもいい」とは一言も言ってません。

大切なのは「真実に向かおう」とする意志・・・と某警官が漫画で言っていたように、「変わろうとする意志」を否定する者は誰もいないんです。ちょっぴり寂しくなるだけでね。その今ある最大限の努力をまずは認めてあげる。それが愛ちゃんの段ボールハグだと思います。愛ちゃんに限った話じゃないですね、あの場にいた同好会メンバー全員段ボールを取ろうとしなかったのはグッときましたねぇ・・・侑ちゃんが真剣な表情から柔和になり、「ありがとう」から始まったのも良かったです。このやり方、梨子ちゃんにちょっと似てるんですよね。千歌ちゃんの周りに反して自分はどんどん"普通"にとらわれて置いてけぼりになっちゃう旨を聞くたびに梨子ちゃんは肯定も否定もせず「そんなこと、思ってたんだ」と返すの、アレすごい好きなんですよ。返答や自分の意見じゃなくて、まずはじめにあなたの内心を打ち明けてくれたことに意識を向けてあげる。これ、なかなか出来ないことですよ。

 

もう、そこに精神的な隔たりなんか一切無いんです。誰よりも本心を発露したい、だけど顔は、今は出せない。それすらも個性として認めてあげられているのは、ひとえに璃奈ちゃん努力の産物なんですよ。

 

 

 

 

しかし璃奈ちゃんはそれで甘んじる女の子じゃありません。せつ菜ちゃんのほんの些細な一言から、「壁一枚挟めば、自分は感情を100%伝えられる」という重要なことに気付いた彼女は思い立ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ステージに立つ自分。磨かれた床に映るのは、璃奈ちゃんの表情を、

感情を、

心情を、

本心を、

直情を、

デジタルな顔文字でリアルタイムに表示し、「代弁」してくれる璃奈ちゃんボード。

 

いやぁもうこれは・・・鮮やかとしか言いようがない。序盤で鏡に映る自分に指で笑顔を描くのがこうも鮮やかに回収されるとは。こんなん・・・こんなん文句の付け所が無いやん。

今まで感情をそのまま表情に出せない自分を、憎らしく思うこともあったでしょう。指で口角を上げて、無理やり笑顔を作ってたりもしてたかもしれません。そんな女の子が「朗らかに笑う自分」を初めて見つめられたのなら、それはどんなに救われて・・・と思うと、本当に、涙が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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やべえよ涙が止まらねえよ・・・‼︎

 

すげえ、すげえよこの新曲。

いや普通に考えてですよ。表情の変わらない女の子をどう演出したら「感情」を表現できるかって相当難しいと思うんですよ。

それがまさかまさか。アップテンポのデジタルポップチューンのリズムの中に、璃奈ちゃんの細やかな仕草、視線、口元のカメラワーク、振り付けと、彼女の魅力に文字通りどアップでフォーカスを当てて最大限引き出している。璃奈ちゃん、元々髪色が派手めなピンクだっただけに他の小道具や風景に目が取られにくいのを逆手に所作の一つ一つに目を奪われてしまうんですよね。

彼女はその最初期の所謂色物枠として文字通り電波ソングが似合うと、言ってみればイメージ通りの楽曲が誂えられてるなぁと感じてはいたんですが、この6話の掘り下げ方の巧さの後にライブパートを見るとまさにとっても"エモーショナル"な曲に感じてしまう。電波系らしさなんて全然感じないですし、何より今まで彼女を電波系と一括りにしてた自分は彼女のことを全然知れていなかったと、ハッとしてしまいますね。

 

 

 

 

 

 

 

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璃奈ちゃんは冒頭で「想いを伝えることって、難しい」と言いました。ですが彼女は「難しい」とは言っても出来ないことだから無駄だししない、とは言ってません。

そう、璃奈ちゃんの真価は諦めないことです。

弱きを受け入れ、自分なりの強きを拓く。勇気を持って挑み、どんなことでも努力して、続けてみる。

全てが結実しなくてもいいんです。今はまだ、それだけ。その「それだけ」を今の自分の精一杯を認めて、受け入れてくれる人がいる。璃奈ちゃんボードという壁は隔てているけど、本当にやりたいことは「人と心をつなげる」ことであり、それはもう達成されてるわけですよね。璃奈ちゃんボードは彼女なりの成長の過程と、これからの余地、そして何より過去現在未来全てを繋ぐひと繋ぎの感情そのものです。

全力で頑張ったからこそ、全力で笑える。スクールアイドルの、一生懸命頑張った人の、最も貴き砂金を掴めた璃奈ちゃんボードは、かねてから念願だった決めポーズで言います。

 

「璃奈ちゃんボード、"にっこりん"‼︎」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

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第6話、総括としては

 

120点です。

 

 

いやもうこれまとめる必要ないでしょ。どこをどう切り取ってもケチの付け所が無い、素晴らしい璃奈ちゃんでした。アニメニジガクの感想ブログではきっちり100点満点で採点しようと思ってたけどこれ程までに一人の女の子を美しく、可愛く愛ざして掘り下げる巧いがあったとなればもう点数も上限突破して120点あげちゃう。

 

確認したら、今回第6話の絵コンテ・演出担当ってアニメμ’s監督の京極尚彦さんなんですねぇ・・・信頼と安心、というかそれ以上の傑作をポン、と一話完結回で出してきて頭が上がりませんわ・・・流石やわ(感服)

 

 

 

 

 

 

 

しかしまぁこの璃奈ちゃん回、正直キャラ改変されるんだろうなぁと思ってたんですよ。だって1話から素顔出してるし、璃奈ちゃんボードなんてそれまでおくびにも出さなかったじゃないですか。終始無表情→感情を表に出すのが苦手、というポジションシフトを残しておいて、後はアニメラブライブ!の悪しき様式美としても有名なキャラを掘り下げる為の設定付加や削減・改変がなされて、何となく肩透かしのまま「まぁ、ニジガクらしくて良かったや、、、はは、、、」みたいな何となく乾いた感想ブログになるかと書く前から思ってたんですが・・・

いやぁこれはめちゃくちゃ良い意味で予想を裏切られた。何がアレって、スクスタ初お披露目の時の彼女の説明を何一つ省く・加えることの無いままそれをアニメで逆転の発想で掘り下げたんですよ。堪んねえわ。顔を隠したままアイドルをするという行為は、現実ではClariSだったりVtuberだったり割と馴染んではきているものの、やはりアニメで一人の生身の女の子を人間らしく描くとすればかなりデリケートなハンディだと思ってはいたんですよね。

それが何の何の。璃奈ちゃん本人はあくまで自然体で、かつあまり重たいシリアスにもならず、それ以上に一生懸命自分の欠如に向き合いながら頑張る描写でもうこれは立派なアイドルそのものですよ。今んとこ正式なライブ回数で同好会抜いてるし。そしてそんな彼女を支える同好会の、どんな形であれスクールアイドルに対する熱情をキャッチし協力する姿勢、弱点を個性として認め受け入れてあげる懐の深さが「心の支え」として愛ちゃんを筆頭にしっかりと描かれているのにも隙が無えと思いました。

 

自分、アニメラブライブ!を好きでいつづけて本当に良かったと、いま心から感謝しています。信者は思考停止で褒めそやす、みたいなのじゃないですよ。原点に忠実に、だけど唯一無二が出来ているアニメニジガクは・・・キャラデザやロゴや9人縛りがいくら変わろうが関係ないです。これは、アニメラブライブ!の正統な後継です。自分が一番求めていた、一時は時代の変化と共に失ったかと思えたものが、しっかり受け継がれている。第6話にして自信を持って言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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表情の代わりに、頑張る全ての人たちの明日を笑顔にする璃奈ちゃんボードを、既に持ってたあなたに、大好きの電波を贈ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

       (11170文字)

 

                          written by  Sunny Road

 

 

 

前回、第5話の感想記事はこちら↓

 

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/11/07/111154

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第5話「今しかできないことを」感想 〜Klondike Cooler〜

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Hallo, Mein Schatz.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知り置きを。

 

 

 

 

さてさて、今回もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会第5話の感想などをこちゃこちゃ書いていこうと思います。今週はエマ・ヴェルデちゃんのスポット回ですね。

 

 

 

 

いつもの書きまーす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログ記事は、私Sunny Roadがアニメラブライブ!を独自の私見と偏見を濃密に濃縮して長文でしたためただけの冗長駄文記事です。その点を十分考慮しご覧くださいませ。本記事の一字一句に自分は一切の説得力と責任を持ちません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、今週もアニメ本編をなぞりながらツッコミや解説を入れていこうかな・・・と思ったのですが、前回同様今回も何も言う事なしの神回だったために言及することが少ないんですよね。

なので、今回は実験的な意味も込めて、今回の主役であるお二人にスポットを当てながらのんべんだらりと論考を進めていく形式取ってみたいと思います。決して書く時間がなかなか取れなかったから簡単に済ませるわけじゃないよ。・・・それも半分あるっちゃあるけど。

まぁどうせいつもとっ散らかってまとまらない記事になってるので、何つーか・・・今回くらいは開き直っちゃえ!的な、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、ちょっと待った。最初にツッコむところだけツッコミ済ませといていい?ごめんね段取り悪くて。これだけは書いておきたいので、ちゃちゃっと。

 

 

 

 

 

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うわキッツ・・・(ドン引き)

 

 

「もぉ〜(むくれ面)(ポカポカ)」

 

 

 

おぞましいわ。えっ、今日日こんなカップみたいなおっさんが知識・経験皆無で想像しただけみたいなくっさいやり取りある?

 

いや断言してもいい、このシーン侑ちゃん役の矢野さんも歩夢ちゃん役の大西さんも絶対「うっわキッツ・・・」って思ったでしょ。

 

ちょっと待ってください、別に自分は侑ちゃんや歩夢ちゃん叩いてるわけじゃないですよ。「アピールポイントってどこだろう?」という

歩夢ちゃんの問いに侑ちゃんはたった一言、「かわいい」のたった一言も用意せず褒めてるのかどうか分からない小動物みたいな形容をしたから何だか微妙な気持ちになった、そこまではいいんですよ。彼女たちが普段から上っ面の褒め合いや馴れ合いをよしとするような関係ではないのは今までのアニメラブライブ!にありそうで無かった関係で良いと思います。

 

まぁそれについては恐らくまた必ず一悶着あると思うのでその時改めて書きたいと思いますが、とりあえず、もう、この・・・(ポカポカポカポカ)がああもう・・・ゾワゾワゾワッ‼︎としちゃいました。古い。古典的なバカップル。やり取りがおっさん。90年代のトレンディドラマでもやんねーぞ。

今時のリアル女子高生の延長、として第1話では彼女ら二人を描いてたじゃないですか。放課後に寄り道して買い食いして、ベンチで自撮りして、適当にショッピングモールで買い物して。自分は何を隠そう17歳の女子高生なので最近の女子高生事情には詳しいんですよ。

なのにこのやり取りだけ異常にホコリ臭いのを感じてしまって戦慄しましたね。まぁ否定はしませんし違和感ってほどじゃないですけど・・・マジで今時こんなのやる人いるのか!!!???ってガクブルしちゃいました((((;゚Д゚)))))))

 

侑ちゃん今回何でジャケットに袖通してないの?もしかしてそれがカッコいいファッションだと思ってる厨二系女子?それとも何だ・・・シモン巽幸太郎に影響でもされたの?

何かこの回や先の展開への暗喩か伏線になってるのかも疑いましたがマジのマジで全然関連性が思いつかないので純粋な謎ですね。そういう余計なことしてると作画スタッフに無駄なダメージ入るんだぞ。

 

 

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今回、スクールアイドル同好会全体のアクションとしてはPV撮影が主題でしたね。そして同時に、アニメ作中のライブシーンの異世界や特設ステージは実際に撮影されたものほぼ表向きに明言されましたはえー・・・(感心)

あまりメタ的な要素は触れない方向で・・・という暗黙の了解があった今までのアニメラブライブ!のライブシーンにおいて、実際のステージではないイメージの舞台の映像を実は撮影されていて動画で投稿するというのは何というか良い開き直りですねぇ。プロレベルのカメラワークと演出をどうやって学生らで実現したんだみたいなツッコミを出演者側から開き直って丸ごとねじ伏せるやり方、嫌いじゃないですよ。

というか実際に投稿されてた非現実的シーはせつ菜ちゃんのPVだけで、歩夢ちゃんやかすみちゃんは普通の自己紹介動画でしたもんね。せつ菜ちゃんは現時点で各所からかなり期待されてるスクールアイドルとして名を馳せていましたから炎が吹き上げるステージで踊っても何ら不自然ではないですし、編集は技術要員の璃奈ちゃんというのもあってイメージ加工や演出を加えた・・・と考えてもおかしくはないですよね。

再生回数という割と非情な数値指標が今作も出てくるわけですが、スクールアイドルの総数やレベルが飽和しているという事情がAqoursの時系列から地続きになってる場合、約2100回という再生回数は正直微妙な反応になっちゃいましたね。よ、喜んで・・・ええんか?リアルではYouTubeなどの動画サイトがブイブイ言わせててその辺の数値にも馴染み深いからこそ、そこは敢えてぼやかしてもいいとこなのに・・・とは思います。ま、これも後の展開の布石であるなら・・・口は噤んでおきましょう。

 

かすみちゃんが主導となって動画チェックをしてるのも良いですよね。何より一番に、全世界に自分をアピールしたい人物が先頭となって他方面に向けて活動していくのは部長としてもしっかり活躍できてます。かわいい。

 

 

「スクールアイドルにハマっちゃって!だからみんなを応援したくて‼︎」

「えっ・・・?」

 

っていう侑ちゃん歩夢ちゃんのやりとりがありましたがこれは確かに侑ちゃんの言ってることがすり替わってて話が違うぜてめえこらとは思います。別に百合脳ではなく。そう捉えてもいいけど、恋愛脳というか、陳腐になるからね。

侑ちゃんかすみちゃん回の2話で、「歩夢を応援したくて」と確かに言ってるわけですよね。専属マネージャーかどうかは返事を保留というか自分でも分かってないような返答でしたが、歩夢ちゃんからしてみればその後どれだけメンバーが加入しても侑ちゃんは迎合と協力こそすれ本命は自分だと思うじゃないですか。別に百合的意味じゃなく。

歩夢ちゃん侑ちゃんに対して独占欲があるのかどうかはともかく、「いつだって歩夢の傍にいるよ」と1話で言ってくれた大切な友人が、発言を伴うにつれて少しずつ二人だけに流れる時間と距離が遠ざかっているのに気付き始めているのは・・・これは近い将来、もう一悶着ありそうですねぇ。それについてはまたその時。

 

 

 

 

前置きはここまで。

 

 

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さてさて、改めまして今回はエマ・ヴェルデちゃん回です。エマちゃんといえばファンの方はご存知、スイスから来た雄大大自然育ち、何もかもが大らかで包容力と朗らかな笑顔がチャームポイントの3年生という、今流行りのバブみの権化みたいな女の子ですが・・・今回の回の何が神回って、エマちゃんの外面的特徴を100%押し出すだけの30分ではなく、内面にちょっぴり隠された、残したままの幼げな感情を友人と分け与えるのがこれまた構成として素晴らしいんですよ。前半に大人気エマちゃんのスクールアイドルとしての可愛らしさ、後半は大切な友人とのお互いを愛ざす為の優しい対話を中心に描く、アニメラブライブ!で培った王道でありながら幼女向けアニメにも通じた全く新しい虹ヶ咲としての新境地をしっかり切り拓いている友情回だと感じました。

 

 

 

 

 

ではでは、前述のように切り取って書いていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分のエマちゃんに対してのイメージはずっとこんな感じでした。初見の方はご存知ないと思いますが、彼女は元々スクフェス、要はラブライブ!のアプリゲームの転入生枠、所謂モブキャラの一人扱いだったわけですね。そ彼方ちゃんしずくちゃんも同様の枠です。

それが何ということかプロジェクト虹ヶ咲が水面下で始まり、そのメンバーの転入生として抜擢され、声が付き、デザインも少しずつ洗練され、アニメで遂に動いて登場し命を吹き込まれた・・・と思うと本当にすごいシンデレラストーリーだと、感慨深くなりますね。他の二人も同様です。

 

 

 

 

 

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(スイスって熊いるんだろうか・・・やっぱり大自然育ちで「熊は人を食べる(くらいどう猛な生き物)」と刷り込まれてるんだろうか(考えすぎ)」

 

エマちゃんが来日したのは、既に彼女に明確な目標があったからです。スクールアイドルになって、人の心をポカポカに出来るような存在になること。これは自分の過去の実体験に基づく憧れだとも本編で繙いていました。

 

では、心をポカポカにするスクールアイドルって何なんでしょう。せつ菜ちゃんや愛ちゃんの時もそうでしたが、自分や他人の感情にスクールアイドルへの行動原理がある女の子はその具体性の無さに必ず壁にぶち当たるのは自明の理です。で、しずくちゃんの提案もあり服飾同好会の助けを借りて色々な衣装を着せ替えしてみたりして、当の本人も割と乗り気ではあったのですが、そんな小道具で解決できるような感情ではないんですよね。イメージには合っていたとしても、本質に適っていない。

 

しかし彼女は「心をポカポカにする」と連呼はするものの、実際にどう言語化・実現化するかは掴めていません。そんな時、彼女の心をチクリと刺すような、無理して冷たく顔をしかめているような友人の本心をひょんなことから垣間見てしまいます。彼女の周りに穏やかに流れていた大自然のような時間は自分の意思でそのスピードを速めていきます。それは衣装ではなく、彼女のありのままの感情を写し出す制服です。スクールアイドルならでは、原点ともいえるその制服は、まだあまり身体に馴染んでいないにもかかわらず、学生寮に駆けて戻っていく自分に妙に合っていました。その服で、その時の服でしか作り上げられない時間を、分かち合いたい。彼女の訪問に目を丸くする友人の驚きもよそに、エマ・ヴェルデはアンストッパブル・タイムズを強情に迫ります。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今までのアニメラブライブ!とは違い、自分はそもそも果林さんについてあまり事前情報を仕込んでいません。全く仕込んでいないわけではないですが、彼女が歌う曲を聴いて、雑誌等で彼女のおおよその人となりを見知っているくらいでした。スクスタのストーリーは途中までしか読み進めていませんし、それも一人一人の動向をきっちり掴めているかと言われれば、正直な話割と忘れてしまってます。情けない。

 

けどこれが不思議な話なのですが、果林さんが飽くなきチャレンジ精神と向上心を燃やす落ち着いていながら我欲の主張が激しい負けず嫌いの表向きの性格の裏で、実は求められる自分を常に演じて保っていなければならない寂しさや不安が付きまとっている少しあどけない一面があることを、「Wish」の歌が世に出る前から自分は何となく予想してました。またまたぁ、って思うかもですけどマジなんですよ。自分でも驚いたくらい。長い時間アニメラブライブ!に浸ってるからですかね。だからあの曲が歌われた時、実は「読みが当たった!」とばかりにちょっぴりガッツポーズしたりしてました。

 

 

 

 

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衣装であったりポージングであったり、スタイルであったり。自分を最高級に着飾ることを我流としてきた果林さんにとって、自意識というものはセルフプロデュースそのものです。なので彼女が同好会加入後にあんなにも自信満々なのは、同好会の活動方針が彼女の得意分野にピッタリ一致しているからなのでしょう。

 

自分は何者なんだろう。どういう人物でいなければならないんだろう。誰しもそんな自意識への不安に一度は悩んだことがあると思います。それは凡人だって有名人だって変わりません。スパイダーマンのピーター・パーカーだって悩んでます。何なら自分は日課みたいに気にしています。

なのでその「自分ルート」を決め打ちで、自分はこうだからこう振る舞って生きたいと早々に自分の人生の配役に決定を下している人は、俺からしてみればすっごく羨ましいです。決定力と実行力を兼ね備えた人には、良い意味でのこだわりが垣間見えて素晴らしいと思います。

ただそれを求められているからこういう人物でなければいけないという話だった場合、その人にはどこか物寂しい背中を感じてしまう。その人の体の周りに、とても重くてサイズが小さい、タイトな衣装ががんじがらめになってるイメージがあります。動けないわけではないけど、動くたびに体が軋みをあげるような。

しかし例えばそれすらも生きがいとしている人は、いつのまにか衣装に身を任せて圧迫された感情さえもひた隠すことに慣れてしまう。そういう抑圧された環境の下で生きてた人、よく知ってますよ。何てったって自分の姉ですからね。

 

果林さん「朝香果林はそういうキャラじゃない」と言いました。自分は生来、本気で好きになった人たちを「キャラ」とか「設定」で捉えるのは苦手です。だってそんなのあまりに無機質で、寂しいじゃないですか。自分はこういうキャラだから、こういう設定になってるからなんて、現実で言ってみてくださいよ。もれなく「あんたロボットなの?」なんて顔をしかめられますよ。要はそういうことです。人はそう簡単に一筋縄でいてくれません。自分で自分をこだわるのは勝手でも、自分の素性を無かったことにすることは出来ないんです。異世界転生の作品でさえ、そこは必ず無視されるように。自分のアイデンティティは、どうしても可愛く、譲れないもの。周りに受け入れてもらいたい女の子や、周りに発信したい女の子がほんの近くにいるのが何よりの証拠です。

果林さんはスクールアイドルを断る理由としてまず最初に「ああいう騒がしいのは苦手なの」と言いました。実際これは耳障りの良い言い訳・・・というわけではなく、半分事実なのでしょう。元々物静かでパーソナルスペースが狭く、周りと群れるのをあまり好かない人はいるでしょう。しかし彼女はその生来の性格を拠り所にしてしまったんじゃないかと思います。丁度良く「朝香果林は大人びていてクール、落ち着いている」という印象が当てはまってしまったことが、自分で自分に味を占めてしまった。要は・・・自分で自分にピッタリの色で塗り固めてしまったわけです。

 

 

 

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けど、元の色を無かったことにはできない。今一番やりたいことは、本当に焦がれていた色は、誰かと交じり合ってしか作れない色だから。それを掬い取ってくれる人を、分かってくれる人を、分かち合ってくれる人を、みんな無意識に探しているのかもしれません。

だから人は友達を作るし、恋愛をするし、手紙で遠く離れた人に想いを伝えるし、外に出て人と知り合うんです。果林さんも同様です。何とも彼女には似合わない子どもじみたきっかけで彼女の本心は大切な友人に覗き見されてしまいます。 仮面の下の、子どもっぽい表情をね。

本当はみんなとワイワイ、スクールアイドルをやってみたい。そして何より、親友と一緒の時間を過ごしたい。百合的な文脈じゃなくてね。あまりにも単純で、あまりにもあどけない。だけど自分自身に巻き付けた衣装の色もまた大切だから、優しく手を差し伸べる彼女の手を、必要以上に振り払わなければならない。

 

 

 



 

 

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エマちゃんは、最終的に「みんなと一緒にスクールアイドルをやろう」と言ったわけではありません。「やりたいと思った時から、もう始まってるよ」という言葉が今回のMVPだった真相は、エマちゃんは最初から果林さんのことを「クールで大人ぶっている人」となんて思ってないからです。だから今回の5話の冒頭は、まず右も左も分からないスイスから来た留学生が同級生に出会う、そんな何の変哲もないシーンから始まるのです。これまたこの構成の巧さが際立つのもニクいですが、しかしこの出会いが特別な出逢いではないというのが、彼女らが違う立場同士の友人ではないことの証左になります。

たとえ誰がどんなことを言おうとも、「どんな果林ちゃんでも、笑顔でいられればそれが一番だよ」と本心をぶつける彼女の真意は、包容力だけではありません。あなたをもっと知りたい。それだけです。その結果が「クールで大人ぶった」人物だったとしても、それでいいんです。「きっと大丈夫」と言ってくれる人がいるならね。心のどこかで自分を否定していて、それに甘んじるから孤立して、陰で悲しい顔が浮かぶ。

エマちゃんが強引になったのは、その心の跳ねっ返りが自分の好きなスクールアイドルだったからです。心配そうにしていた侑ちゃん歩夢ちゃんには何も告げず走って行ってしまい、彼女のもとに一目散に向かいます。エマちゃんが彼女を見る目は、あの日からずっと変わりません。困っている時に声をかけて助けてくれた友人。その目だけです。ということはつまりエマちゃん自身もああ見えて、心のどこかで他者を求めたい、友達を頼りたい気持ちがあるんです。人間なんてそんなものですよ。果林さんだけが特別なんてわけないんです。エマちゃんだっていっぱしの10代の女の子ですから、心細い時は友人の寮室にだって訪ねますよ。特別な意味とかじゃなくてね。

 

 

 

 

 

 

 

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どこまでも同じ目線で、どこまでも自由に。大自然で育ってきたエマちゃんは自分を特別な存在に置いてやまない人を、彼女は同じ目線のステージに招き入れます。そこにはオーディエンスは一人だけです。何ならステージと観客席の区別さえありません。やりたいことを発露し、叶えたいことを表現する者だけが観れる、自分の本当の居場所ともいえる雄大で広大で壮大で、だけどどこかちっぽけなステージ、それはーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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エマちゃんのソロ曲は「La Bella Patria」。

彼女の生まれ故郷、スイスの公用語であるイタリア語で「美しい故郷」と言う意味です。カントリーロードみたいですね。

彼女の表現する世界はこれまでのメンバー回と比べると一見スクールアイドルとはかけ離れているように見えますけど、これは彼女のふるさとである国の風景というよりは彼女の心象風景という方が近いのではと思います。果林さんの為に贈る歌がスイスの風景に基づいてるかどうかは問題ではなく、心の美しさをどれだけ表現できるかが、果林さんの臆病さと隠していた本心を柔らかく解かし、ほぐし、包み込むわけですね。

いやぁ楽曲も素晴らしい。エマちゃんがアップテンポな曲を歌うのは割と珍しい反面、曲の端々にキチンと伝統的な北欧を思わせるサウンドを残してて高原の香りをたっぷり感じます。前回の愛ちゃん回とは打って変わって、ものすごくスケールがデカいイメージなのも彼女らしいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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エマちゃんは、果林さんにまず「一緒の時間」の方を叶えてあげたというのが自分は素晴らしいなと。いきなり本心をぶつけ合うと、やはり反発心から余計に引っ込んでしまうものですからね、心ってものは。ツンデレですよ。

 

エマちゃん果林さんのことをどう思っているか、逆に果林さんエマちゃんのことをどう思っているのか、実はこの回ではほぼ全く明らかになっていません。それをわざわざ言葉にすると、余計にこじれるのを彼女ら二人お互いに何となく気付いているのかもしれませんね。

ですが少なくとも、エマ・ヴェルデが諦めない女の子であることを果林さんは知っています。「スクールアイドルをやりたい」という強い意思で転入してきたのに、色々といざこざがあり同好会は一度廃部、境遇としてはかなり不憫であることは、傍にいる人が一番良く分かっているはずなんです。だからこそ多少ムキになって実行役として暗躍したんですからね。

彼女が何故諦めてなかったのかは、エマちゃん場所や時間や体裁を気にしてスクールアイドルをやる女の子ではなかったからです。あまりに純粋であまりに無防備で、だけどだからこそ、あらゆるものに囚われない。やりたいと心で願っている間には、始まりも終わりも無いのが彼女にとってのスクールアイドルです。高校の数年間みたいな時間的制約なんて、スイスのウン千年と続く大自然に比べれば塵に同じ。

じゃあ彼女にとっての「今しかできないこと」・・・は、もうお分かりですよね。

 

ここまでくると、この二人の回は実は、侑ちゃん歩夢ちゃんの1話の構図にも少し似通った部分があるのでは、とも思いました。片方の心の中の葛藤と、もう片方の純然たる願いとの調和。引出されるステージ。スクールアイドルの原点であり頂点、「僕らはいまのなかで」の歌詞が脳裏で何度も反芻されてしまうような、言う事なしの素晴らしい回でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

 

 

 

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や、やった・・・!1万字以内に収めたぞ・・・‼︎

 

自分の書きたいことが纏まってるかと言われると・・・今回の書き方は不慣れで微妙なところですが、エマちゃんのどこまでも純然としたスクールアイドルへの願い、大切な友人への心の寄り添い方と、果林さんの求められる自分に対してのこだわり、誰にでもある本心への葛藤と親友への優しい願いをものの見事に調和させ、

これでもかってくらい凝縮した本当に30分かどうか未だに疑わしい濃密な絆の強さ、友情回でございました。純粋な感情は、どうしたってその人の強みになる。それを感じざるを得ませんでしたね。

いやあもうこれは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

総評は文句なしの100点です。

 

 

 

 

 

実は友情話という意味では、未熟Dreamerであったり転校生をつかまえろ!だったりやりたいことはだったり、似通った部分の多い話ではあるんです。だけどやはり虹ヶ咲という自分の表現したいスクールアイドル像が近似でも同一でない、唯一無二のスケールとして描かれているのはもうこれ誰も文句つけようがないでしょ。

 

 

まぁ強いて言うならもっと味濃いめでもよかったのにとも思いますけどね。せつ菜ちゃんの心の葛藤も一話完結でしたし、虹ヶ咲のアニメはどうも心の内面を引き出す様式がかなりマイルドに置かれていると思います。

もっと何話もかけて本心をひた隠して問題を何話もズルズル引きずって、ようやく見えてきた、隅っこに残った心の砂金がお宝探しのようにキラリと輝く・・・みたいなお話作りのアニメで多少慣れてきた自分としては、本心と本心をぶつけ合い、衝突した際に出る火花さえも美しい・・・と耽美に浸る醍醐味が物足りなかった節は正直ありました・・・が、やはりそこはそれ、虹ヶ咲アニメが求めるメインターゲットはそれを本意としないんでしょう。年寄りがぶつくさ言ってんぞと思って忘れてください。何より、それは同好会のコンセプトに適ってませんし、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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次回はおおっと、この感情と感情が交錯する回の次に彼女のお当番回きたか・・・‼︎

既にこのお話の流れの鮮やかさで70点くらいあげたいところですが、初見さんも納得するくらいの璃奈ちゃんボード「ニッコリン」と輝くストーリーなのか・・・期待。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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たった一人の為に輝くスクールアイドルがいたって、いいじゃないか。ご飯もパンもTKGも、全部受け入れられる心の広さは、

青い地球が育んだ、誰しもが心に持った「ポカポカ」の同胞だよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

        (10250文字)

                            (ちょっと超えちゃった)

 

 

 

                           written by  Sunny Road

 

 

 

前回、第4話の感想記事はこちら↓

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/10/31/120426

 

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第4話「未知なるミチ」感想 〜Gold Reflection〜

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Arbitrary Ignition.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知りおきを。

 

 

 

 

 

 

さて、という訳でアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第4話「未知なるミチ」の感想を書きたいと思います。

 

 

 

と、その前に、いつものね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログは、私Sunny Roadによるアニメラブライブ!の個人的見解が濃度500%で書き記されております。以下の駄文全てにおいて、自分は一切の説得力と責任を投げ捨てておりますことを十分踏まえた上でご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

まぁ500%は言い過ぎだけど、こんな化石みたいなブログにまさかまさか物好きな閲覧者がいらっしゃるとは(マジで)思ってないので、適当な言い草と偏見たっぷり書き殴ってるんですよーってことです。自分の機嫌、自分で取ってね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて、今回はアニメニジガク4話です。OPやEDの傘が開く順番で察されるように、今週は愛さんこと宮下愛ちゃんにスポットが当たる回ですね。感想とは言ってますが今回は「物申す」という意味であまり言及するシーンが少なく、隙(好き)の無い愛の回という何とも愛さんギャグが響き渡る回だったと思います。愛さん回ですからね、愛さんギャグもガンガン飛ばしていこうってね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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前回3話のせつ菜ちゃん回の彼女の怒涛の情熱とシャウトがこだまするライブで感銘を受け、自ら部室に赴き入部希望を申し出る、愛さん璃奈ちゃん

 

ほえー・・・

 

 

いきなり自分からきっちりはっきりとした文言でスクールアイドル同好会に入部希望する、というのはかなり新鮮に感じました。といってもこのアニメラブライブ!シリーズ、自分の口からはっきりと「スクールアイドルに入部希望です!」と申し出るシーンがきっちり用意されているメンバー加入回が地味に結構少ないんですよ。

いやいやアイドルアニメの端くれとしてどうなん?とは思いますが実際、入部希望を意味する表現や言い回し・アクションの後に入部して活動していくという展開の加入回がほとんどですよ、思い出してみてください。遠回しだったり部活動申請書に名前書いたり、直接部員に入部希望を口頭で申し出て入部するパターン、結構少なかったでしょ?

 

 

 

 

穂乃果ちゃんは発起人だから除外、

海未ちゃんことりちゃん追随する形、

真姫ちゃん凛ちゃんも追随する形、

にこちゃんは元々部長で在籍、

絵里ちゃんは和解(懐柔?)という形で入部する"意思表示"、

希ちゃんも独特な言い回しで最後にサラッと入部しました。

 

 

千歌ちゃんも発起人で除外、

梨子ちゃんは当初は作曲のみ担当するという意思でしたが自分の新しい居場所を感じその回の最後に事実上入部、

曜ちゃん部活動申請書に名前を書くという直接に近くはあるものの少し意思表示に近い形、

ルビィちゃんはうーん・・・判定的に怪しいですけど厳密に描写をかいつまむとやはり申請書に名前書く形ですね。

花丸ちゃんも直接的な描写は無く、

ヨハネちゃん堕天使の羽を受け入れる形で、

果南ちゃん鞠莉ちゃんはそもそも旧Aqoursで、

ダイヤちゃんは・・・奥ゆかしい彼女が直接申し出るはずないですよね。

 

 

で、アニメニジガクは、

歩夢ちゃんは微妙・・・

侑ちゃんの熱い意思に感化された・・・という形かな?ともかく直接的な申し出はないから違いますね。

かすみちゃんせつ菜ちゃんしずくちゃんエマちゃん彼方ちゃんがそもそも同好会所属・・・ということで、今までのアニメラブライブ!史上で直接的に「スクールアイドル部に入れてください」と部員に名乗り出たメンバーは何と花陽ちゃんだけという結果になります。元々所属していた、入部届に名前を書いたという意思表示がメンバー加入で一番多いパターンということになり、結果だけ見るとなかなか面白いですね。

まぁだから何やねんって話ではありますけど、そういうアニメシナリオの数ある表現の中の横道に走らず真正面からぶつかってくるというのも、愛ちゃんという人物の個性の強さ如実に表す結果の遠因となっているのは鮮やかですね。

 

だいぶ話が逸れました。

 

 

 

後このシーン、璃奈ちゃんもきっちり意思表示してるのが意外で面白くて。愛ちゃんとの会話の流れだと愛ちゃんの誘いに乗せられる真姫ちゃん凛ちゃんパターンかと思いきや、感情表現が上手く表情に出せない不器用な個性を持ちつつも、(まぁ追随してる形ながら)自分なりに感動を伝えてるのはとても、良いなと。せつ菜ちゃんもその言葉に救われた節がありましたしね。

もっと言うと、せつ菜ちゃんは形式的にライブをやったわけではないんですよ。吹っ切れた挙句屋上で一曲披露したのを生徒が下から見上げてただけで、アイドルと観客というライブ会場に似た構図でありながら少し違うステージ、でありながら歌い踊る姿に感銘を受けてファンが付くというのが、各々の中に眠る大切なものを表現する、その姿に応援するひとが現れるという何よりアニメニジガクだけの特性を引き出しているんじゃないかなと。特にコミカルでも何でもないようなシーンで流されてますけど、外面が表情豊かで可愛らしくとも柔軟な体躯でもない一見アイドルに無縁なような女の子でさえ期待に胸を膨らませて吸い寄せられる力があるというのが、アイドルアニメ然としててとても良い。です。いや璃奈ちゃんは膨らむ程の胸h

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すみませんでした。続けます。

 

 

 

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そんな訳で新生スクールアイドル同好会が活動開始です。かすみちゃん、多分「全国ツアー」半分ツッコミ待ちだったんだろうけどスルーされてるの悲しいね・・・よしよし・・・

 

彼方ちゃんのお昼寝するライブという空前絶後のライブからの急転、せつ菜ちゃんいきなりフルスロットル爆上げロックチューンとか観客側で想像したらやべえな・・・血圧急上昇で頭の血管切れそう・・・

 

 

 

 

 

 

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もうこれほぼ嫌がらせだろ・・・璃奈ちゃんちょっとはやる気出そうぜ・・・

と思ったんですけど実は現実でもこのレベルで体固い人はそれなりに実在するので侮れません(?)。そもそも長座の時点で足きっちり伸ばせなかったり。股関節の筋肉はマジで柔軟大事よ・・・脚の可動域広くなってつまずいたりのケガの防止になるし、腰回りの筋肉にも繋がってるから腰痛予防にもなるし・・・良いことづくめだよ・・・(毎日風呂上がりにやってます)

 

 

っつーか彼方ちゃん、いつもフニャフニャしてるから何となく体柔らかいイメージあったんですけど体固いんすね・・・怠け癖の運動不足ってことでしょうけど、どうやらスクスタのサイドストーリーにて彼方ちゃんは体軟らかいとの公表はあるみたいです。ええんか・・・?

 

 

 

 

 

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初っ端から放たれる高スペック。まぁ柔軟だけで判断するのは、、、と思いきや、愛ちゃんの真髄はその後の体固いメンバーのレクチャーにあるんですね。ほんの些細な深呼吸一回挟むだけで少し前に進む。毎日少しずつ、昨日の自分より少し前に手を伸ばしてみる。その努力が目に見えて実感出来た時の「楽しい」や「嬉しい」が何よりも大事であり、愛ちゃんの原動力となっているんですよね。

そしてこのシーンで大事なのは、自分のスペックを自慢するだけでなく、下手っぴな人の目線にきっちり合わせられるということです。この時点で既に外見のギャル要素はゼロですね・・・

 

 

 

 

 

 

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虹ヶ咲学園、何でもアリじゃん。

 

この前のシーンで部室がサラッと新調されてたった一人で部室を守ってきたツインテールの女の子が発狂しそうだなぁと思ってたんですが、虹ヶ咲学園、スクスタ経由で大まかな設定は把握してますが本当に何でもアリな学園なんですね。廃校の心配なんてどこ吹く風、ネームプレートさえ守れれば部室はいくらでも替えが利き、学内にカラオケとレコーディングルームの合体版みたいな収録室用意されてたりともう何だか「ぼくのかんがえたさいきょうのがっこう」みたいな感じですね。どう考えても私立高校のトップみたいな設備投資の規模ですが、自由な校風と謳われて評価も高いし愛さんの制服の着崩し方や染髪の部分見ても校則もそこそこ緩めなのでは?(アニメラブライブ!で髪色を指摘するとかなり野暮ですけど)

いやまぁでもカラオケまがいのことすんのはあかんやろ。私物化私物化ー!

 

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せつ菜ちゃんがアニメ愛を偶発的に爆発させるところ。璃奈ちゃんが特に引く訳でもなく(無表情ではありますが)対等に語り合える存在でよかったね・・・ちなみに俺もそのアニメ観てたよ。ジャッカル、22話の剣の覚醒シーンで剣の暴走に対し刃を直接握って血を流しながら必死に止めようとする表情が俺も熱くなったわ。

 

ちゃっかり愛ちゃんに正体(菜々ちゃん)看破されてますが、寧ろちょっと凝視するだけで気付くレベルのメタモルフォーゼを何故みんな今まで見抜けなかったんだという話にはなりますよね。実は侑ちゃん「もしかしたらそうなんじゃないか」と気づきかけてる節はありましたが、真面目で理知的な菜々ちゃんと直向きに情熱的なせつ菜ちゃんとの性格の違いはさておき双子の姉妹くらいにはダウトかけれるんじゃ・・・?

 

愛ちゃんの好物がおばあちゃん特製ぬか漬けだったりこのせつ菜ちゃんアニメ(やラノベ)大好き(と厳しい家庭)だったりと、スクスタのキャラ設定が今回もサラッと露呈されていますね。うーん、あの母親ならそんなに厳しくないと思ってたんだけど・・・やっぱりこっそりアニオタやってたんやね。

璃奈ちゃん感情表現の不得意もかなりサラッと流されていて、これは正直彼女のパーソナリティに直結するところだから大事といえば大事な部分では?と思うのですが、アニメラブライブ!では改変を含むキャラ設定の暴走がとどまるところを知らずネタ化されるならともかく純粋なファンが頭を抱えるという事例が過去に多数発生・報告されてるので、この薄味が実に丁度良い。アニメニジガクが面白いと概ね好評を受けてるのは実はその辺の個性描写が意外にも大きいと割と本気で思います。

 

梨子ちゃんとかダイヤちゃんとか何の意味も無い過度なオタク属性付加(負荷)で顔曇りっぱなしでしたしね・・・

 

 

というか、「日常を何となく過ごすいち女子高生のちょっと人と違う個性」という表現で留めているのがこのアニメニジガクの特性と一致してるんですよね。過度な演出で付加をせず、だけど唯一無二。これが大事なわけですよ。まぁ髪色とか見るとリアルの女子高生には程遠いですが、人とは違う、けど性格や習慣や環境の下で根付いたインパクトのある個性が一人一人に必ずあって、それをどう表現するか、そしてそれをどう受け取るかは非常に重要です。アニメニジガクはこの短い話数でその辺の描写を実に彩りよく描いて、しかもさりげなく流しており、巧い。

 

 

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この辺りの描写から分かるように、愛ちゃん他者の不得手やちょっぴりひけらかすのを憚ってしまうような趣味であっても、自分からどんどん理解して受け入れて、なおかつもっと引き出してしまうくらいの求心力と懐の広さがあるんですね。せつ菜ちゃんの二面性や情熱とも比肩して、彼女ら二人はアニメラブライブ!としての主役を張れるレベルのキャラスペックを持っています。

イケイケの金髪でセーターを着崩した風貌、所謂ギャルっぽい見た目をしていながら実は運動も得意、どんな人種でも受け入れて明朗快活・・・こうも際立っているとなると、こうなったら本当に弱点の無い人になってしまうんですが、しかしだからこそ自分の本質を簡単に見つけられない唯一の人でもあります。

 

 

 

 

 

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いや「害」はアカン間違え方やろ・・・せめて「外」とか「慨」とかにしとけよ・・・

 

 

せつ菜ちゃんから無断で借りたメガネを得意げに直しながらのかすみんのスクールアイドル論。かすみん目悪かったっけ・・・?菜々ちゃんが秀才アピールの為に伊達メガネかけてると思うと可愛いですけどね。

どうでもいいですけど、

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にちょっと似てたと思ったのは内緒。お前どんだけSSSS.GRIDMAN好きやねん。

 

 

 

 

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まぁそれはさておきこのシーン、「スクールアイドルにおいて一番大切なのは何か?」と問われた際に、両サイドのお二人は各々「らしい」答えを出してかすみちゃん「合格♡」をもらうのですが、そんなダイアモンドな明確な答えを愛ちゃんだけが出すことが出来ません。

そしてそれさえもかすみちゃん「それも正解」として「正解はひとつ!じゃない‼︎」(ミルキィホームズ10周年おめでとう)と説きます。

3話で侑ちゃんが説いた「スクールアイドルがいて、ファンがいる。それだけでいい」と言ったようにスクールアイドルとは本来多様性に満ちたものだという、ニジガクで改めて見直された新説の強調にもなり得るシーンです・・・が、このシーンを挟んだからこそ後半の愛ちゃんの長考が味わい深くなったんじゃないかなと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「みんなそれぞれ個性がある。」彼方ちゃんの言った一言に、同好会メンバーは顔を曇らせます。それを分かった上で各々が各々の掲げるポリシーで活動した結果、軋轢や諍いが起こったからですね。この直後のシーンでせつ菜ちゃんかすみちゃん二人の合意の下ソロ活動という形でこの同好会、ひいてはメタ的な意味でのこのアニメニジガク随一のコンセプトに強調が置かれていますが、これを愛ちゃん回で再確認させるのがほんとに巧い。

 

 

愛ちゃんは彼女が持ち得る高スペックを学内でかなり評価されており、「部室棟のヒーロー」という異名を持つ程数々の部活の「助っ人」を担ってきていました。そして彼女自身色々な部活に首を突っ込んでいる故、チームワークが何よりも大切と思っていました。まぁスポーツ系の部活はやはりチームプレイが基本ですし、その経験も相まって愛ちゃん誰のどんな特徴に対しても目線を合わせられる懐の広さを培っていったのかもしれません。

 

しかしソロ活動というのは、セルフプロデュースといえばかわいらしいもので自分だけで自分のステージを作り上げる必要があり、誰の邪魔も入らない分、誰も助けてあげられないジレンマがあるんです。今はライブもステージも無い練習の段階なのでまだ愛ちゃん「新鮮で楽しい」で済んでいますが、

それぞれの思う大切なこと全てが正解だとしても、一人でステージに表すには不安が付きまとうのも十分に分かります。

 

 

そしてそのような方針を踏まえたからこそ、今までチーム活動を主眼としてきた愛ちゃんが「スクールアイドルに大切なのは何か→自分は何をもってして自分だけのスクールアイドルたり得るのか」を考えるわけです。個性はあるし、それすらも正解だけど、本質が掴めない。

このアニメの少し難しい部分を本来コンセプトから対極の位置で活動していた愛ちゃん視点でこのアニメを解く、というのが本当に・・・鮮やかでしたね。

 

そしてその各々が一つ一つの個性として枝分かれしていく木々をそれぞれ受け止めて、それら全てを応援しいく存在である侑ちゃんという存在が、この描写で更に意味を強めるのも面白い。侑ちゃんは今回薄味になっていますが、しかし活動していく本人自らがそれを考える上で過度に干渉しないというのはやはりリーダーではなくサポーターという地盤が固いですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分はアニメを観る上で、俗に言う「何でも出来る高スペック人間」があまり得意じゃないんですよ。

文武両道・明朗快活、誰にでも優しく、熱く、面白く、しかし自分にも厳しく、要領が良く、あまり失敗しない。個性もそれなりにあるけど純粋で、誰からにも好かれ、ルールにきちんと則り、ピンチの時にもブレず、人並みに恥じらい、誰のどんな性質にも裏切らない、十徳ナイフみたいな人。そんな完璧超人だからこそ、「遠さ」を感じてしまって気が引けるんですよ。要は「芯」の部分がはっきりと見えない人が多いからです。

別に「それに比べて自分は」なーんて劣等感をいちいち感じるから、という訳ではないんですけど、不器用な程の熱情を感じられない人が苦手なんです。手っ取り早く、手近だけど、いつも手元にあるわけじゃない、このもどかしい感じがどうもね。

突き詰めればこだわりが無い(薄い)人なんですよね。何にでもなれるけど、自分の意思で進んで何者かにはならない。そんな不安定さはある種不器用とも言えますけど、本心や渇望を心の奥底に隠して上っ面だけ「都合の良い人」になってしまうのは、それはそれは何だか無機物のような、とにかく血の通った部分をあまり感じにくくなってしまい、その人を理解するのに時間がかかります。

 

 

 

 

 

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そういう意味では曜ちゃん愛ちゃんは共通してる部分が多いんじゃないかな。所謂曜キャラ・・・じゃなかった陽キャという人種・・・で簡単に決めつけるのも陰キャの悪癖と思いますが、そういう誰の何にでもいつでも寄り添える人は悔しいことにやはり世の中にそこそこ存在するんです。仕事も出来るけど明るくノリも良く友達が多くてプライベートが充実してる・・・みたいなね。

ほらよく「オタクに優しいギャル」かいるかどうかで議論が繰り広げられますけど、個人的には前提から間違ってますね。ギャルがオタクに優しいかどうかじゃなく、オタクにだって優しくできる女の子ならギャルにだってなれます。

オタクが本質的に一番嫌いなのは同じオタクだからね(同族嫌悪)。

何の話だったっけ。ああそうそう愛ちゃんの話やね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ソロ活動。一人きり。ステージを一人で表すことはすなわち、「自分を見直す」ことに繋がります。今まで「仲間と繋がる」ということを無意識に、しかし何よりも重んじて日常を過ごしていた彼女は、何をもってして宮下愛なのか。

彼女が改めて自分を見つめ直し長考している間にも、時間はどんどん過ぎていきます。今までそんな消費されゆく日常に、自分だけにしか見えない価値を見つめ直す機会なんて無かった。

自分で自分を受け入れてきた器は、どこにあるのか。

いつになく一人の帰路で難しく考え込み、翌朝のランニングにまで少し重たい面持ちを引きずっていた愛ちゃん。

 

 

 

 

 

 

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そこで出会ったのがエマちゃん。今までそれなりに意見や印象を吐露したりはしていましたが、あまり主体的ではなく大人しく見守っていました。スクスタ経由で彼女をご存知の方はアニメ登場して以降、本来の彼女の溌剌としたハートフルな包容力とにこやかな笑顔をいつも浮かべる様子とはかけ離れていて動揺したのではないでしょうか。

やはり彼女も彼女で、せつ菜ちゃんかすみちゃんが着火点になったはものの同好会の不協和音、というかギスギスした雰囲気に辛い思いをしていたんでしょう。こうして話数を跨いで、改めてメンバー一人一人の心境を振り返ってくれるのは大事ですし、これがまた自然な流れで次回への良い布石や伏線になるというのもグッときますね。しかしただ単にエマちゃんをあの橋の途中に置いたわけではないでしょう。彼女が常に絶やさなかった、「メンバー一人一人を見守るその姿勢」から、愛ちゃんが部に加入してからみんなすごく楽しそうに見える」、大切な言葉を優しく口にしてくれます。

 

そう、「誰かと一緒に楽しくなる」。エマちゃんまた愛ちゃんとは違いながらもその原点をすごく大切にしている女の子その人なのです。ライブ会議の時に「みんなと輪になって歌いたい」とはっきり自分の意見を口にしていたのも、それはとどのつまりみんなと一緒に楽しく歌えば自分も楽しい。たったそれだけです。シンプルでありながら原点であり、そしてまた彼女らにとっての頂点そのものですよ。

 

 

ハキハキと溌剌に積極的に関わるムードメーカーも、主張は控えめでもハートフルに見守るみんなのお姉さん的存在でも、その胸に大切に抱えている弾けるような感情は共通しています。表し方が自己流で違うだけなんです。その共通点を繋いでくれたのが、ダジャレです。いやいや何でやねん・・・と言いたいところですが、自分は愛ちゃんの得意分野(というかアイデンティティ)であったダジャレをこういう、メンバーと共有する形で紹介するやり方が今回一番"巧い"と思って感嘆してしまいました。

 

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(ドラえもんみたいな口で爆笑してんじゃねえよ)

ダジャレって、言ってしまえばただのくだらない言葉遊びの類じゃないですか。本当に即席の、やろうと思えばいくらでも思いつく簡単なものです。

だけどどこにでもあり、どんな人にでも大体通じ、その場に張り詰めた空気があってもどことなく緩み、言った結果がどうであれダジャレが分かった人同士は楽しい。

 

 

この「楽しい」を共有すること。これが一番大事なんです。ライブステージを作って披露する心構えなんて先の見えない不安に気を取られてちゃ、どんどんどんどん限られた時間は過ぎちゃうわけでね。「自分がその時楽しいと思うから、みんなも楽しい」ということを追求する

既に愛ちゃんの中に、最初から答えはあったんです。みんなが楽しいと思ったから、自分も楽しむ。自分が楽しいから、みんなもまた楽しい。まさに「フォーチュン・リング」なわけです。

 

いいんです、それでいいんですよ。人間なんて、刹那的に生きていても案外長生きしてるもんです。オタクの皆さんはすーぐ世の中を上手く渡り行く明るい人を記号的に陽キャだ何だと決めつけますが、彼ら彼女らが別に全く違う世界の人種などではなく陽キャの原点なんてこれっぽっちです。「面白いことをして(ダジャレを言って)みんなで面白く笑う」これだけです。その楽しむ姿勢が外向的かそうでないかだけなんですよ。だから容易に人と関わり、笑い、時に恋をし、あまり深く先まで考えずに刹那的に日常を消費する。究極の人生エンジョイ勢には何の制約もありません。それを理解出来るか出来ないか、受け入れるか否かであなたの陽キャ度が分かります。なんてね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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(こうして比較するとほんとキャラデザ変わったなぁ・・・アニメニジガクは地味に色白になってるんやね)

 

だから彼女は太陽を掴みます。

今までのアニメラブライブ!のリーダーや発起人がそうしてきたように、主人公でないにも関わらず、自分が主人公になれる為の太陽を掴みにいくのです。

これは私見ですが、愛ちゃん「夢を叶える」「輝きを捕まえる」といった歴代主人公のような一つのビッグドリームを追いかける意味合いで太陽を掴んだわけではないと思います。どちらかと言えば、この愛ちゃんが睨む太陽は誰かにとっての「太陽」なんじゃないかなって。

確かに彼女は穂乃果ちゃん千歌ちゃんと同じくらい強力な求心力を携えた、いやもしかすればムードメーカーや好奇心・探究心でいえば彼女ら以上かとすら思えますが、彼女はあくまで「助っ人」なんですよね。自分らしさを誇り主張する、自分から牽引していくカリスマ性はあまり見受けられません。だから代わりに、誰かの「楽しい」をそのまま全力で受け入れて、分け合って笑う。先に見据える太陽のようなまばゆい目標じゃなく、誰かの胸の内に絶えず内包されている太陽のような「楽しい」感情を等倍か、あるいはそれ以上にして受け止める。

今までのアニメラブライブ!で恒例ではあるものの大切な表現としてかなり色濃い演出や展開の後に用意され大事に捉えられていたこのシーンさえも、アニメニジガクではいち担当メンバー回の原点への決心に過ぎない。スクールアイドルとはそれくらい身近で、だけど本当にすごいパワーをもってして「楽しめる」存在。

忘れがちですが、愛ちゃんも彼女らと同じくせつ菜ちゃんの歌に、つまりスクールアイドルに魅せられて入部希望した女の子です。ということはやはり愛ちゃんも他の何者でもなくスクールアイドルである理由が、「どんなスクールアイドルで在るか」がきっちりあるわけで。今まで主役を張ってきた穂乃果ちゃん千歌ちゃんと同じ性質を持っていつつも、そこが違うから同じことはしないわけです。

 

それを表現できるライブがあるのなら、

それはーーー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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愛ちゃんのソロ曲、「サイコーハート」。

 

 

良い・・・(感涙)

 

いやもうこれ言うこと無しでサイコーですね。彼女のイメージカラーである超オレンジのチアガール衣装で、とびっきり大振りな振り付けととびっきりサイコーの笑顔ハートを分け合う。これが見たかった。これ何が素晴らしいって振付とカメラワークが入念に凝られていて、何となく「ススメ→トゥモロウ」や「決めたよHand in Hand」といった旧作主人公の持ち歌とも言うべき「はじまりの歌」のダンスを若干彷彿とさせる振付が微妙に盛り込まれてるんですよ。ああ伝わりづらい・・・分かります?これ。「ここ!ここ!この振り向くとことか‼︎」って一時停止して画面共有してぇ・・・

 

勿論グリングリン動くカメラワークもですけど、サブリミナルで挿し込まれる「めっちゃGoing‼︎」の露出多め衣装愛ちゃんだったり遊園地の帰りに最後に乗った観覧車で二人っきり的シチュだったりと、思わずドキッとしてしまうような女の子らしさ溢れる要素もギュギュッと詰め込まれててもう・・・見直すたびに投げ銭したい。感動。これこのクオリティで毎週担当回のたびに見せられるとかもう・・・制作スタッフに頭上がらないですね。

 

 

 

 

 

 

 

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今回、侑ちゃんだけに見えるビジョンが健在なのかどうかは判断に悩むところですね。愛ちゃんが自分だけのポップな世界をブワーッと広げていくシーンでは侑ちゃんはその場(公園)に到着していませんでしたし、さらに言えば話数を追うごとに「自分を表現するステージ」を見届けてくれる観客の数が右肩上がりに増えてきています。 

相変わらず女性しかいない割とやべーディストピアみたいな世界設定もこのままインフレしていけばネット配信のステージ視聴者全員女性みたいなキマり具合に発展しそうなのでどうなることやらですが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

 

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(アニメラブライブ!のCパートで不穏な展開の匂わせじゃなくコミカルに終わるの、実は結構珍しい)

 

 

 

はい、という訳で4話、愛ちゃん回でした。

最初にあまり言及することがない回と書きましたが(それでも10000字は書いてるけど)正に今回は本当に隙の無い回で、

二面性とその葛藤、抱く思いの強さの発露に思い悩む生徒会長の3話とは裏腹に、入部前や入部後に何かしらトライアンドエラーを経験してジ・オリジンに辿り着くということもほぼ無くサイコーのステージを披露できたという点において向かう所敵無しの無双クライマックスでしたね。分かりやすくはありますが、陰りの部分が物足らないという意味では、うーん・・・

 

 

 

 

 

 

 

今回の4話、総括としては

 

98点 

 

です。

 

 

 

 

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(アンタ自分で暇人扱いしてて・・・ええのん?そんなんやからニヤニヤからかわれるんやで・・・そのままで、ほんまにええのん?)

 

 

 

コホン。

何も苦労してないから総評下げるのか‼︎というと違うんですよ。愛ちゃんや彼女を取り巻く、迎え入れるメンバーの描写や色々なキャラ設定の紹介・付加の塩梅、PVの出来栄え・・・つまり技術点でいえば余裕で100点なんですけど、彼女をそのまま強烈な個性として歩かせていたら、ほんの些細なことで勝手に自己解決してゴールインしてしまっていたという予想以上の手っ取り早さが拍子抜けはしましたね。

それもそのはず、先述した「歴代の主人公に匹敵するほどの明るさやスペックを持つ」のが彼女でいながら、彼女はあくまで物語全体の主人公ではないからなんですよね。

 

 

 

 

 

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アニメラブライブ!ファンの方もそうでない方も、今作のアニメニジガクにどうしても違和感を覚える、何かが足りないと思っていらっしゃり、なかなかイマイチハマる一歩を踏み出せない方も少なからずいるのではないでしょうか。

確かに今回のアニメニジガク、スポ根要素がほとんど見受けられません。

何か逆境や挫折を経験してなお、立ち上がって上を向いて仲間と切磋琢磨してビッグドリームをその手中に収めんとする展開今までのアニメラブライブ!に必ず共通していて、そしてそれはラブライブ!のみならずアイドルアニメの暗黙のルールみたいな、最高のスパイス的存在として必ず毎回食卓に置かれ、振りかけられていました。まぁそれが振りかけられ過ぎて荒唐無稽の大暴走になるのもアニメラブライブ!シナリオの醍醐味として名高いですが、それすらも今までの視聴者は自分なりにどうにか消化して、やり過ごしてきてましたよね。そしてもしかすれば、アニメラブライブ!視聴者の多くは心のどこかでその大暴走スポ根に惹かれ続けているのかもしれません。文句を言いつつもね。

 

しかしそれを案じてか、せつ菜ちゃんの前回3話は生徒会長という役職の重責で多少そのスパイスを匂わせたものの、やはり従来のアニメラブライブ!のエピソードの着地点のそれとは違いました。ましてや今回の愛ちゃん回は新生スクールアイドル同好会の活動方針を彼女が全力の笑顔で確立させてくれましたが、彼女自身が何かしたかと言えば、自分で気付き、自分で笑い、自分で決めた。全て自己完結で終わってあまり張り合いが無いと感じなくもないです。言ってしまえばアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、この4話で最終回です!と打ち切っても飲み込める手っ取り早さと要領の良さがあります。

「笑いあり涙ありスポ根あり」とアニメμ’sの本放送の合間のアニメBlu-rayのCMで穂乃果ちゃんが謳っていたの、今でも覚えてるんですよ。もう7年前やぞ。とにかく、それくらいアイドルアニメにはつき物だった情熱と渇望の要素が薄味の、毒気の無い仕上がりをこの4話までじっくり、敢えて狙ってやってる節がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

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だからこそ、4話も使ってアニメニジガクらしさをじっくり丁寧に説明したからこそ、ここから少しずつ「特異点」である侑ちゃんが織りなす独自のアニメニジガク第2フェーズが始まっていくんじゃないかなと思います。

今回の4話の最後で侑ちゃんがまとめるように「みんなが一人一人違うライブをやれば、すっごいライブができるんじゃないかな」と言い放ち、「これは、負けてられないですね」とメンバー間に対抗意識が芽生え始めていたのがその証左で、愛ちゃんは主人公らしいまさに火付け役を担ったんではないかと。

せつ菜ちゃん回で再三描かれたように、同好会の特性上チームプレイとして一丸となって研鑽し合いながら高め合っていくという王道のスポ根は恐らく実現しないでしょうけど・・・

全員仲間で、全員ライバルというアニメニジガクの独自のコンセプトならではの展開での熱血要素つまり互いの違いを認め合いつつも向かい合っていく、Saint Aqours Snowに似て非なる何かを描く形として、その仲介役である侑ちゃんが今後は首を伸ばしてくるのではないか・・・と熱視線を送ったり、送らなかったり。

 

どうなんでしょうね。ラブライブ大会に主眼を置いていない以上、現段階での明確な目標は「ライブ!」だけに留まっていますから・・・ふわふわした着地点のまま終わってしまうと、最初に勇気を振り絞ったうさぎさんがあまり報われない気もするのでその辺、お願いしますよ。

 

 

 

 

 

何はともあれ、愛ちゃん回自体は何も言うこと無しの素晴らしい出来映えでした。自分自身を問い質したこともほとんど無くルールに則って活躍していた「助っ人」オリジナルの未知が、「楽しい」と輝く太陽の光で燦々と煌くミチになる・・・強烈な個性と可能性、彼女本来の懐の深さとシンプルさを兼ね備えた文句無しの素晴らしい神回でしたね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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アイし、アイされるから、またアイにいく。

だから「私」は、宮下 「I」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

 

 

 

       (13180文字)

 

 

                               written by Sunny Road

 

 

 

 

前回、第3話の感想記事はこちら↓

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/10/23/212445

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第3話「大好きを叫ぶ」感想 〜拳と掌〜

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Please Tell Me Your Voice.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知り置きを。

 

 

 

 

 

さてさて、今週もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第3話「大好きを叫ぶ」の感想をこちゃこちゃ書いていこうと思います。

 

と、その前に。いつものやつ前置きしておきますね。

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログ記事は、私Sunny Roadが純度200%の私見やいち個人的見解で書き散らかした駄文です。以下の本文全てにおいて、自分は一切の説得力と責任を放棄します。その点を十分深慮した上でご覧ください。

 

 

このブログ読んでどんな気持ちになろうが、自分のご機嫌は自分で取ってね。ってことです。

後まぁ、このブログで言いたいことの91%くらいは人気のラブライブ!ファンの皆さんが既に仰ってることの受け売りなので、鼻でもほじりながらサラッと斜め読みしてください。

 

 

(毎回注意書きの文言が微妙に変わってる気もしますが、恐らく本ブログの読者はTwitterのお前はもっと厄介な奴だろと呆れてると思うので気にせずいきます)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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さて、あれよあれよと言っているうちにアニメニジガクも第3話まで来ました。

アニメラブライブ!において「第3話」というのは(アニメラブライブ!に限らずではありますが)「3話目で落とす」とあるように全13話のストーリーラインとしてはかなり大きな転換点であり、キーポイントです。

μ’sAqoursはその3話においてグループ名を決定したり1st ライブを披露したり、そのライブ会場(講堂や体育館)には初めての手作りライブに各々が各々の表情でステージや周りに後のメンバーとなる女の子全員が居合わせていたりと、スクールアイドルとしての黎明としては見所盛り沢山の回となるジンクスがあり、ファンのみならず深夜アニメ視聴者としても熱視線が高まるチャプターでもあります。

かく言うアニメニジガクもその例に漏れずライブPVステージの周りに居合わせている「後の同好会メンバーとなるであろう女の子たち」が見守る、ある種伝統的で「これでいいんだよ」と思わせてくれる、信頼と安心の回でもありました。

 

 

 

でありながら、勿論旧作を踏襲するだけのアニメニジガクではありません。

今までのアニメラブライブ!とは一線を画したスクールアイドルの在り方を確立し説いた回というストーリーの変容と革新にセンセーションを感じた視聴者も少なくなかったのでは。

 

で、そのメモリアルチャプターとなる回の主役となるお方が・・・

 

 

 

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優木せつ菜ちゃんです。今回は主に彼女のパーソナリティにフォーカスを当ててお話を辿っていきます・・・が。

 

 

先んじて書きますが、今回は自分も少し不満をこぼす点が無くはないです。予めご了承ください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第2話のCパートで、果林さんの暗躍が功を奏し(コソ泥と揚げ足取っただけだけど)、見事生徒会長中川 菜々優木 せつ菜だったことを看破します。ぶっちゃけみんなほんとは声質とか顔貌で薄々気付いてたんじゃないのぉ?と自分は思いたいんですが、まぁ彼女たちのペースに合わせましょう。

しずくエマ彼方ちゃんたちがせつ菜ちゃんの失踪と廃部について心配そうに尋ねますが、せつ菜ちゃんは背を向けたままで、

 

 

「優木せつ菜は・・・もう居ません!

 私はスクールアイドルをやめたんです!

 もしまだ皆さんがスクールアイドルを続けるなら、

 ラブライブを目指すつもりなら・・・

 皆さんだけで続けてください。」

 

 

うーむ、なるほど。まず気になったのは、ここにきてようやくラブライブのワードが出てきましたか。ファンの皆さんも聞き逃してませんよね。

 

 

 

μ’sAqoursのアニメ世界線においてある種因縁ともいうべきレベルまで関わりがあったラブライブ大会。アニメニジガクは何と第3話でようやく言及があったので、それだけでもこのアニメニジガクはシリーズの伝統を揺るがす特異点ではあるのですが、ラブライブ大会そのものはこのシリーズでも未だ健在のようですね。

後の場面にも多少言及はあるのですが、各アニメシリーズにおいてその大会の規模やスクールアイドルのクオリティやレベルの如何は異なっているものの、全スクールアイドルを高校球児に例えた時の甲子園的存在として依然、夢のように讃えられているという認識は一貫して変わらないようです。

 

 

 

存在が示唆されただけでもアニメタイトル詐欺にはならずに済んでいち深夜アニメファンとしては安心といえば安心なのですが、

 

この場面、何だか会話と目線がちぐはぐですごくモヤモヤしました。

 

いや・・・というか主にちぐはぐなのは優木せつ菜ちゃんの方なのですが、これ微妙に会話噛み合ってなくない?いや噛み合ってはいるけど、訊いてもないこと勝手に決めつけて答えてない?

 

はーい国語のお時間でーす。

 

 

ここのダイアログを全て表示するのは骨が折れるのでしませんけど、エマちゃん彼方ちゃんせつ菜ちゃんに対して「何でこんな去り方したの?」と訊きたいわけですよね。かいつまんで言えばね。要は「(一旦活動を見直すつつもりがせつ菜ちゃん退部→廃部にまで陥り)何でそこまでする必要あったん?」っていう生徒会長中川菜々本懐を探りたいのであって、ラブライブ大会を目指すかどうかは関係ないわけですよ。分かります?

 

にもかかわらず菜々ちゃん、いやせつ菜ちゃんは自分の心中を一切引き出さず、退部や廃部の理由もおくびにも出さないままで、いきなりラブライブ大会の出欠を話に持ち出し、ふてくされたように話を終わらせてしまっている。

 

物理的にもですが、ここの会話が何一つ目線が合ったまま対話できてない。せつ菜ちゃんが一人で勝手に拗ねてるみたいでその辺りがすごく悲しかった。

 

というかそもそも何?みんなラブライブ出たいの?せつ菜ちゃんも含めて。

 

例えばしずくちゃんエマちゃん彼方ちゃんが、各々の「大好き」の形の表現方法の食い違いの問題はさておきかねてからラブライブ大会の出場を切望しているのならともかく、過去の同好会の活動シーンの回想(しか判断材料無いんですけど)は誰も明確にラブライブ出場志望は発露してないんですよ。

各々が各々の「大好き」をステージで表現できるスクールアイドルであればこそ、がその同好会の暗黙の発足スローガンだったわけで、スクールアイドルである以上グループ一丸となって高みを目指さなければならないというマニフェストを掲げてるのはせつ菜ちゃんだけだったわけで、その熱心な義務感や責任感との温度差を同好会メンバーは好ましく思わず、というか単についていけず、かすみちゃんが堰を切らしてしまったわけなんですよね。

 

その辺りの問題点を、せつ菜ちゃん全然正しく認識できてない。ラブライブ大会に対する意識」そのものが一致していたかどうか自体怪しい、というダウトをこの時点の対話を通してきっちり分かってさえいれば、せつ菜ちゃんは早い段階でこの理不尽廃部の解決の糸口を手繰り寄せられたはずなんです。

 

 

 

 

 

「対話」って、我々人間が思ってるよりずっと大事なものなんですよ。仕事とかだと目線合わせ、ともいうかな。匿名性の高いツールが社会を席巻しリモートワークが流行っている今このご時世だからこそ言いたいのですが、

やはり人と人とが面と向かって顔を合わせてお互いの目を見て、声色や表情、ボディーランゲージを用いて対話することほど、自分の意思表示に最適な手段はありません。それが正しく風通し良く出来ている社会は問題が起きない・・・とは断言できませんが、少なくとも犯人探しやコミュ障オタクみたいな、陰湿な人や行為もきっと減るはずです。

せつ菜ちゃんのようなアニメやラノベも好きな「ザ・オタクの味方」(スクスタ設定経由ではありますが)みたいな女の子がちょっぴり不出来なコミュニケーションをしていて、自分は少し悲しくなりました。まぁそんな彼女の視野の狭い部分もある種・・・キャラ設定が引き継がれてると考えてもよいですが。

 

 

 

 

 

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うりょっちかぁ・・・ちょっとママライブ!の年齢層若くなったなぁ・・・‼︎

 

 

はい。アニメラブライブ!シリーズではある意味隠れたもう一つの伝統でもあるスクールアイドルメンバーのお母さんたちが軒並み豪華キャスティングでお馴染み、ママライブ!です。今回アニメニジガクで華々しいデビューを飾ったのはせつ菜ちゃん(菜々ちゃん)ママ。

CVは白石涼子さん。ハヤテのごとく!」のハヤテ役が代表的ですかね。個人的にはアニメ「WORKING‼︎」の小鳥遊 梢さん役とか「化物語」の影縫 余弦さん役とかが「デキる傍若無人ドSお姉さん」感がバッシバシに出てて印象深く最高に萌えるんですよね。うりょっちは男の子役よりドSお姉さん役の方がハマってると思うの。どうでもいい。

特に影縫さんの京都弁がめちゃくちゃ上手くて本放送当時感動しましたからね。うりょっちの出身が出身なので上手くて当然っちゃそうなんですが、「生まれも育ちも大阪人の自分が唯一認める関西弁激ウマ声優」の一人です。後は・・・小野坂昌也さんとか。そんな影縫さんが初登場するアニメ「偽物語」が現在一部の地域にて再放送中(「水もん」枠)です。登場するの後半からだけど。これもどうでもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

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白い薔薇の花言葉は「深い尊敬」や「私はあなたにふさわしい」「純潔」。

白バラのコサージュを意匠のように胸に付けた「CHASE!」の衣装(愛さんギャグじゃないですよ)を、菜々ちゃんは辛い面持ちで眼差します。

 

同好会メンバーには面と向かって目線を合わせられないのに、衣装はずっと凝視できる・・・というように、菜々ちゃんがこの3話で一心不乱に見続けているものは、自分を心のどこかで支えてくれる人たちよりも自分の中のもう一人の自分、優木せつ菜その人なんですよね。

このシーンでお母さんが出てきたので、ファンの方々は「やはりスクスタのキャラ設定よろしく、厳格な親の期待と共に育てられた菜々ちゃんが抑圧されてきた「大好き」の欲望を解放するべく「せつ菜」を演じているのか」と思った方も多いはず。実際、虹ヶ咲学園も佇まいや校風的に近代的で格式の高い「上流私立校」っぽさがふんだんに滲み出たりもするので自分もそういう風に捉えるシーンなのかと思いましたが・・・

ぱっと見、お母さん自体は娘を気遣う普通のお母さんなんですよね。スクスタでせつ菜ちゃんが親のしがらみに耐えきれず対立して・・・というエピソードはアニメ版のバックグラウンドに一見して見られません。

菜々ちゃんが後に「期待されるのは嫌いじゃありません」というモノローグがあるのですが、アニメのみの描写を見れば中川菜々の時の厳しい家庭故の期待と重責は、大して背負わされていないように思いました。

 

自分はアニメラブライブ!を観る時は「これは初見さんでもすんなり理解できる導入になっているか」という視点も常に欠かさないよう心がけているのですが、もしこの描写のみで菜々ちゃんが期待を背負って日々行動しているのならそれは思い違いです。自分で勝手に自分を優等生であるべきと追い込んでいる、そんな風に感じます。今の段階ではね。そも、現段階での描写ですとアニメの菜々ちゃんは何故生徒会長なんかやってるのかが明らかになってません。

 

厳しい親に躾けられ、優秀な学業と高い内申点で生徒会長にも就任し、学園のリーダー、模範として常に行動しなければならないと、スクスタのエピソードではありました。その上で、日々の抑圧で押しつぶされそうになっている欲望を唯一解放できる居場所が優木せつ菜、つまりスクールアイドル同好会だったわけで、その辺りの軋轢が彼女の心中で渦巻いてしまい、せつ菜ちゃんでいられるスクールアイドル同好会の時間では普段隠していた自分のとめどない「大好き」をついつい強調し過ぎてしまう。

・・・こういうスクスタ準拠のストーリーラインなら衣装を隠すのも納得なんですが、このシーンでお母さんに見つからないように衣装を隠すにはイマイチ辻褄が合わないですね。まぁ年頃の思春期の女の子の、クローゼットの中のプライベートな部分だと言ってしまえば飲み込めるんですが。寧ろ期待という観点で見れば、スクールアイドル優木せつ菜の方がその今後の活躍ぶりに投稿動画PVに胸を焦がしたファンがいるくらいですし、仮に温厚そうな菜々ママ(語感良いな)せつ菜ちゃんを見たら喜んで応援してくれそうな雰囲気さえあります。

 

なので自分は今回の3話、中川菜々が生徒会長でなければならない理由の描写が少し足りてないと感じました。アニメラブライブ!ではすっかりおなじみなので大概の人がすんなり受け入れていますが、それが巡り巡って生徒会長権限での廃部断行判断がうまく飲み込めない要因にもなっています。

いやもしかしたら・・・敢えて描写を削ってるのかもしれませんね。後に生徒会長を多く描写せざるを得ない展開や人物が待っているから・・・なんてね。

 

 

 

 

 

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亜美・真美!!!????

 

(生徒会のメガネ率高いの何か笑っちゃうな・・・小学生が考えた「我が校のブレーンたち」みたいで)

 

 

 

 

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いや、生徒会長の描写自体が足りなかったわけではないんですよ。寧ろ、中川菜々ちゃんとしての普段の生徒会の様子、こんなコミカルに、そしてそこからスムーズに有能らしさを描いてくれるとは思わなくてこのはんぺん追跡シーンは個人的にグッときてるんです。

 

このシーンの何が良かったって、さっき自分が声を大にして書いた目線を合わせて対話するのがきちんと出来ているんです。同じ中川菜々ちゃんのシーンであるにもかかわらず。

融通の利かない頭コンコンチキの意固地生徒会長ではなく、単に追いかけ回して捕まえて一方的に追放するだけではなく、一度冷静になって、膝を折って目線を合わせて、追放される側の立場になって考えてみる。

この後の描写ではんぺんは体の良い言い訳で学園の放し飼いを事実上黙認されるのですが、その柔軟な対応に安心して愛さんが言った「良い屁理屈」が巡り巡ってこの後のせつ菜ちゃん自身を救ってくれる言葉そのものに繋がってくれていてとても感心しました。

 

せつ菜、やれば出来るんじゃないか。

 

何故それをスクールアイドル同好会に活かせない?・・・とは自分は言いません。そこに譲れないものがあるから、それに尽きることくらい分かってますから。

普段物事にあまりこだわりが無くても、自分が大切に思うものや人にだけ譲れない意思を断固持っている、そんな女の子をかつて見たことがあります。その娘は立場や境遇の違いからその娘の未来を自分勝手に案じてしまい、些細な事故から極端な判断を下してしまった自分を2年間も悔やみ続けた女の子です。

それに比べれば、今回のスクールアイドル同好会のいざこざは、短期決戦で終着した分全員軽傷で済んだと言えなくもないですよ。いやまぁ果林さんが早い段階で発破かけてくれたから今回の事態が広く露呈したわけだし、今さっきの自分の評価は前作と比べた結果論で間違いないです。

 

 

 

 

 

けど、けどね。

自分はアニメラブライブ!の全員が全員、いつも整合性の取れた判断や発露が出来ると思ってないです。

 

 

 

 

 

正直今回のせつ菜ちゃんと菜々ちゃんの葛藤は出来が少し悪いです。多くの方が仰ってるように、今回菜々ちゃんの行動だけ分析して見てみれば、自分の信じていた自分を他者から否定されて、拗ねて同好会から身を退いた挙句生徒会長権限で傍若無人にも廃部を言い渡し、せつ菜ちゃんについて真相を追う同好会メンバーから必死に匿い続けていた、としか受け取りかねない行動の不慮が見て取れました。

 

↑の「拗ねた」の部分は実際本人は罪悪感を十分に感じてますけどね。でもそれこそしずくエマ彼方特にかすみんの4人からしてみれば、そう受け取りかねない同好会の晩節の汚し方というか、実際起こした彼女のアクションの不手際から伺える視野の狭さには、自分も少し呆れてしまいました。

 

 

廃部の部分については、本編の描写から何となく推察してフォローすることは可能ですけどね。例えば虹ヶ咲学園の部や同好会はその学校の規模の大きさ故、部員数が5人以下になった場合は自動的に廃部扱いとなるとかね。菜々ちゃん自身が「部員が5人集まれば部発足の再申請が出来る」と本編でも言っていたように、

クラブや部活動の活動実績を重視する高校でも

ない限り、部活動についての枠組みが最低限の条件のみで、それ以外は良くも悪くもかなりフレキシブルになっているのはうなずけます。

 

けどだとしても、欠員という廃部の直接的な原因となったせつ菜ちゃん本人が自分の正体をロクに明かさないままダンマリを決め込んで失踪し、正体が割れた後の菜々ちゃんも罪悪感こそ感じてるものの同好会メンバーと目線も合わさず対話を強引に終わらせるという措置を取ってしまったのは、彼女が生徒会長であれそうでなかったであれあまりに傍若無人が過ぎます。

本人はそのことに罪悪感感じてたなら、せめてあの場で謝罪、いやそれが無くてもせめてメンバーの方を向いて、何か会話してほしかった。

 

 

 

それだけなんですよ。自分が言いたいのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分はね。アニメに向かって「あの時あのキャラがこうこうでこういう合理的な判断が出来ていない、次から失敗しないように行動するためには」とか「ここの整合性が取れていない、本来はああでこうだったからこういう行動をするべきで、だからこのキャラは不出来だ」とかって文句を付けるの、本来は苦手です。苦手というか、あまり好きじゃありません。

 

特に後者の「こういう正しい判断や行動が出来ないから戦犯〇〇(キャラ)みたいなの、何だかすごく胃がムカムカしちゃうんですよ。

ロクに人と目と目合わせてコミュニケーションすら出来ないようなアニメオタクが何えらそうに犯人探しして人の行動に最適化求めてんの?というのが正直な所感なのですがそれ以上にそもそもあまりたられば論が生来あまり好きでないのかもしれません。後はまぁ単純に無粋なのもあるかな。

そりゃあアニメを観ている自分は傍観者だからあれこれ言えるわけですよ。

 

でもそのキャラにとってはその時下した決断が「自分は正しいと思ったからやったんだ」わけでね。やっちゃったもんは仕方ないし、以後失敗しないように考えるのは、俺たち視聴者の仕事じゃない。

ブチャラティかな?

 

自分はその時の判断が間違ってても、人生を自分らしく歩める人の気持ちを最大限に尊重したいといつも思っていたい。どれだけ時間がかかっても。

 

だって自分は、アニメを介してキャラクターという一人の生身の人間を観ているわけじゃないですか。自分と同じ人間が、一度も間違えることなく判断して行動できることを期待するなんて、あまりにおこがましいと思いませんか。

 

だからといってそのキャラクターはいくらでも他者に迷惑をかけてでも好きなように行動していい、そんな風には言いませんけど、作品のファンであればあるほど、無闇に期待を押し付けず、広い懐で迎え入れようという心意気もまた大事だと思いませんか。

 

(まぁぶっちゃけ・・・千歌ちゃんの2期7話みたいに、懐に入れる限界を超えてくる人もたまにいますけどね)

 

その時、その娘が正しいと思ったからそうした。侑ちゃんの言葉を借りますけど、それで良いじゃないですか。誰しも人間、間違いや過ちはあるんだから。一歩ずつ、その娘なりの歩幅で成長していけばいい。アニメという限られた時間の中で、少しでもその変化を垣間見て、あるいは傍観者の自分もそれを通して自分の行動を見直す。

それが出来るからアニメを観るのは楽しいし、ましてや犯人探しなんて無益なんですよ。

 

 

そう思うのは・・・自分だけでしょうか。

 

 

 

 

 

 

話が大きく脱線しましたが、今回のせつ菜ちゃんの動向の不遜っぷりは、指摘こそしますが詰りはしません。窘める、という形にはなるかな。アニメラブライブ!の脚本にキャラの行動理念や整合性を求めてはいけないことは旧作を観てきてもうかなり学習してきましたし、叩くとすればそれは・・・キャラをそんな風に形成した脚本に対して苦言を呈するくらいですかね。だからといって脚本家の方を非難はしませんけど。

 

 

何だか話が変な着地点に行きましたね。じゃあ閑話休題ということで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ちょいちょい準レギュラーみたいな立ち位置で登場してくる愛さん璃奈ちゃん、可愛いですね。今のところ二人とも髪色以外は概ねキャラクターとしての個性をかなり抑えめで描いているので、メタですがメンバー加入回にはその反動でかなり色濃くキャラクター性が発揮されるのでは?そういう意味ではアニメニジガクはキャラ作りが本当に丁寧というか、繊細に扱っているように見えますね。あくまでリアルの女子高生の延長線みたいな形でキャラを引っ張ってきていたり、改変させずにじっくりと思考させたりしています。初見さんに優しいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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今週の果林さん。遂に本格的に同好会に首突っ込み始めてて、初見さんは流石に「いやお前結局何者やねん」とツッコミ入れざるを得ないんですが、いよいよ同好会の全員と顔合わせして何か幅利かせ始めましたね・・・マジで単に自分の友達が入ってる部活に口出ししたいだけのイキリオタクに見えなくもなくなってきた・・・まずいぞ!

というかここ歩夢ちゃんが真顔で果林さんと接してるの面白くない?あんたあの人に痴態見られてんだよ分かってる?「えぇ〜!何であの時の知らないお姉さんがここにいるのぉ〜> <」くらい恥ずかしがることもなく・・・話し合いの状況が状況だったのでまぁええか。

しかし今回の果林さんに限っては、先述したようにだんまりを決め込んでいたせつ菜ちゃんかすみちゃんとは違う形で徹底抗戦をしかけた点では立役者といえます。少ない言葉数ながら堂々とした態度で同好会の意思確認を合わせ、それまで一方的にせつ菜ちゃんに黙殺されていたのを侑ちゃんフェーズへとスムーズに移行させる様はかなり巧みだと思いました。親友のエマちゃんの為、という名目であれやこれやをお膳立てしてくれていますが、果たしてそれはどこまでが真意なのか・・・気になるところです。

 

 

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上級生の「かわいがり」に不慣れなかすみちゃん。圧力や権力にはめっぽう弱くて媚びへつらち、自分が立場が上と分かると途端に踏ん反り返るこの小物感。かわいい。コッペパンどこから出してるかって?うら若き乙女の秘密ですッ☆」みたいな、ね。乙女はいいけどせめて良い保存状態は維持してくれよな。

 

 

果林さんの言う通り、しずくエマ彼方の3人と2代目スクールアイドル同好会メンバー3人が合致したことで6人になりスクールアイドル部は再申請可能ということで、事実上は何の問題もありません。ですが釈然としないのは、依然菜々ちゃん=せつ菜ちゃんの動向です。

 

同好会メンバーが(かすみちゃん以外あまり自己主張の激しいメンバーがいなかったのもありますが)はっきり異を唱えられなかったのは、せつ菜ちゃんの中の「大好き」そのものは否定していなかったということです。違かったのはそのやり方や温度差のみで、せつ菜ちゃんが徹底して勘違いしているのはそこです。彼女のその熱心な練習のさまが、奥底にある「大好き」を表現する気持ちをとことん突き詰めていたい心情をそのまま吐露していたことをみんな認めているんです。端的に言えば、優木せつ菜はきっと良いスクールアイドルになれると、同好会メンバーはみんな認めて、信じてくれていた。

 

 

 

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なのに彼女はどうですか。「皆さんの大好きを奪った」と仲間の思いを汲み取ったフリをして活動休止を言い渡し、自分の心中真意をどこの誰にもこぼすことなく、自分だけお披露目ライブで「CHASE!」を披露して廃部を決定、挙句雲隠れしてしまった。

彼女が責任感の強い女の子なのは分かります。誰かからの期待を背負って生きてきた喜びも陰りも、彼女なりに自負している部分もあるでしょう。だからこそ自分が「大好き」なものを携えるのと同じくらい、他者の「大好き」の陽陰も感じ取れる敏感な人なのもよく分かります。だけど彼女は本当に大事な場面で起こすアクションが極端過ぎた。

真面目で内向的な人にありがちですよ。一度でもちょっとつまづいたり失敗したりすると、「世界は何一つ自分に振り向いてはくれない」と極端な不信感を出して、失意と自責の末に何もかも全てリセットしてやり直したくなる。自分もここ数年は全く同じ経験を重ねてばかりなのでよく分かります。

何より彼女が悔やまなければいけないのは、彼女は彼女を信じてくれるメンバーのことを信じられていなかった。そこにあります。

どういう経緯でスクールアイドル同好会が発足されたのか描写が無いので定かではありません。1年生が2人も在籍しているのを鑑みて恐らくは長い付き合いではなかったはずで、ロクに人となりも知り得なかったことでしょう。だからこそ、目線を合わせて対話して、折り合いをつけていかなきゃならない。同調しろ協調しろとは言いませんよ。けど一度そこにわだかまりを感じたのなら、せめてその居場所だけは無くしちゃいけない。

 

 

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それ見たことか、せつ菜ちゃんよりも一歩先に成長の兆しを見せたのは、居場所を守り続けたかすみちゃんです。彼女は何よりも先に「スクールアイドル同好会」というネームプレートを、居場所を守り続けていました。まぁ半分私物化はしてたけど・・・第2話の感想で敢えて書いてなかったですけど、かすみちゃんせつ菜ちゃんの違いはそこです。

大体、諍いのシーンでもしせつ菜ちゃんの押し付けが本当に他のメンバーを傷つけていたのなら、同じく反論しあったかすみちゃん「かわいい」押し付けに他3人も傷ついていたり、「いやそれも違うでしょ」と反論していたはずでしょ。どっちかが押し付けで誰の何の意見が正義なのかはこの際置いといて、部室そのものを閉鎖して、対話を終わらせて論じなくしてしまっては、せつ菜ちゃんの言う「わがまま」以前の問題になるんです。分かりますか、せつ菜ちゃん。あなたに言ってるんですよ。「大好き」を大切で正直なことだと思うのなら、正直な気持ちを最後まで仲間に伝えないことは仲間を信頼していないことであり、また信頼していない自分を信頼できていないということを忘れないでください。

 

お説教終わり。

 

 

 

 

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不出来でもいいんです。

不十分でもいいんですよ。

どれだけ不器用でも、不都合にまみれていても。

失敗と後悔を繰り返して、その都度自分で自分に言い訳して、誤魔化して。何度も何度も、何色もの自分を複製して、都合良くすげ替えて。

 

七回転んで、仮に八回目に起きれなくても、八回目もまた倒れられたら人生儲けもんです。大切なのは「どんな形でもいいから八回目にまた踏み出す勇気」です。これはミルキィ☆ホームズが教えてくれた、大切な教訓です。その勇気を、切なる願いをきちんと言葉に乗せて歌に乗せて、拳に乗せれば、手のひらで受け取ってくれる人がきっと必ず、現れます。その時こそが新しい優木せつ菜の誕生ですよ。

 

そしてその「大好き」を受け取ってくれる人こそが・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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もうお分かりですね。高咲侑ちゃんです。彼女はずっと、それこそ優木せつ菜が生徒会長中川菜々であることが発覚してからもずっと、そこに一切の重責や罪悪感を無視して、純粋に「せつ菜ちゃんのファン」として彼女に接していました。

それにしても彼女、ピアノ弾けないんですね。侑ちゃんはこれまでの2話でもスクールアイドル同好会のサポーター役として地盤を築いて立ち回ってきた以上、具体的には楽曲作りの一助となるであろうと思っていたのですが(スクスタはその立ち位置がストーリーを大きく動かす軸にもなりましたし)、この調子だと無理そう・・・まぁこのアニメニジガクがアニメラブライブ!の伝統を踏襲しないスタイルを考慮すれば、別にピアノスキルが無くても作曲自体は可能ですしね。アニメサンシャイン‼︎でも梨子ちゃんPCのコンポーザーで作曲調整してましたし、今回のアニメのコンセプトであるソロ活動中心の動向次第では作曲して一つのグループとしての歌を作り上げる為のスキルはほとんど必要無いのかもしれません。

 

 

いやあしかし、音楽室での出会いというものはアニメμ’sを彷彿とさせて感嘆の声を上げましたね。かく言うせつ菜ちゃんの心境はあまり穏やかではありませんが、やはり「音楽」を通じてスクールアイドルを志すというのはどのシリーズのアニメラブライブ!初期展開を見てみても本当に良いものです。

 

 

 

 

 

(ラブライブ大会の)ステージに上がる為の条件は、

メンバー全員が一体となって一つの歌を歌うこと。

 

 

 

 

 

うーん・・・いや、そうかぁ?

 

 

 

このシーンでせつ菜ちゃんラブライブ大会についてふんわり言及しててそれを整理すると、

 

 

ラブライブ大会は全スクールアイドルが夢見る憧れのステージ(これはアニメシリーズ一貫で共通)

 

・勝利の法則として(俗に言われてる?のは)グループがどんな形であれ一致団結して同じ歌を歌う(これまでのアニメラブライブ!で言及されていたオリジナル曲限定ルールは言及されず)

 

 

アニメラブライブ!悪い特徴として、タイトルにもなっているラブライブ大会の肝心要の規模や運営体制がいつも曖昧で説明不足なのはありますけどそれはさておき、勝利条件が一致団結して歌い踊るというのはぶっちゃけダウトというか・・・せつ菜ちゃん歴代大会優勝者の威光を信じてしまっているようにも聞こえます。

例えばμ’sAqoursも、どんな着地点であれどこかでラブライブ大会に優勝したいという目的意識が合致する瞬間がありました。実際シンガーソングダンスユニットという観点でみれば歌や踊りを一人ずつ同期させる必要はあり何もおかしくはないのですが、だからといって一人一人が個性の塊であるグループが各々の方向性の曲を披露しても優勝の可能性の光が一筋も見えない、ということもないと思うんです。

こういうこと書くと天邪鬼みたいだけどね。認識としては確かに「スクールアイドル」が高校球児ならラブライブ大会」は甲子園、というので間違ってはなさそうだけど、だけど勿論甲子園と全く同じではないし、多様性や自由な「大好き」を重んじるアニメニジガクの先進的な方向性に、ラブライブ大会側だけが伝統的に古びた価値観のままついていけてないというのは妙な時代錯誤を感じてしまうのは自分だけでしょうか。

μ’sAqoursのことを一度も言及していない故アニメニジガクがどの時系列なのかどの世界線なのか未だ定かではないから何とも言えませんが・・・

 

 

というかせつ菜ちゃんは本当にラブライブ大会に出たいと思ってたの?本編中ではスクールアイドルである以上誰しもが目指さなければならないみたいな言い方してますけど、それと同時に「あなたもファンなら(せつ菜に)出てほしいと思ってるんですよね?」って妙に客観的というか、間接的な言い回しで少し引っかかるんですよね。いやこのシーンでは侑ちゃん中川菜々=優木せつ菜とバラさないためにそういう聞き方をしてるのは分かってるんですけど。

 

菜々ちゃんは同好会を辞めることで自分の中の優木せつ菜から距離を置き、他人の空似、どこか遠い存在になってしまったよく似た別人のように捉えつつあったのでしょうか。

ですが、その距離の開いてしまった鏡合わせの二人を、彼女は引き戻してくれました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「私は、幻滅なんてしてないよ。」

 

 

その言葉を言ってほしかった。

 

 

自分も幻滅なんてしてないですよ。せつ菜ちゃんには。自分の大好きなアニメのキャラがちょっと極端なやり方をしたくらいで幻滅なんてしません。そんな簡単に幻滅できるほど自分は偉くはないです。

 

上でも書きましたが、今回のいざこざは短期決戦で片付いただけマシではあるんですよね。せつ菜ちゃんが思い込んで、大好きな気持ちを大好きなままで閉じ込めて、生徒会室にネームプレートごと塞ぎ込んだ。そのやり方があまりにも急転直下というか極端だっただけで、彼女の気持ち自体はとてもよく分かります。まぁ初期からのニジガクファンはかねてからせつ菜ちゃんかなり有能に立ち回ってくれる!と期待していたかもしれないとしたらそこは裏切る形となりましたが、自分は何というか・・・要領の良い人にほど距離を感じちゃうので。

 

 

 

 

 

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侑ちゃんは中川菜々がどんな人であろうと、優木せつ菜が笑顔で歌い踊ってくれることを信じてくれていました。

侑ちゃんにとってのせつ菜ちゃんの は、責任とか、ラブライブ大会の夢を追いかけるとか、「大好き」のせいで周りを振り回してしまうことは主眼じゃないんですよ。だって自分が今その「大好き」の拳に振り回されてなお胸がときめいているんですから。そんなことは百も承知です。

 

 

彼女が優木せつ菜に望むのは、

中川菜々に望むのは、

「期待」でも、「大好き」を押し付ける恐れでもありません。そんな小手先の心配なんかどうでもいい。たかだかそんなもの、全部受け止めてみせる。ステージに乗せたら、そんなものすぐに流されてしまうようなーーー

 

ステージで笑顔で踊ってほしいという純粋なときめきの暴力です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この時侑ちゃん「そんなくらいなら、ラブライブなんて出なくていい!」と言いました。この言葉・・・ねぇ。

 

 

 

 

 

 

 

 

侑ちゃんはあくまで「せつ菜ちゃんを縛りつけるものがあるのなら、そんなものはもう望む必要無い」と言いたかっただけです。本人が言った後で取り繕うシーンがあるように半分言葉の綾を含んでいるだけで、今までのアニメラブライブ!の常識を覆す大革命だ‼︎みたいに捉えるのは、それは間違いというか早計だと思ってます。

というかそれでいったらラブライブなんてどうでもいい」って言った人はどうなんのさ・・・って話じゃん。その後あっさり優勝してるし。何?なろう小説?

 

 

 

 

 

この侑ちゃんせつ菜ちゃん(菜々ちゃん)を呼び出すシーン、個人的にはすごく好きです。同好会のメンバーが首を突っ込まず陰で見守ってるところもそうですが、この二人を見てると千歌ちゃんとても美しくて力強い、芯の部分を見ているようでね。

 

 

侑ちゃんは、「過去に何があったかは知らない。でもとにかく、あなたにあなたらしく笑顔になってほしい。その為にはまずこの手を握ってほしい」と願う、アニメ1期2話の千歌ちゃん。

 

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一方せつ菜ちゃんは(少し似通っている程度ですが)、「自分の力を信じてくれた人たちを自分自身が信じることが、可能性を広げる最後のヒント」だと気付く千歌ちゃん。

 

 

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自分、(2期7話以外は)千歌ちゃんのことすごく好きですよ。とっても泥臭くて人間臭くて、だけど「他者の持つ夢」というものにとても深い慈しみをもって寄り添ってくれる彼女のこと、すごく好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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侑ちゃんは菜々ちゃんせつ菜ちゃんでいることを快く認めた時に「ようやく会えた」と言いました。地味にこれもグッときましたね。

今まで侑ちゃんの中で優木せつ菜というものは言わばステージの上の憧れそのものであり、自分には決して届くことのない、身近でありながら遠い存在だと思っていたのでしょう。

しかし今彼女は、優木せつ菜と同じ目線の、「同じステージ」に立っています。だけどそれは「スクールアイドルとそのファンという関係」が壊れるということではない。両者がお互いを信頼し合って、背中を預け合って作るステージを高咲侑は望むと同時に、せつ菜を「大好き」の呪縛から解放してくれます。

 

観客席から飛び出したファンの掌が、ステージのスクールアイドルの拳を受け止める為の最初の一歩。

 

だからこれは、新しい切なる勇気を歌う歌。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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せつ菜ちゃんのソロ曲「DIVE!」は、そのシンプルなタイトルとは裏腹に、今までの彼女のソロ曲同様圧倒的な迫力と歌唱力と情熱で織りなされるロックチューン。

しかしその炎々と燃える焔とは対照的な青空と深海を潜っていくPVは、中川菜々が自身と向き合い、誰にも縛られない、全力で最高の「大好き」を胸の奥底からサルベージしてくるという意味が込められているのでは、と思います。

 

いやぁ、やっぱりアニメでアニソンロック聴くの良いなぁ。特にこの「DIVE!」はあの有名なロックバンドSPYAIRさんのメンバーさんの方が作曲担当してくださっていらっしゃって、初見で聴いた時「おいおいアヴリル・ラヴィーン並のロックチューンやんけこんなん漏らすわ・・・」と鳥肌立っちゃいました。合いの手の「WAO Oh-Oh」って部分も女の子らしいロックに仕上がっててガンガンノっていけてもうほんと素晴らしい・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

 

 

 

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今回のまとめです。いやぁ書いた書いた。3話だけあって今週も見所盛り沢山でしたね(これ毎週書くんだろうな)

 

 

 

 

第3話、総括としては

 

 

85点です。

 

 

 

 

 

それなりに減点はしてますが、これは勿論せつ菜ちゃん極端ムーヴメントによるものです。誰かの何かに振り回され、あるいは背負い、縛られて、そして何より自分の中の「大好き」に臆病になってしまったその結果、視野が狭くなってしまったせつ菜ちゃんが取った言動は誰とも目を合わせず対話を終わらせるという、自分にとってはすごく寂しくて、悲しいものでした。

しかしそこに果林さんが上手く切り込んでくれ、その意思確認を共有した侑ちゃんが彼女なりの、純粋なまでに新しいとも感じるような「あなたの「大好き」を受け止めてあげる」という"存在の余地"を作ってあげたことで、せつ菜ちゃんは改めて自分の思うままに、「大好き」を発露していく決心がついたわけですね。

 

「せつ菜ちゃんのステージが大好き」という思いが皮肉にも「大好きを表現出来るスクールアイドルが大好き」という欲望を解放せしめる、というのはシンプルでありながらアニメラブライブ!において限りなく王道に近い「ときめきのぶつけ合い」であり、その鮮やかな流れとソロ曲「DIVE!」への収束にして力強く彩られる迫力は、「これでいいんだよ」と言えるような原点じみた安心感があって、すっごく・・・すっごく良かったです。

 

一方で、今回はラブライブ大会」というキーワードが出てきておきながら、本作主人公である侑ちゃんそのキーワードに縛られないスクールアイドルの新しい在り方を力強い言い方で提示しており、やはり侑ちゃんの主人公としての特異性とアニメニジガクの「今までの様式美を見直す」スタイルの地盤がより強固になっていると感じました。この辺りはどう収束していくのかとても気になるところですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分は中川菜々ちゃんも、優木せつ菜ちゃんも、両方在って初めて成立するものだと思ってます。どちらかが有能でも、どちらかが不十分でも、あるいはどちらも補う必要のある女の子であってもいいんです。

だからどうか、あなたの熱い思いを受け止めてくれる人だけは、見失わないでほしい。見失っても、閉じこもらないでほしい。

そうすれば、あなたが愛したMELODYを追いかけてくれるCHASERが現れるはずです。

 

 

その時あなたが歌う「LIKE IT!LOVE IT!」はきっと・・・より一層多くのファンに深く、正しく、強く届く最高の応援歌になるはずです。

 

 

 

 

 

 

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だから、これからもよろしくね。菜々ちゃん、せつ菜ちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

                   (16870文字)

 

 

      written by Sunny Road

 

 

 

 

 

前回、第2話の感想記事はこちら↓

 

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/10/16/194626

 

 

 

 

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第2話「Cutest♡ガール」感想 〜Honey Mustard Dressing〜

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一人では、分からない言葉。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知り置きを、今後もどうぞよしなに。

 

 

 

 

 

 

さて、今回もアニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第2話「Cutest♡ガール」の感想を書いていこうと思います。

 

 

今回はかなり論考すべき箇所が盛り沢山な内容となる2話だったので、サクサクとリズム良くいきたいと思います。

 

 

 

と、その前に前回も書いた注意書き。

 

 

 

 

 

 

 

 

本ブログは、私Sunny Roadが(スクスタも半分くらいしか履修せず)視聴し、私Sunny Roadが個人的に思うがままを綴った見解、純度200%の"私見"会場となっております。

閲覧者様のご意見ご理解に沿えられない、説得力と言葉の責任が欠如した部分も多々ある駄文でございますので、十分ご留意した上でお読みください。

 

 

 

後、大体の部分は他の人気ラブライブ!ファンの受け売りや同説だったりします。ご了承ください。もう忠告したからね。気分損ねても知んないからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、まずは・・・OPから。

 

 

 

 

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前回のブログでラブライブ!らしくない仕上がりになっている」と割と強めに書いていましたが、歩夢ちゃんかすみちゃんの挿入歌始め、やはり楽曲はとてもラブライブ!らしさ溢れる疾走感と爽やかさがふんだんに盛り込まれ、ライブCGアニメーションは更にグリグリヌルヌル動く圧倒的な迫真カメラワークにはもう、一本取られましたね。やっぱりラブライブ!だわ。きちんとカッコ良く、しっかり可愛い。本当に1分30秒に凝縮された宝箱ですよ。

 

ぶっちゃけラブライブ!もそれなりに歴史を積んできましたし、これまで世に放ってきたPVの見せ方には結構パターン化してきた部分もあってうーむ今後どうなるかという懸念もあったんですがそれを感じさせない、まだまだ見せ足りねえ!と言わんばかりのパワフルさよ。この後にも書きますがアニメ虹ヶ咲の本編は(挿入歌PV以外は)どことなく日常らしさを引き伸ばしたような少しのんびりした雰囲気を纏って「ソロ」のパーソナリティを脚色していますが、「グループ」一体となって歌い上げるシーンはピッチを上げて疾走感と別物感を増し、夢に向かって邁進する少女たちの目的意識をまとめ上げているというのはメリハリがあってとても「鮮やか」ですよね。アニメラブライブ!は緩急あってこその面白さだと思います。そして地味に背景や美術設定がめちゃくちゃキレイ。広大な海の上のステージなんて未熟Dreamer以来のロケーションですが自然物をあらゆる角度から取り入れるアニメラブライブ!のステージは開放感があって大好きです。

後はお衣装。長袖ジャケットで露出が少なくうーんという方もいらっしゃいましたが、自分は校風がお衣装に色付けとして反映されるというアニメラブライブ!OPで地味に統一されている引き継がれてて好きですね。

勿論女の子らしい肌色が若々しく光るのも目に優しいとは思いますが、虹色のタスキがそれぞれメンバーの差し色になっていること、そしてそれが「自分の好きなことへの表現」という全員仲間でありライバルというニジガクのソロポリシーをそのまま体現しているのがジャケットを着る理由に添えられるのが好き。タスキはジャケット着てからじゃないと駅伝になっちゃうし、駅伝になるとチームの一体感が必要になるからね。なーんて、この辺はただの連想ゲームです。

まぁ強いて言うなら果林ちゃんのモデル志望で磨いた魅力的で大人なセクシーボディーが薄味になったりスイス育ちの恵まれたプロポーションを備えたエマちゃんに注目しにくいというのはありますが、今の所どちらのキャラ設定もアニメでは言及されてませんからね。何ならOPが変化するという搦手もまたアニメの伝統として根付いているので、話数を追っていくとストーリーラインに沿って衣装が変わる、なんてことももしかしたらもしかするかもしれませんよ。

 

 

 

で、皆さん沢山のファンの方々が言及していた冒頭の侑ちゃんの佇まい。

うーん自分は・・・正直、人気のファン様が考察なさっているのとほぼほぼ同じ感想なのですが、気になったというところは冒頭だけというより冒頭の侑ちゃんソロと最後の同好会メンバー一同+侑ちゃんが揃って同じ方向を見つめるシーンの対比がお?と。

前回でも書きましたが、「誰にでもなり、誰でもない"あなた"」という存在はラブライブ!界隈に何となく、しかしそこはかとなく根付いてきた架空のファンの総称がずっとありました。そしてスクスタリリースと同時にその存在は公式様に(ほぼ)正式に認識され、その延長線上として何となく示唆された架空の人物が高咲侑であると睨んでいます。要は忍野扇とは似て非なるものです。サラッとめちゃくちゃネタバレしたぞ俺。

 

"あなた"であって"あなた"そのものではない、スピリットだけを受け継いだデコイ。そんな高咲侑OPの冒頭で浅瀬に裸足を浸けながらこちらを見つめ、さらに陽のように輝くステージを豪華な椅子に腰掛けながらぼんやりと見上げる。ここだけ見れば高咲侑「スクールアイドルを一番の特等席で見ている(応援している)サポーター」という風に捉えられますし1話での彼女の立ち位置と合致していますが、

その反面OP最後のシーンでは同好会メンバーと共にどこかほんの少し陰ったところからどこか一方向を眺めているんですね。つまり、高咲侑が同好会と目線を合わせている。この転回は一体何を示すのかがすごく気になります。冒頭と最後はそれぞれ意味合いが独立していて、最後のシーンは「同じ"ときめき"を追い求める仲間」という意識のみを共通しているのを指し示すカットとも取れますしそれだと概ね納得なのですが、何となく、何となく嫌な想像をしてしまうのは気のせいでしょうか。

 

まさかまぁ最終話で侑ちゃんも一緒のステージで歌い踊るとかいう特大クソデカ迷走ムーヴメントをやらかすとは思いませんが、同じOPの中の1分30秒間で2つのシーンが両立してしまうのは何だか不自然に感じ取れました。いやまさかね。後地味に最後のシーンが微妙に陰ってるように見えるのワイだけか?その辺も妙に気になるんだよね。

 

 

 

 

 

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(画像は拝借しました)

心を射抜かれた人も多い、モノクロスーツシーン。 男性を意識させない世界観を徹頭徹尾守っているアニメラブライブ!では割と思い切った斬新さがありますが、別にスーツは男性だけが着るものじゃないという自由な発想や多様性というアニメニジガクのもう一つのテーマの裏付けとも捉えられそうですね。愛ちゃんがアンニュイな表情してるのは自分もグッときました。こういうカットが挿入されるの、あ〜何だっけ!他のアニメとかでもよくあるなぁ〜‼︎と皆さん喉元まで出てきてる歯痒い気持ち、ありませんか?

自分はまず始めに「SSSS.GRIDMAN」のOPの新世紀中学生のシーンを彷彿とさせましたね。あれもスーツだしね。気になる方は探してみてください。UNION、とても良い曲ですよ。自分はアニメラブライブ!のお陰で退屈から救われています。

 

 

 

 

 

 

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まぁほら、生徒会長に別人格や二面性があるのはアニメラブライブ!の伝統だし多少はね?

 

この2話の最後で早々と身バレしてるしセーフといえばセーフなんですが、このチェキを見逃さなかった初見さんがOP後果林さんが優木せつ菜の正体を意味深な笑みで追い詰めていくさまが陳腐に見えてしまうのを考えると少しせつ菜ちゃんがかわいそうになっちゃいますね。アニメの構成の都合でなにかと翻弄されてしまうのは生徒会長ポジションの宿命なのでしょうか。

 

そういえば、OPやEDの最初の部分で挿入されるキャラカットや傘の色の順番通りにキャラクター回が展開されるというのは鋭い指摘だと思います。別に同好会に参入する順番は気にしていませんが、黒い傘担当である侑ちゃんは黒同様に何色にも染まらず、どんな色をも取り込むという独立した立ち位置でいるのか、はたまたそれ以外の道を視野に入れているのか。

黒の侑ちゃんだけが、傘を後ろに逸らして虹の雨が降る空を見上げているから・・・まさかね。

 

 

 

 

 

 

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これは何味か言及されてませんでしたが、ササミ?サラダチキン?と・・・ソースはマスタードですかね?(マヨネーズかな?)大胆にも輪切りで添えられたレモンが爽やかさを演出してくれる、なかなかオシャレなコッペパンですね。

サラダチキンなら女の子が気にしがちなカロリーも控えめですし、その割には特別な調理はほぼ要らず、いや普通に手作りでこの食材選びができるのは天賦の才を感じますよ。自分ならサンドロールがあったらロースハムとマヨネーズかウインナーにケチャップでバリエーション終わりですからね。発想から貧乏らしさを感じる(自虐)。侑ちゃん歩夢ちゃんを籠絡させるのに一役買っていましたし、1話からの謎のコッペパンブームのお膝元として優秀なアイテムですよ。2人が食べてる時の作画が怪しいのが気になったけど。キャベツはわざわざ千切りにしなくていいからね。

 

で、そのコッペパンの製作者がこの2話のメイン、

 

 

 

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あゆぴょんです。可愛い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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嘘です。かすかすこと、中須かすみちゃんですね。今回はかすみちゃんのパーソナリティに触れながら書きたいと思います。歩夢ちゃんのおっぱいに目がいった人、はい頭の上に両手を置いて〜、ぴょん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1話の時点で生徒会と生徒会長の横暴に「コミカルな憎らしさ」を向けていたかすみちゃんは、取り上げられた「スクールアイドル同好会」のネームプレートを奪取すべく、いよいよ強行手段に出ます。猫を囮に生徒会室に忍び込む姿はコミカルそのもので、初見さんにはかすみちゃんの前半の派手で表情豊かなリアクション芸や抜け目ないいたずらっ娘後輩な一面と、そして後半との少しアンニュイな人物像とのギャップがハートにドストライク♡な人もいたのでは。ま、要は「この娘ネタキャラ枠だな」みたいなね。自分と自分の信じた理想を常に渇望し突き進む矢澤にこのスピリットと謎サングラスをきちんと引き継いでいて安心ですね。あっちはボケとツッコミ両方できる天性のコメディアンだけど。

後に「はんぺん」という猫の名前が判明しますが、これはどうやらスクスタのエピソードに準拠してるらしいですね。芸が細かい。というか飼い犬や野良猫にひらがなの食べ物の名前付けるの流行ってるの?

 

いやぁしかし「アイドル研究部」「スクールアイドル部」「スクールアイドル同好会」と、各々のスクールアイドルが各々のネームプレートという肩書きを執着していく→襲名していくというのが遠回しに描かれるというのは、世代間で各々のスクールアイドル像が部の名前が変化していくと同様に変容するということで・・・観てて面白いですね。手の届かない場所にあったり、たった一人でも守り抜いた願望の表れだったり、いとも容易く入れ替えや私物化が可能な可変式スターダムだったり。

 

 

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誰の協力も得られず、同級生で同じ同好会メンバーだったしずくちゃんに相談(というか愚痴)を持ちかけつつ強烈なインパクトを放つ演劇部の先輩に寝取られ、終いにはワンダーフォーゲルという起源を辿るとこのアニメのメッセージ性と合致する部に入れ替えが完了しています。

しずくちゃんの演劇部の先輩は何というか・・・モブキャラにしてはあまりに異彩を放つ強引さがあって視線がそっちいっちゃいますね。自分は陳腐になるからアニメラブライブ!を百合やレズ路線で極力見ないようにはしてますが、1話でしずくちゃん以外の部員にランニングを強要してるシーンもあり実はこのアニメで独占欲が一番強い女の子と捉えても違和感無いですよね。でも相談のシーン自体はしずくちゃんの大人しめだけど芯が通った上品さが紅茶というアイテムからも窺えて◎。その時のかすみちゃんが、面識の無い、そして多くを語らない圧力を感じる他部の先輩には下手な愛想笑いを浮かべるのも長い物には巻かれる後輩っぽさが出てかわいい。

 

 

 

 

 

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ふてくされてるところに偶然出逢った、スクールアイドルにときめく先輩方お二人。二人と出逢うことで、かすみちゃん同じ志を持ちながら違う対象を見つめている女の子と、どんな理想や好物も、それぞれがそれぞれの形のまま表現できる独立性と多様性を愛ざす女の子に感化され、少しずつ変わり、あるいは留まっていく。

 

2話はこの構成・組み立てキャラの巡り合わせがとても「巧く」思わず唸ってしまいました。

 

 

 

 

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この邂逅のシーンではかすみちゃんかわいい、かわいいと初対面の自分を褒めちぎる高咲侑ちゃんに取り入っていき、その様子を歩夢ちゃんは呆気に取られながら時折冷めた笑いとにこやかな毒を刺しながら展開されます。おお怖い怖い。初見さんはご存知ないかもですが、かすみちゃんは善子ちゃん同様かすかすというニックネームを嫌います。まぁ理由は・・・お分かりですよね。全国のクロッカスに謝れ。

 

かすみちゃんは学年的には後輩ながらスクールアイドルとしては先輩なのを生かし、侑ちゃんがスクールアイドル志望でなくサポーターを目指していることを知り自分への献身的なサポートを強いる「愛され後輩」っぷりをそりゃまぁかなり上手くグイグイ押し出してくるんですな。ペロッと舌を出すシーンが可愛い。けどお前部長に対して絶対服従!とか二枚舌もええとこやからな。まぁかすみんはかわいいからね。かわいいと何でも許されちゃうから仕方ない。

それに対して歩夢ちゃんは物理的にも心理的にもほとんど二人に割って入らず、ただただアワアワと困惑するばかり。

 

自分は先に書いた通りアニメラブライブ!に百合要素をねじ込むのは好みませんが、この3人の関係性を百合要素無しで語るには無理があるとは思うので、敢えて1話を分析しつつ書きます。そしてこれはあくまで、スクスタの世界での彼女たちのキャラは含みません。

今まで歩夢ちゃん侑ちゃんと何をするにも一緒に行動する幼馴染みなのは1話で折り込み済みですよね。そして侑ちゃんは、「かわいい」という形容と評価を今まで、あまり積極的ではないにしても歩夢ちゃんだけに使ってきていました。歩夢ちゃん自身それは言われ慣れて半分聞き流していたものの、しかし自分のことをしっかりと他者が認識してくれる待望の言葉として安堵感を置いていたと思われます。

だからこそ彼女は自分に似合う服を、自分の好きな色を笑って受け入れてくれる人の為に一歩を踏み出した。

 

しかしそんな「大切なことば」が、他の人に対しても容易く使われたとしたら。

自分をメーキャップしてくれるとっておきの化粧道具が、他の人にあっさりと使われていたら。

 

 

歩夢ちゃんが「かわいい」という言葉にどれほどの重みや意味や好意を向けてたのかは定かではありません。けど少なくとも、歩夢ちゃんとびっきりのかわいい人物になれるなら、という思いでスクールアイドルを志したのは、2話を見ても明らかですよね。

そして何より、「いつも傍にいてくれている長い付き合いの大切な人が向けていてくれた大切な言葉を、まぁこうも初対面で易々と引き出してくれたアンタは何様やねん、」と女の子はリアルでも2次元でも、どうしても、思いたくなくても思っちゃうタチなんですよ。でもこれ、この言葉で済ませちゃうのは安っぽいんですよね。だからここはあまり強く主張しません。

 

 

そしてその「かわいい」にすっかり気分を良くした得体の知れない後輩ちゃんが、自分と同様、しかしその言葉を求める対象が少し違うかわいいの探求者であることに気が付きます。

同志だけど、時にライバルという虹ヶ咲のコンセプトを彼女ら二人の思想の違いがこの2話時点で表現されるというのは本当に鮮やかで巧く、どんな視聴者にとってもかなり分かりやすい、しかし深く考え得るテーマとなりました。

 

 

そしてその二人の違いというのはもう一組いますが、それは後ほど。

 

 

 

 

 

 

 

 

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可愛い。女児に慕われるのは良妻賢母の証。パペットマペットさん元気かな。

それにしても相変わらず女性しか登場しないの見てて怖いな・・・アニメ虹ヶ咲は今までのアニメラブライブ!の当たり前をかなり大幅に見直していますが、女児はともかくゲートボールの老人会にもお婆さんしかいない徹底ぶりはおいまずこの怖い女縛りを一番に改革してくれよとしか思えません。

「恋する小惑星」でも普通に男児登場してたのに・・・まんがタイムきららに遅れ取ってどうすんだよ

 

ちなみに工事現場のシーンでは侑ちゃんが「うるさすぎない、ここー⁉︎」って言ってるのがうっすら聞こえます。是非注意深く聴いてみてください。

 

 

 

 

 

 

 

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「徹底抗戦」も泣く泣く敗走(元部室前で座り込んだ体勢からorzの姿勢にわざわざ変えるの、芸人魂感じました)して以降完全に目をつけられた(というかそもそも別の因縁が発端ではある)生徒会長の目から逃れるためにかすみん侑ちゃん歩夢ちゃんを引き連れ2代目スクールアイドル部と称して校外での活動を始めます。メンタルは強いけど権力に弱い小市民かすみんかわいいよ。

 

 

 

スクールアイドルのことは右も左も分からないお二人に後輩ながら先輩ヅラするかすみちゃんの熱心な指導の下、まずスクールアイドルの基本は自己紹介PVから!ということで全面に「かわいい」を振りまいていくアピールを信条とするPV撮影が始まるわけですが・・・

いやまぁここの歩夢ちゃんは文句なしにかわいいよね。幼馴染みでずっといる侑ちゃんの面前で侑ちゃんが気に入っていたあゆぴょんを偶然にも強要されるこっぱずかしさ、分かるよ。ワクワクしてカメラの後ろから期待されたら、やらない訳にはいかないよね。ウブでいたいけな乙女心が弄ばれるいじらしさ、最高。

 

侑ちゃんはこの時かすみんの全身全霊かわいいアピールをいたく感激して(他人のスマホを放り投げるくらい)喜び、その都度「え⁉︎」と予想外の反応に唖然とする歩夢ちゃんですが、ここで勘違いしないでほしいのは、歩夢ちゃん別にかすみちゃんのことをかわいいとは思ってないということ。

 

では、その辺も交えてそろそろかすみちゃんを紐解いていきましょう。

自分は特に「ことば」について着目しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ところで自分はご存知の通りTwitterもしているのですが(@Elysia_Sunny)、自分の思想や感想を書く時にただ一つ気をつけていることがあります。それは

 

 

「形容詞だけで済ませないこと」

 

です。

 

 

昨今のSNSや若い方々の流行りを見ていると、言葉の使い方が随分簡素になったなと感じます。「きれい」「ヤバい」「エモい」・・・数ある美しい日本語の豊かな表現を差し置いてほんの僅かな文字数の形容詞と造語で形容し、後に(語彙力)を適当に付け足せば自分の感情を余す所なく表現できていると思い込んでいる人が割と多い印象です。

しかし自分はそれは否定するつもりはありませんし、それもまた言葉の強みであるとも思います。シンプルだけどストレートで、軽く手っ取り早く伝わる。時代が進むにつれ物事が全て簡便化するにつれて不要な部分を削ぎ落とした洗練ささえ感じる。

 

でも、言葉はあくまでナイフのようなものなんだという思いを、文系の自分はいつでも忘れたくないんですよ。

 

 

 

 

 

「エロい」「ダサい」「ウザい」「かわいい」・・・人が人を評価する時、頭にいくら修飾しても結局最後に付け足される形容詞は、やはりシンプルで力強い言葉です。ですが評価というものは、手っ取り早く済ませることが必ずしも正義とは限らない。その真っ直ぐさ故に残酷で、軽はずみな一言でその人を文字通り"終わらせてしまう"言葉なんです。

 

 

 

 

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かすみちゃんは確かにかわいいですよ。歩夢ちゃんも勿論かわいい。何なら侑ちゃんもかわいいです。

けどその印象を受け取る側の人が「その一言」で終わらせてしまうのって、相手にも自分にももったいないんですよ。端的に伝えれば伝えるほど、ほんとはもっと引き出したかった心の中身を閉じたまま蓋をする気がするんです。そう思えるのは古くから婉曲な表現で書物を書いてきた日本人の遺伝子が自分にもあるのかもしれませんが。勿論、言葉をいくら連ねても伝われない思いが幾百とあるのも重々承知の上ですが。

かすみちゃんは誰しもにかわいいと評されたい。何なら自分にもね。歩夢ちゃん侑ちゃんに誰よりもかわいいと言ってもらいたい。

百合的な要素はさておき、大切な関係の人に自分のことを知ってほしい、内面を良く評されたいと思うのはごく自然なことです。だからこそ、その「かわいい」は何故、誰だけに、どれほどの意味合いと価値を持つのか、探りたくなってしまうんですよね。心が求めるときめきの言葉の分析、まさにときめき分類学なんですよ。

そしてその大切な関係の人、かすみちゃんにとっては窮地に寄り添ってくれた恩人である侑ちゃん歩夢ちゃんは言わずもがな強固な信頼を置く幼馴染みの侑ちゃんの使うたやすい「かわいい」に、執着してしまう。

 

かすみちゃんが本当にかわいいかどうかは歩夢ちゃんにとって重要じゃなく、歩夢ちゃんだけに評されてきたそのシンプルで強烈な言葉をいきなり甘んじて受け入れるかすみちゃんって、どんな女の子なの⁉︎という、未知への衝撃と困惑を、嫉妬だとか邪念とかも無く本当にただただ純粋に描いてるんじゃないかな、と。

 

証拠といっては何ですが、歩夢ちゃんは1話のせつ菜ちゃんを見た侑ちゃんの反応ともこの2話のかすみちゃんへの反応とも、同じ場にいながら二人それぞれ違うリアクションしか取っていません。そしてその相違に敢えて「いやいやこう思うでしょ」と意を違えていないのは、侑ちゃんの感想自体は正しいと思っているからに他なりません。ただただ予想の斜め上をいく侑ちゃんの反応の大きさに困惑しているだけです。

それが内心を引き出すのが苦手な彼女の裏返しにも取れますが・・・彼女は曜ちゃんに少し似た部分があるのか、嫉妬に及ぶほどの自信の無さが未だ見て取れるんですよね。以前のブログで持論として書いたのですが、嫉妬は自分で自分に自信が無いと発生しません。かすみちゃんいの一番に侑ちゃんに自分にもサポートを、とお願いしたのはその辺りの違いなんでしょうね。

 

 

 

そんな繊細な機微が感じ取れたのが2話で、かすみちゃんの正義で、歩夢ちゃんの宝箱で、そしてまた、せつ菜ちゃんの情熱だったのです。

 

 

 

 

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かすみちゃんせつ菜ちゃんが対立し、同好会が廃部になった原因・・・とか犯人探しはあまりしたくはないのですが、概ねファンの方々が指摘している通り「自分の大好きを押しつけ合ってしまった」からですね。

 

 

かすみちゃん自分で自分を甘やかすがごとく、自分の信じる「かわいい」を優先し、主張してしまった。

 

せつ菜ちゃんはスクールアイドルとして何が重要か、何を表現するかを理想像とし、練習への熱心さに変えて他の部員にぶつけてしまった。

 

 

彼女らは方向性は違えど、志が似通っています。何が大好きで、何を重んじているか。

その表現方法の延長線にスクールアイドルという「手段」を取っているだけで、彼女らの「目の前にいる自分を応援してくれる人」を常に率先するビジョンは全く同じです。大人になったら「抑圧」という同調圧力が正義を振りかざして社会を闊歩しますから、本当にこの2人の諍いは10代特有の青臭くさを感じてね。見てて愛おしくなりましたね。

 

ただまぁ個人的に言うなら、

 

 

 

 

 

というところがせつ菜ちゃんが少し有利かなとは思っちゃいますね。

 

本来、侑ちゃんのような「一番近くのファン」がステージでも自然体な舞台裏でも絶賛してくれるのはかすみちゃんにとって異質なことです。勿論かすみちゃんはどんな時でも「かわいい」ですが、侑ちゃんだけせつ菜ちゃんのように過程にも熱血を、結果に冷血を費やす人ではありません。「ただかわいいを述べるだけでなく、自分を通して「かわいい」を押し出す人たちの存在を促す」存在に徹していた。

第2話が「巧い」と思った真髄は実はそこだと思います。かすみちゃん一度は引けを取らない大げさなリアクションをしつつも、後半からは少し遠くから「かわいい」を促すだけの人物へと変容し、かすみちゃん「気付き」を促した侑ちゃん、なかなかに巧妙でした。

 

 

そしてかすみちゃん侑ちゃんを通してハッと気付きます。

自分もせつ菜ちゃん先輩同様、自分の大好きなものを押しつけてしまっているということ。まぁ被害者は歩夢ちゃんですけど。同じ穴のムジナと言えば何となく印象は悪い気もしますので、ここはシンプルに「同志の瑕疵」で。

 

この「気付ける」そしてその後の「吐露する」という行為ができるのは実はかすみちゃんの真の可愛いところですよ。人のフリ見て何とやらとは言いますが、しっかり自分の行いを顧みて、「自分の大好きを押しつけたくはない」と反省できるところ。正しい、変えたくないと思うところは翻さず、だけど自分にも悪いところがあった、と認める素直な寛容さ。これが窺えるかすみちゃんは、大人の美しささえ感じます。こんな10代の女の子が出来てるような簡単なことが出来ない非常識な大人、社会にすごく多いですからね。自分も含めて。

せつ菜ちゃんかすみちゃんに反論された時にギクリとはしていたので感心・・・といいたいところですが、その上で廃部独裁を強行したと考えると寧ろ後味としてはせつ菜ちゃんの方が畜生な気もしますが・・・他に事情があるんですかね。せつ菜ちゃんについては次回詳しく描かれそうなので、ここでは敢えて書きませんが。

 

 

 

 

 

ちょっと閑話休題

 

 

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今週の果林さん。何だか果林さんってさん付けしたくなっちゃうんですよね。何でだろう。クエン酸に語感が似てるからか?

 

1話目からミステリアスながらも鋭く生徒会長の動向を睨んでいた果林さんが、2話ではマイペースながらも実行に移ります。その一方で、フラッと歩夢ちゃんの前に現れた彼女の痴態にもほとんど動じず、お節介と称して少ない言葉で彼女に本懐を気付かせるという、まさに謎の妖艶な美女、陰のキーパーソン的一面を見せていました。いやあ、こ、これが大人の色気か・・・‼︎と思いましたね。頬に手をやる仕草の艶やかさよ。演技力と歌唱力はさておき、単に肉体美だけでなく、佇まいや立ち回りの落ち着きっぷりという奥ゆかしさで「大人の色気」を表現する。真姫ちゃんがアニメの初期に持っていた色気そのものを見事に蘇らせ、いや寧ろ増幅させて引き戻してくれて興奮しましたね!

 

理知的で余裕綽綽な佇まいながらも冴えた論理で生徒会長中川菜々、もとい優木せつ菜ちゃんを追い詰めていましたが、独特な雰囲気に呑まれがちだけどまぁやっていることはただのコソ泥と揚げ足取りということに気付いたラブライブ!ファンは「俺たちのいつも見てる果林ちゃんだ」とその片鱗に気付いてホッとしたのでは。

 

自分はまだスクスタをあまり積極的にプレイしていないのでラブライブ!ファンが仰っている果林ちゃんは実はポンコツ説があまり腑に落ちていないんですよね。お前らすぐ3年生をポンコツにするな。ネタ弄りで弄る分にはまぁ百歩譲っていいとして、例えばそのポンコツに見える部分を執拗に叩くのは見てて快くはないんですよね。

キャラでお人形遊びをする向きはあまり好きじゃないし口酷く言及はしないですが、キャラを人間として考えて言うなれば、高校1年生も3年生も大した違いは無い、とだけ。表向きの佇まいが冷静で落ち着きがあり、グラマラスな容姿がヴィヴィッドであれば「内面や能力もきっと有能な大人に違いない」と思うのは幻想なんですよ。役職や責任、それなりの佇まいを多少背負った身で、10代半ばが自分のパーソナリティを押し殺して責務を全うする、なんて一本筋の通った女の子は最早高校生離れしてて可愛らしい女の子として見れないジレンマがどうしても出てくるんですよ。ギャップ萌えってその辺の何とも言えない絶妙さが本質ですしね。親近感があって初めてスクールアイドルは成り立つんです。

 

そしてこと果林ちゃんに至っては、「他者からの期待」に晒されながら自分を高めなければならない孤高の苦痛と寂しさが少女として等身大に歌い上げる、「Wish」として表されています。

アニメがスクスタ準拠としてのキャラなのかは分かりませんが、スクールアイドルをエマ伝いにしか聞いていない彼女が投げかけた歩夢ちゃんへのお節介が言葉数少なくとも妙な説得力で彼女に鋭く響いたのは、「他者を意識する」という点で彼女の中で一家言ある・・・のでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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おいおいすげえな。

 

 

懸垂の状態で登りよったでこいつ・・・

反旗を翻しつつも、せつ菜ちゃんの熱心なトレーニングで鍛えた体が覚えている的なやつでしょうか。スーパーマリオ64くらいのスピードで割と軽々よじ登ったで。まぁいいや。筋力は評価するけど、無理しないでね。落ちたりしたら大変やで。生傷増やした結果ラブライブのことをどうでもいい扱いした人とかいるからさぁ。

 

ところでこのシーン、何かクウガ(ワイの永遠のヒーロー)で見覚えあるな・・・と思ったらズバリその場所でした。しかも一番好きなフォームの紫の戦士の回だったらしく、(最速)放送日が一緒と聞いて・・・鳥肌止まりませんでしたね。もしかして・・・アニメニジガク制作スタッフに「いる」な?ん?正直に言ってみ?

 

 

 

 

 

 

 

かすみちゃん侑ちゃんを通して、

歩夢ちゃん果林さんの助言を通して、それぞれ、

 

 

「他者」を意識するわけですね。このシーンに収束するべく各々が別のキャラを通じて「気付き」を得る展開の巧みさがマジで素晴らしかった。絵コンテ誰が書いたんだよ・・・拍手。

 

かすみちゃんは自分の心からの振る舞いの奥底から、同好会の各々が第一に力強く携える「かわいい」に相当するもの、そしてそれをステージの前のファンに一番に見せたいと思っていることに気づき、

歩夢ちゃん同じくして「かわいい」を恣(ほしいまま)にしている「かわいい」のライバルを見て、自分が誰からの「かわいい」を欲しているか、原動力にしているかを認識する。

 

 

 

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かすみちゃんはストレートに自分の気持ちを侑ちゃんにぶつけてから、侑ちゃんに自分の持論を説く内に自分の行いに気づく。

歩夢ちゃん侑ちゃんが他の人に意識を向けてから自分の気持ちを引き出すことに勇気を振り絞る。

同じ「かわいい」を野心にスクールアイドルを志す、仲間でありライバルの両立性が自己紹介PVとして保存されます。

 

スクールアイドルというものはその各々が持つかわいい」の正義を表現する論法で、だから彼女らが集まるこの部は、あくまで同好会。

同じ目的意識が合致する瞬間は息を潜め、特定グループとしての名前を有しない。虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会という"多様性"がこのアニメの大きなコンセプトであるというのが、2話で2人を通して分かりました。

 

 

 

 

 

 

かすみんはね、ちょっと自分に甘いだけなんだと思いますよ。自分の理想やこだわりは鋭く尖っても、それになりたい自分への研鑽はちょっぴり甘ったれ。

けどそんなもの誰しもが持ってる慢心なわけでね。だからこそその「誰か」と繋がることが、知っていくことが、協調ではなく共存していくことが大切なんです。

 

気付けるかすみんはかわいいよ。だから存分に甘ったれ。ちょっぴり辛いマスタードも、ハチミツかけて存分に、ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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自分を好きな自分に酔いしれる、って価値観はあまり日本じゃ浸透してません。謙遜こそ美徳として重んじられるこの国では、かすみちゃんの持つ「自分の甘い理想に奔放である」のは本来共感されないというか、何となく忌み嫌われるものなんですよね。

それは何故かって、多分誤解されてるからだと思うんですよ。本当に自分のことが大好きで、自分の理想が大好きな人は、誰にも迷惑をかけないはずです。一人で勝手に酔いしれて、一人で完結しちゃうもの。

それが満足にできてない人が、無い物ねだりで嫉妬しちゃう。そういう価値観がいつまでも抜けないから謙遜という逃げに走っちゃう。そういう人、意外と多いのでは。(当然、自身を未熟だと追い込んで努力する人を否定はしませんよ)

 

今、世の中のありとあらゆるものは日進月歩で変わってきています。「自分が好きな自分を大切にする」という風潮が少しずつ、しかし着実に根付いてきていて、個人のパーソナリティや趣味嗜好はより一層認知され僅かに大らかになり、個人の人権を注視した結果ブラック企業が見直され、"好きなことで、生きていく"YouTuberが大衆エンタメとして台頭しているのです。

 

 

スイーツのように甘く、レモンのように爽やかな世界。彼女が幕開くステージは、弾けるようなライムグリーンと、甘く酸っぱい香りのするマーガレットイエロー。ピンクリボン夜光が織りなすワンダーランドとは似て非なる世界です。

 

 

かすみちゃんが歌うソロ曲「Poppin' up!!」は、今の世の中の風潮に合った、あるいはそんな世の潮流に揉まれながら自分で自分を鼓舞させて生きている全ての人たちにとっての応援歌でありますように。

いいんですよ。自分で自分が可愛くて。誰もがみんな同じ水平線を見つめています。OPのようにね。それを各々の未熟と思うか、同好と思うか。それも人それぞれだと・・・アニメラブライブ!と一緒に一歩ずつ、学んでいきたいよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

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リモコンバイブ(ボソッ)

 

 

 

 

ひゃあー書いた書いた。書きたいことが相変わらずとっ散らかってて結局何が言いたいのかよく分かんねえですが、

 

 

 

 

第2話、総括としては100点です。

 

 

 

何も言うことなしで素晴らしい「見せ方」でした。

かすみちゃんの人物像の見せ方、自身の行動の回顧、歩夢ちゃんとの共通点。侑ちゃんのスタンスの変わらなさと、ちょっと意図的にコントロールしたのか?と疑っちゃうようなメンバーの距離の置き方変え方。

そしてその一方で果林さんが暗躍して生徒会長と対峙するアニメラブライブ!伝統の構図を広げる一方で、果林さん自身の内面に直結するアドバイスをポン、と短めに放つ「お節介」が・・・巡り巡ってスクールアイドル同好会という、不揃いだけど濃い味の同志の共存という価値観に結びつくというサイドストーリーにしてはとてもよく仕上がった展開の組み立て方。勢い任せだったアニメラブライブ!の系譜とは思えないシナリオの巧さがありました。

 

果林さんのキャラについては初見さんはキャラ崩壊なんてどこ吹く風では?歩夢ちゃん痴態を覗いてしまったのは果林さんが方向音痴だからだそうに違いない!と固く信じるファンの方々は、今後もぜひ彼女のお茶目な一面とそれを遥かに大きなクールビューティで覆い隠す有能美女に期待しましょうね。

 

今回感じた同好会やアニメ全体の印象と今後の展望は、Twitterでまとめてありますのでどうぞ。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかしこうもシナリオ展開の巧さや人物の置き方・動かし方が巧いと次回の3話は「3話で落とす」を主軸としてきたアニメラブライブ!のファンとして期待しちゃうなぁ。

先程も書きましたが、勢い重視で個々のキャラクターを力技で引き出す印象が強かったアニメラブライブ!の代々のパワーヒッターのシナリオとは打って変わって、

アニメ虹ヶ咲は搦手というか、一見関係のない人たちを上手く当てがわせてその回のメインや"メインヒロイン"を生身の人間らしく成長させる技巧派なんですよね。めちゃくちゃ自分の好みなんですよ。一生懸命頑張る女の子のアニメ観るの大好きだからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて・・・名実共にスクールアイドル部を強行的な独裁で廃部に成功した生徒会長中川菜々は、実はそのスクールアイドル部で一番注目されていた優木せつ菜その人でした。

(何でみんな気付かんかってん...)

かすみちゃんと反発しつつも負い目を感じていた節を匂わせていた菜々、いやせつ菜ちゃんは、そこにどんな熱い思いをぶつけるのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今回、侑ちゃん果林さんも、そこまで熱心な助言や指導はしていません。どこか一歩引いた上で、二人ともより視野を広く、自分を認識・意識させるために促したのみです。本当にそのあっさりとしたスタンスは見事でした。重苦しい話にならず、女子高生の日常感が守られていましたね。そして同時に侑ちゃんは、歩夢ちゃんのみのサポートだけでなく、同好会全体のサポーターでありたいという意思表示も薄く露わにししてて、もう何というか、本当に盛り沢山な内容でした。

 

 

本当に、ただ思ったことを言っただけ。

自分の大好きなこと、気にしてること、こだわってるところ程、人が持つそれらは尚更気がつきやすいものだよね。だけど、

それっぽっちでいくらでも人は成長できるし、

他者を信頼できるし、

自分で自分を好きになれるし、

大切な人の為ならワンダーランドの主人公にだってなれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

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だからみんな、「それぞれが好きなことで頑張れる新しい場所(ゴール)」を目指して・・・スクールアイドルを志すのかも、しれません。

俺はそんなみんなが誰一人欠けることなく、

 

「かわいい」と思うよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ

 

 

 

(16700文字)

 

 

         written by Sunny Road

 

 

 

 

前回、第1話の感想記事はこちら↓

 

https://elysia-sunny.hatenablog.com/entry/2020/10/10/113243

 

 

アニメラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 第1話「はじまりのトキメキ」感想〜彼我に契りを仰ぎ見て。〜

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とっておきは、半分こ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんにちはおはようございますこんばんは初めまして毎度どうも、Sunny Roadと申します。以後お見知り置きを。

 

・・・今までお前何やってたんだよ、という質問・文句・ブーイングは全部石にして投げてもらって結構です。以前のブログSunny Recordをご存知の方やTwitterで私Sunny Roadをご存知の方は、その節は本当にお見苦しいところを日夜お見せしてしまい、本当に申し訳ありません。謝りついでにご報告しておきますが、以前のブログは故あって削除させて頂きました。

 

自分の駄文に心打たれた方など到底いらっしゃるとは思ってませんが、何卒ご容赦願います。やるやる詐欺の自分のこと、追い込まれないとやらないタチを至る所で痛感できる通りこのブログも本当に長くは保たないと思います。

ただ何でしょう、「これが最後の精一杯」と思って日々を生きていることだけは伝えさせて頂くべく、こうしてまたアニメラブライブ!の感想を書き連ねる気を起こしました。

 

 

そして初めましての方は初めまして。Sunny Road申します。深夜アニメとアニメラブライブ!が大好きです。本当にそれだけで辛うじて生きてる存在です。過去に3回程ブログを立ち上げた事がありますが、どれも色々な事情で閉鎖・削除してしまっています。自分の人となりを知るにはそれだけで充分過ぎる事実だと思いますし、リアルで知り合った方程意外に思われがちですが一人の時の精神状態が割と結構不安定です。

まぁ専ら自分と自分が属している(と思われる)コミニュティの色々な差異に悩んでることが多いのですが、その一方で自分や身の周りの変化が嫌いな、肥大化した自尊心と自信を持つことに慎重な面もある、自己分析が大好きな日課「すーぐ悲劇ぶる真面目陰キャと捉えて頂ければ最適かと。

よろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いやいや自分の話はもう充分でしょ。アニメラブライブ!の感想書けよと。

というわけで、2020年10月3日よりスタートしましたアニメ「ラブライブ!虹ヶ咲スクールアイドル同好会」の感想を毎話、書いていこうと思います。

ちなみにですが自分の感想は概ね他の人気のラブライブ!ファンの仰った方と同一だったり受け売りだったりします。また、冗長で分かりづらく、クソ真面目で核心を捉えない駄文であると共に、

 

 

 

自分の感想は時に偏っているやもしれぬラブライブ!観に基づく「あくまで個人の見解」であることを十分ご留意の上、お読みください。私Sunny Roadは当ブログの駄文全てにおいて一切の説得力と責任を放棄します。

 

 

忠告したからね。ご意見・文句は大歓迎ですが、自分のご機嫌は自分で取ってくださいって意味ですよ。お願いします。それじゃスタート。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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始まりは本アニメのメインキャラクター、高咲 侑ちゃんの独白と共に紐解かれる、舞台である虹ヶ咲学園の放課後ブラブラ(ラブラブ)から始まります。本作初の「アニメラブライブ!の主人公」である彼女の存在と見え始めた人物像については後述しますが、まず初めに感じた一言。

 

 

 

伊藤かな恵やん・・・‼︎」

 

 

声が伊藤かな恵さんにかなり似てるんですよね、侑ちゃん。落ち着いてる低音の割に興奮した時の跳ねた声音が可愛らしいあってか演技の方もエルシィを、否この場合佐天さんと言えば伝わりやすいかな、めちゃくちゃ彷彿とさせましたよね。

自分もそれなりに深夜アニメを見続けてる(割に声優さん関連は一歩引いて見ている)者ではありますが、新人声優の矢野さんには是非とも阪神2軍を率いて頑張ってもらいたいですね。誰が名キャッチャーやねん。

恐らくは多くのアニメラブライブ!ファンが心待ちにしていたであろう「あなた」の声ではありますが、自分としては聴き馴染みのある声に似てるし演技もそこそこ上手いし大満足です。

いやほらアニメラブライブ!の声優って正直演技とか歌唱力に悪い意味で一家言ある部分、あるじゃないですか。元々が声優経験無しの方とか色々いらっしゃいますからね。

物語を進めていく主人公役がガタガタ演技だとそのまま十何話と完走していく上でぶっちゃけ「アニメラブライブ!ファン」としてだけでなく「深夜アニメ視聴者」としてもかなり、こう、ウッてなること請け合いですから。自分がとてもこんな偉そうなこと言えた立場じゃないけど。

 

 

 

 

 

 

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学校帰りに食べ歩き、仲の良い幼馴染み、上原 歩夢ちゃんと食べさせ合い。平凡で何の変哲も無い、日々を「刹那」的に過ごす普通の女子高生2人組。ここで多くのアニメラブライブ!ファンは既にこの日常パートそのものが特異であることに気付いていますね。

今までのアニメラブライブ!高坂 穂乃果ちゃんにしろ高海 千歌ちゃんにしろ、第1話に劇的なミュージカル演出や「出会い」をのっけからババーン!と持ってくるんですよね。その芝居っ気ある話し方や動き、春の新生活、新学期・・・劇的な展開は「ラブライブ!様式美」として多く認知されていますが、今回のアニメニジガクにはそれがありません。

 

春かどうかは分からない、晴れた日の、ある日の放課後。導入としては日常系美少女アニメのそれなんですよね。まぁコッペパンがイマドキ流行りの女子高生スイーツとして認識されてるのがかなり謎だけど。ここでタピオカミルクティーを飲んでても中途半端に流行遅れで狙いすぎ感はあるし、まぁコッペパンに縁もゆかりもあるキャラが既に1話で良いダシ出し始めてたから初見の方はお楽しみに。

あぁ、そういえば今作も「アニメ第1話でメンバー全員が出演している」縛りもコンプリートですね。アニメμ’s1期の頃からのジンクスですね。7年の時を経てもしっかり守られてるのは良いことだ。もう一つのジンクス「作画ブレが無い」は惜しくも皆勤賞ならずですが、勢い任せの印象が強いこのアニメラブライブ!シリーズも随分歴史を刻んだものですね。

 

 

そんなどことなくだらけた日常を食い破るようにけたたましく聞こえる、女子高生の歓声。非日常に飢えた2人の好奇心は、(ダイバーシティ東京)階段ステージに足を向けます。

・・・いやいやちょい待てい。急にあんな黄色い声聞こえたら普通何か事件性感じない?

えっ驚かない?キャー!って聞こえたら何かあったんかな、誰か女子高生が暴漢に襲われたんじゃ・・・?とか想像して胸騒ぎしない?そう思うのワイだけ?まぁええか・・・平和ボケもほどほどにやで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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彼女らが階段ステージで目にしたのは、スクールアイドル同好会メンバー、優木せつ菜ちゃんのライブ。の、より正確に言えば「Chase!」の大サビ部分。

 

めちゃくちゃ感動しました。

 

いや本当に、何も言う事無しの完璧なクオリティですよ。シンプルに感動した。徹頭徹尾カッコよく、可愛く、「アイドル」としてまざまざと君臨してた。どうだ、アニメラブライブ!は凄いんだぞ‼︎って自慢したくなるくらい、演出も歌もダンスもCGアニメーションも、ヤバい。嬉しいことにアニメラブライブ!CGアニメーションはこれまでの歴史を経て進化を重ね、その都度多くの深夜アニメオタクに定評を受けてきましたが、遂に、極致に辿り着いた気がしますよね。

 

そしてこのPVの最大の魅力である、轟々と炎が噴出する派手な演出こそ、1話の最大の見所であったのでは。スクスタでダンスPV自体は観てましたが、これこそアニメでしか出来ない迫力ある表現でもありますね。

これは好きなことを全力で追いかけ、求め、広めるという優木せつ菜ちゃんのキャラクターをこれでもかというくらい分かりやすく、派手に、シンプルに描き出した演出ですが、大事なのはそれだけじゃなく、この炎の演出が見えている、せつ菜ちゃんの中の熱い血潮の迸りを受け取っているのは高咲侑ちゃんのみという部分です。

 

 

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ニジガクちゃんのプロジェクトが本格始動してからいつのまにかそれなりに時間は経っていますが、ファンの間で根強く人気のトップの座に立ち続けるせつ菜ちゃんは、その人気の秘訣こそこのステージのように極々シンプルであり王道、「分かりやすい」女の子だからだと思います。

直情に素直で直向きに頑張り、裏表無く明るくはっきりと主張する。かといって一辺倒なだけでなく、料理がちょっとアレだったり、ちょっぴり背が低めだったり、実は普段の学生の様子はモニョモニョだったりする。何はともあれ彼女を渦巻くキャラクターを形容するなら「情熱」、その一言に尽きますし、ならばそんな彼女のイメージカラーがで、ライブの演出で炎が吹き出しもおかしくはないでしょう。

 

しかし、あくまで本編で煮えたぎる溶岩から炎が噴出し、ステージを飛び出した彼女が宙空で侑ちゃんを誘い込むような演出を見たのは侑ちゃんのみなんです。これ、皆さんはどう捉えましたか?

自分はやはり「高咲侑≒あなた」だからかな、と感じました。結論から書きますが、どんなアイドルであれ、ステージの上のパフォーマンスをどう受け取るのはその人自身であるということだからです。そしてそう受け取らざるを得ないばかりに、せつ菜ちゃんのステージ、「Chase!」に綴られるリリックには、「走り出した想いは強くするよ」「なりたい自分を 我慢しないでいいよ」という、抑圧していた、あるいは心のどこかで待ち望んでいた熱い想いを"解放"するという意味が分かりやすく強く唱えられています。せつ菜ちゃん自身が何かを強く追い求め解放する姿を、侑ちゃんは言葉通り、いやそれ以上に、燃え盛るように可視化して捉えた。

 

そう、このまぶしい程に純粋で真っ直ぐなスクールアイドル各々の想いの「色」を、侑ちゃん可視化できる。受け取れる。これが高咲侑という、従来のラブライブ!シリーズでは見られなかった、より正確にはのっぺらぼうにしたままだった「主人公」「傍観者」「ファン」という存在であり、このアニメニジガクの重要なキーです。またこれについては最後で改めて書きますが、自分はこの侑ちゃんの存在の「塩梅の良さ」に、とても「巧い」と思いました。

 

後これはあまり皆さん言及してらっしゃらなかったのですが、この曲のタイトルである「Chase!」に、もう一つ意味が追加された瞬間だったなと思いました。Chase!、つまり追いかける、追跡するという英語(カーチェイス、でおなじみですね)で、最早これは説明するまでもなくせつ菜ちゃん自分の夢を熱く直向きに追いかける思いの丈をたった一言でシンプルに置いたタイトルです。

ですがこの曲、「追いかけてみろ!」という捉え方もできるのでは?それを厳密に英訳するとFollow me!とかCatch me!とかになっちゃいますがそれは置いておいて、彼女はA-RISEμ's同様、過去のアニメラブライブ!シリーズの典型とも言える「主人公への(文字通り)火付け役」を事実上買って出ました。そしてせつ菜ちゃん自身・・・どんな胸の内かは分かりませんが熱い想いが沸沸と湧いていて、スクールアイドルの魅力に取り憑かれた結果、ステージで観客を沸かせる存在になっている。

高咲侑ちゃんという女の子は本来、あのステージの他の観客同様にその場限りのステージで黄色い声を上げ、終われば拍手と共に去る、正に大多数のmobの中の一人で終わる存在だったはず。しかし彼女はその観客とは逸脱した、魅力に取り憑かれた者の一人だった。同じくしてこっそり火がついていたもう一人も、ね。だから溶岩も炎も見えたんだし、「ときめき」が始まった音がした。「Chase!」という曲は、侑ちゃんに対して「一足先に取り憑かれた私に、ファンを背負ってステージを舞う私に、追いついてみろ!」という、ある種自信と誇りが見え隠れする挑戦状めいた意図があったのかもしれません。恐らくはこのニジガクメンバーで一番スクールアイドルを理解しているはずの彼女がステージ上で終始真剣な表情で、最後の決めポーズも雄々しく立ちはだかるような挑戦的な姿なのは、もしかしたらそういう・・・ってね。

まぁ後は優木せつ菜という人そのものが、実は侑ちゃんがスクールアイドルに執心する上での「憧れ」「壁」の、同時に二重の意味を持つ人物になるだろう・・・というのは、キチンと本編でネタバレされてから書きたいと思います。地味にアニメラブライブ!シリーズでは初。っていうかもう大体の人は勘付いてるか知ってるけどね。

 

 

 

 

 

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スクールアイドルの魅力に惹かれ、徹夜してまで色々観まくってた・・・と話すのは、寝不足のまぶたを引きずりながら登校するお二人。

お分かりですね?歩夢ちゃんのモーニングコールもそこそこに猫みたいな大あくびをかまし

侑ちゃんのシーンのすぐ後に、さりげなく歩夢ちゃんも可愛らしいあくびをしています。あっ・・・(察し)全然違うパーソナリティを持ちながら、芯の部分は似通ってるのが彼女らが仲良しの所以でしょうね。

というかアニメラブライブ!シリーズを経ていくごとに徹夜のハードルが低くなってる問題。いや女の子なんか特に徹夜はマジですぐにお肌に出るよ。その次髪に。その次内臓系に。お化粧の乗りがマジで・・・いやまぁいいや。μ'sなんかは割とあんまり夜更かししてなかった気がするんだけどAqoursでとことん睡眠を軽視しちゃいましたね(夜中にブログ書きながら)。

まぁでも気持ちは分かるのよ。多分オタクのみんななら全員分かるはず。何か大好きなものにハマった時って、「うおお何だこれ!すげえ!」って、もう時間なんか忘れてとにかくドキドキ、ワクワクしちゃうじゃないですか。もう寝なきゃいけないのに、〇〇しなきゃなのに〜、って。

そういう時の初めの好奇心をアニメラブライブ!シリーズの主人公は絶対に忘れない。それが良いんですよ。平凡でちょっと子どもっぽくて俗っぽいけど、でも人間で一番貴い感情の根源であり、力強い衝動です。

 

 

 

 

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放課後を待ち望んでいた侑ちゃんは早速歩夢ちゃんを引き連れて虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会を好奇心一心で捜索開始。

自由な校風と専攻の多さ、そして何より大都心東京お台場の高校とあって虹ヶ咲学園は超マンモス校、それ故夥しい数の部活や同好会から部室を探すだけでも一苦労。

 

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んおお・・・何と言うか、んおお・・・

 

いやまぁアニメだし、真姫ちゃんとかルビィちゃんもまあまあ奇抜寄りの髪色はしてたけど、結構思い切ったなぁ。キャラデザが大幅にデザイン変更されて顔の描き方がかなり薄味のラインになった分、アニメニジガクは従来のラブライブ!シリーズ通りに置いた瞳や髪の色がかなり目立つ。残した要素で際立たせるとはこれいかに。初見さんからしたらそのうち白髪のキャラが出てもおかしくないと思いそう。

 

愛さんはほぼほぼイメージ通りの(微妙に時代遅れ感ある)ギャルっぽさはあるし軽快なノリの良さが話し方に出てて満足だけど、璃奈ちゃんはちょっと吃音症みたいなコミュ障キャラっぽい登場は何かモヤッとする・・・しない?(当ブログは吃音症患者を貶める意図は一切ございません)

まぁ本来の彼女のパーソナリティでもある「感情・表情が上手く顔に出せない」部分を忘れてなかった(終始真顔)から良かったものの、コミュ力自体は普通でいいのに、とは思いました。これ初見さんどういう風に捉えただろう。無口真顔キャラとかかな。

 

 

 

 

 

 

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助けもあって無事部室を見つけたものの、そこに居合わせた中川 菜々生徒会長に冷たい事実を突きつけられます。何とは言いませんが良い演じ分けですね。でも全校生徒の名前記憶は盛ったよね。(ほんとは普通科同学年くらいでしょ)

 

これまでのアニメラブライブ!シリーズとは違い、冷たい論旨で生徒を退けるような、理不尽な権力の権化のような冷たい生徒会長の対立像はあまり見えません。理知的な風貌はあれど柔和に微笑み、同好会についても淡々と事実を告げるだけで"圧"をかけるわけでもなく。

まぁ絵里ちゃんダイヤちゃんアニメラブライブ!の様式美を演じていたといえばそれまでですが、それを踏まえてでも侑ちゃん歩夢ちゃん敵意を向けられる行為をされなかったのは新鮮ですね・・・と言いたいところですが、それはこの3人のシーンのみでそのすぐ後にバチバチに遺恨を残していらっしゃる方ではあるんですよね(しずくかすみエマ彼方談)。

かすみちゃんがコミカルに敵視してはいるものの、主人公に生徒会長が悪印象で通っていないのは斬新っちゃ斬新。実際やっていることは生徒会長の権限フル活用でライブ後翌日に同好会休止廃部というスピード独裁をやってのけてるかなり理不尽メガネっ娘なんですが、その辺の強引さと理不尽さ溢れるDirty Deeds Done Dirt Cheep生徒会なのは歴代アニメラブライブ!っぽいところ。

 

 

 

さて、ここからはちょっと真面目に。

 

 

 

 

 

 

 

 

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「夢を追いかける」ことについて、侑ちゃんは説きます。彼女の言うことは今まで穂乃果ちゃん千歌ちゃんがスクールアイドルを始める際に感じてきたことそのもので、真っ当です。自分の中の可能性に気づいて、とりあえず何か動きたい。心の中にある燻ったエネルギーは、正に彼女自身が言った「ときめき」。

ですが何か自発的に動き出した分だけ現実や苦境も見えて立ちはだかる、それもまたこの世のシンプルで悲しい仕組みです。正に冷や水を浴びせられたような衝撃は、誰しも少しは重く苦く体験したことがあると思います。自分の力量の少なさ、現実の非情さ、誰かの何かが足枷になっている。色んな要因があるでしょう。

 

 

「ときめき」ってそもそも何でしょう。まーたキーワード出して執着し始めたよ、とは思いましたが、侑ちゃんの妙な気持ちの区切りの早さに、固執した部分はあまり感じられなくてよかったですけど。

 

「輝く」ことに執心したスクールアイドルがかつていたように、アニメニジガクは「ときめく」という言葉を侑ちゃんの周りに付いて離れません。彼女が心がパァッと華やぐ気持ちは描写で見てとれましたが、その割には廃部のお告げを聞いた時に引っ込みが早い。かといって自分がスクールアイドルになる意志も特に見て取れない。

 

高咲侑にとって、ときめきとは何なのか。

それ即ち、アニメニジガクは、何をもってして「スクールアイドル」をいかに定義するのか。

 

そこに、彼女と同じくしてせつ菜ちゃんのステージを観ていたもう一人のときめきが現れるのです。

 

 

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コッペパンを半分千切って食べ合いっこしたり、一緒にショッピングしたり、「一緒に何かを共有する、感情を半分こする」行為を最初から最後まで、何の違和感もなく、あるいは何の遠慮もなく行っていた歩夢ちゃん。しかしステージをきっかけに、侑ちゃんが発露する「熱」と対照的に、どこかモジモジと内向的に感情を隠しながら付き合う彼女にも、既に「兆し」はあったんですよね。それはステージ以前の、お台場のショッピングモールのウィンドウに展示された、ピンクでフリフリのスカートを見た彼女。子どもっぽい服は卒業、と尤もらしい言い訳で侑ちゃんのからかいを躱している一場面ともとれますが、実は侑ちゃんのそれは本心で、歩夢ちゃんのそれは建前なのが面白かったです。(というか朝に歩夢ちゃんの部屋が映る時点で半分バレてる)。

 

 

 

何もかもを半分こして、一緒の時間を共有していた大好きな友達とせっかく見つけたものが、熱い感情が、ほんの僅かな短い時間で、誰のどこにも受け止められなくなってしまう。

そうなる前に、自分は何をすべきか。何かやり残してないか。誰に、何を、どう、何故伝えればいいのか。

 

 

 

 

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本当は多分歩夢ちゃん自身も、侑ちゃんが言ったように「まだ夢なんて無い」んだと思います。高校生なんてそんなもんですよ。明確に目標があってそれに向かって努力している人なんて本来希少種なはずです。

だけど、好きなものが無いわけではないはず。自分の胸の内にある、ほんの些細な色好み。それを大切な人に伝えるだけで、その人にとっての侑(たすく)になるかもしれない。

 

彼女も「スクールアイドルって本当にすごい。私もこんな風になれたら」と発言していますが、その理由が「ほんとはピンクの服とか好きだし」という、あまりにも乙女チックで可愛らしいこぢんまりとしたものになってるのが逆にリアルなんだと思います。

 

今までアニメラブライブ!は、目的意識があらゆる意味で巨大にし過ぎてオーバーフローしてしまう悪い面がありました。廃校阻止だのμ'sだのとデカい目標とそれを掲げる人物像が見合ってない部分がアニメサンシャイン‼︎で裏目に出て、執着する様が少し不格好に見えるシーンもありました。

それを踏まえてアニメニジガクが織りなす「何の為の、ラブライブか」は非常に単純で、かつ目下のターゲットは廃校の心配の無い巨大高校の夥しいクラブの中のいち同好会、なわけですよね。どうですか?侑ちゃんの意志、歩夢ちゃんの発露が地に足付いて、すっぽりと収まってる感触がありませんか?

 

 

別に夢を大きく見るのが悪いことだとは言いません。だけど「スクールアイドル」の「スクール」の部分を語る上で、夢と、夢を追いかける者同士の縮尺をあべこべにしてしまうと、必ずどこかズレが見えて飲み込みに時間がかかってしまう。これは今までアニメラブライブ!を論考してきて気付いた経験があるからこそ言えることだと思います。

 

話が逸れました。

 

 

 

 

 

 

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自分も、本当は大好きだった。胸の中でワクワクして、キラキラして、ときめいてた。

その感情の引き出し方だけが少し苦手というか、侑ちゃんとは違うところだった歩夢ちゃんは、スルスルと発露した後、自ら階段上のステージへ向かいます。彼女は「スクールアイドルになりたい」と明確に思って歌うわけではありません。今ここで自分の気持ちを歌にして伝えたら、そしたらきっと、自分と自分の大切な人の何かが変わるかもしれない。そう思っただけだと思います。

 

そこに「スクールアイドル」という存在があっただけ。それだけなはずなのに、夜更かししちゃう。自分でも自分の中のときめきがどれ程のスケールなのか分かっていない。だから、侑ちゃんに連れ回された後で、一足遅れて彼女は「好き」という。侑ちゃんが唯一自分の口から言わなかった一言を、等身大で、たったシンプルな一言で、声を大にして。「止まらなくなっちゃいそうで」口にするのが怖かった、というちょっぴり臆病な上原歩は、今夢の一歩を歩み出す。

 

歩夢ちゃんにとって何故自分に侑ちゃんが必要なのか、自分の夢を追う上で高咲侑はどれ程大きいものなのかが未だ明らかになっていませんが、少なくとも彼女の開花宣言は、侑ちゃんのみが観客の、夜のステージでお披露目されました。これ、多くのファンが気付いてなくてシメシメと思ってたんですが地味に初なんですよ、アニメラブライブ!第1話の突然始まるミュージカル風演出PVなの。季節描写も少なく、晴れ晴れとした空の下で行われる「第1話ミュージカル」の歴史と伝説を、斬新にも塗り替えてきやがりました。後はまぁ、第1話でCGアニメーションPVが2曲(内1曲は既存だけど)もある構成というのも初ですね。ぶっちゃけこればっかりはアニメーター初めアニメ制作スタッフ各位が心配です。来年放送とばかり思ってたし、余計に。

 

 

 

 

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曲名は「Dream with You」「You」は当然ダブルミーニングとなってる訳ですが、いやまぁこれは・・・紛うことなき大正義正ヒロインですね。可愛い、というか可愛らしい。キャストの大西さん、本編で演技もかなり上達したなぁと思ってましたが歌唱力も断然伸びてましたね。

憧れだったピンクのワンピーススカートに身を包み、彼女の周りに描き出されるワンダーランドの光景。歩夢ちゃんのイメージに今まで童話のイメージは無かった分、良い意味で裏切られましたね。PVもイメージカットがふんだんに取り込まれていて、これはEDも感じたんですがリアルアイドル・他2次元アイドルの曲調やPV演出を上手く取り込んでるなぁと感嘆しました。

個人的にグッときたのは最後の手を組みながらハートを描くフリ。ありそうで無かった振り付けなのに正統派アイドルの極めみたいなフリですやん。よくやった。

 

多くのファンは「これソロ曲メンバー全員分やるんか⁉︎」と心待ちにしているでしょうが、まぁそれはそれで虹ヶ咲のコンセプトでもある「全員仲間で、ライバル」に適った構成だとは思いますが自分は決して贅沢は言いませんよ、先ほども書きましたがアニメ制作スタッフはちゃんと寝て、どうぞ。

 

 

 

 

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せつ菜ちゃんの時と同様、歩夢ちゃんが童話の中のお姫様として踊る光景は、実際には侑ちゃんだけが観ているビジョンです。ピンクのスカートなんて着てないし、本当は一曲歌い上げてないかもしれない。

今はまだ、同じパスケースの色違いをシェアすることしかできない。だけどそれが彼女なりの「ときめき」を追いかける方法だから。一歩ずつ歩む自分をーーー想いを文字で、歌で綴る自分を、ラインマーカーのように隣で見ていてほしい。色もやり方も違っても、想いは同じだと信じて。

歩夢ちゃんが差し出す「忠(まごころ)」に、侑ちゃんが包み込む「掌(たなごころ)」には、今まで生まれなかった深い絆が生まれようとしていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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(画像は関係ありません)

さて、10000字を超えてるのでまとめに入りたいと思いますが・・・その前に一つ、いや二つだけ。

 

まず一つ目。「アニメラブライブ!を初見の方」も「アニメラブライブ!は観ててもニジガクはアニメが新規の方」も、その他多くのファンの方々が既に共感しているかと思いますが、

今回のアニメニジガク、「アニメラブライブ!っぽさ」をことごとく削ぎ落としてるんですよね。キャラデザや作画は随分と薄味のものに変わり、地味にラブライブ!のタイトル特有のフォントも変わり(馴染み深いものだけに割とショックでした)、内容も廃校要素がいち同好会の廃部というちっぽけな規模に留まりました。展開のシナリオは洗練こそしたものの、日常感のあるスタートとどこか勢いを敢えて削いだかのような夜のライブ、そして何より、主人公という明確に違う存在が最初から介入しています。

自分は過去の名残で深夜アニメリアルタイム実況オタクもTwitterでフォローしていますが、概ね「何かアニメラブライブ!っぽくないなぁ別アニメみたいだ」と呟いていました。勿論第1話のミュージカル要素やCGアニメーションPVなど、要素要素でアニメラブライブ!らしさを感じるところはあるものの、何だかあまりに多く削ぎ落としすぎたんじゃないかちょっぴり寂しくなりました。

 

別に異議を唱えるわけじゃないですよ。新しいことにどんどん挑戦していくラブライブ!の姿勢が見えるしそれはいちファンとして高く買います。だけどまたいちファンとして、以前の伝統をもう少し目に見える形で残しててほしいとも思ってしまいました。本編でμ'sやAqoursの名が一度も出てこなかったのも地味に大きいのかもしれません。

Aqours高海 千歌という女の子の特性上μ'sをある程度踏襲しなければいけない存在であった為、「アニメラブライブ!あるある」は割と分かりやすい形で残ってはいたんですよ。早い話がハンコ絵とかね。けど今回のアニメニジガクは、外部の色んなデザインや潮流を取り込みすぎたのか、タイトルこそラブライブ!ではあるもののアニメラブライブ!ブランドらしさが微妙に足りない気がします。先程も書いたように革新は確かに時代の波に乗る上で重要だとは思いますが、こう・・・伝統もまた、伝統としてそれなりに長い年月に揉まれながらも守られる、築かれる理由があってのことだとも思うんです。

こういうこと書くと懐古厨だ何だーって言われそうですけどね。でも、自分は手癖や手垢のついた作品を観てもあまりマンネリを感じない人間なので、残念ながらこの点は微小ながらマイナスポイントとさせて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

そして2つ目。まぁこっちが大事ですかね。

 

これもまた多くのラブライブ!ファンが懸念している事項だとは思いますが、このアニメニジガクには「あなた≒高咲侑」という存在が登場します。そしてその高咲侑というアニメラブライブ!初となる特異点は、本編作中でどう落とし込まれるか、引き出されるか。

結論から言えば自分はこの侑ちゃんというキャラクターの描き方、かなり丁寧に描かれてて巧いと好評は付けておきます。リアルな女子高生像を佇ませて歩夢ちゃんや他メンバーと自然に絡みつつも、彼女が吐き出すスクールアイドルに対しての熱意は「僕ら」側の熱意そのものを持っている。

 

 

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歩夢ちゃんがステージを披露した際、あるいはステージ前の独白の際、侑ちゃんはほとんど言葉を発しませんでした。歩夢ちゃんとスクールアイドルにおいてもし対等であるならば彼女と同じ丈の想いをぶつけていたでしょう。でもそうしなかったのは、せつ菜ちゃんのことを「ちゃん」か「さん」で彼女らが呼び分けするように、既にスクールアイドルに対しての互いの立ち位置が変わっているのです。同じステージを観た仲なのに、面白い違いですよね。だけどこの違いこそが高咲侑がどういう人物なのかを如実に表しています。

 

では、「あなた」という、ラブライブ!において本来不変で普遍だった存在は高咲侑から消えてしまうのか?

 

そもそも、「あなた≒高咲侑」という関係が明確に紐付けられた原因はこのアニメニジガクがスクスタのストーリーのパラレルワールドなんですよね。そのスクスタの中の「あなた」という存在はまぁ何というか、ご都合主義がかなり強まった存在と形容するべき人間になってしまっています。ネタバレはしませんが、高咲侑というどこにでもいる女子高生のようなビジョンとは似ても似つかない一面と存在感を感じる場面は確かにあります。自分はそこに妙な違和感を感じて「スクスタ出不精」になってしまい(それだけが原因でもないけど)、とてもとてもリリース直後にインストールしたとは言えないような所謂非アクティブユーザー気味になっております。お恥ずかしい。

 

 

話を戻しますと、彼女は何をもってしてスクールアイドルに「なる」側ではなく「応援する」側に立つレーゾンデートルを描くのか、に関してはすごく、良くも悪くも熱視線を送っています。「あなた」というこちら側を意識するような存在は消えてしまい、物語の主人公高咲侑として同好会を彩るのか。だとすれば、アニメニジガクというものは何をもってしてμ'sAqoursと違うのか。

 

 

歩夢ちゃんにとって、侑ちゃんは最も信頼できる大の仲良しのスクールアイドルマネージャーを全うし始めました。第1話だけを取ってみればとても美しい関係だとは思いますが、虹ヶ咲はあくまで全員仲間で全員ライバルがコンセプト。このまま侑ちゃんが虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会で一番近しいファン1号であろうとするならば、他の(後に加入するであろう)メンバーには他のメンバーなりのアプローチや付き合い方、応援のし方が必要なはずです。

めちゃくちゃ極端に言えば、個別ルートを同時進行するギャルゲーマーとなる必要も、もしかしたら出てくるんですね。果たしてニジガクのアニメはオムニバス形式なのか、共通ルートのままぼんやりとエンディングを迎えるのか・・・自分はとても気になります。

そういう意味ではアニメニジガクに大きく期待を寄せる1話となりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★まとめ★

 

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「いやこれレビュー☆スタアライトやん!!!!」

 

EDイラスト観て秒で気付きました。ミュージカル要素は確かに残ってるし、ぐぬぬ・・・ほんと良いとこ取りしてんなニジガク!

 

 

 

 

 

 

 

という訳でアニメニジガク第1話でした。今これ徹夜して書いてる(実話)んですが久し振りにブログ書いて・・・やっぱり疲れますね。でもそれ以上に、思いをつらつらと文にしたためて発信するの楽しい。

 

 

 

アニメニジガク第1話、

 

 

総括としては95点です。

 

 

 

歴代のアニメラブライブ!シリーズで当たり前とされてきた伝統と様式美のあれやこれやをかなり大改造しつつも、スクールアイドルという存在が、何の変哲もない日常を生きる普通の女子高生を非日常の夢のステージに招待し得る、という可能性、根元の部分をきっちりと分かりやすく非常にシンプルに描いていて、それでいてスクールアイドルを一番近くで応援する存在を可視化するという部分の落とし込みはかなり丁寧に慎重に練られていました。

書いてて気付いたんですが、実は「第1話の主人公(的存在)が生でスクールアイドルのライブを観て目覚める」のも初なんですよね。穂乃果ちゃん千歌ちゃんもUTXの大型ビジョン越しなのが地味にちょっとミーハーっぽいのが今になっていじらしく感じますよね。

 

 

見所はやはり侑ちゃん視点で観るせつ菜ちゃんや歩夢ちゃんの圧巻演出ライブでしょう。せつ菜ちゃんのそれはもう「情熱という火力」の一言に尽きる迫力、それに負けず劣らず歩夢ちゃんが独創的に描き出すアリス調の可愛らしさ満点、乙女チックなワンダーランドに仕上がっててアニメ制作スタッフの熱意をとにかく感じました。そういえば2人は派生ユニットとしてはAZUNAで同士なんですよね。アニメで鉢合わせしたらこうも演出が変わる・・・というのも、虹ヶ咲のコンセプトをファンに印象付ける効果があったのかもしれません。

 

初見としての視点で観ても、勢いとクオリティが両立するかなりの出来栄えだったと思います。予想以上に巧くて、月並みですが感動しました。

 

 

ただ個人的に、あまりに多くの既存要素を革新と称して改築しすぎたために、元のアニメラブライブ!としての伝統工芸っぽさが作画・キャラデザを筆頭に抜け落ちてしまった寂しさは、やはり感じました。最後にミュージカル演出はあって結果オーライ・・・としたいですが、残念ながらそこは-5ポイントとします。

そして今後の注目ポイントとして、前述した通りやはり高咲侑の正体ですね。ぶっちゃけ"あなた"像はいつの間にやら取っ払われて高咲侑としてストーリーを描かれるのが手っ取り早いし分かりやすいとは思いますが、どこまでアクティブになるのか、アクティブになりすぎた結果侑ちゃんもステージで歌い踊る地獄の展開が待っているのか、注目して(あまり期待はせずに)毎週土曜日に正座待機させて頂きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分はもう、他の多くのファンの方々のような、「オールメディア展開するラブライブ!にオールマイティに追っかけていく」ようなラブライブ!ファンではありません。

ロクにお金を費やさず、

ただただアニメラブライブ!にだけ固執して、

凝り固まった私見・偏見をこうしてTwitterやブログで書き殴って、

自分の中の大切な大切なスクールアイドル達の偶像に裏切られまいと必死になって日々を生きる、

自尊心を肥やすだけの、あまりに惨めな存在だと思います。

 

だけど、自分は本当にそれだけでかれこれ8年間も生き延びられてる事実を軽んじて見たくもありません。アニメラブライブ!に出てくる全てのキャラクターを、まるで本当に生きてる女の子を扱うように優しく汲み取って、慈しみを以て慮る。そうすることで明日の自分の生きる糧になるのであれば、最上の幸せだといつでも、いつまでも想い続けています。

 

 

本当に生きてる女の子だと思うのなら、アニメの中で知り合うほんの僅かな時間で人を決めつける行為は本来傲慢なのではないか、という罪悪感を感じながら、筆を置きます。

 

ごめんね。でも、大好き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

クソきめえな。

 

 

 

 

 

 

 

 

いとふゆ      (14770文字)

 

written by Sunny Road